第一章 リモート生活は、ある日突然に④

『では、教科書の二十三ページから。小森さん』


『はーい』


 本日最後の授業にて。

生徒には厳しいが、絶世の美女なので生徒(特に男子)から絶大な人気を誇る現国教師・佐々木愛美先生の授業を右から左に聞き流しながら、俺はほうと溜息を洩らした。

 オンライン授業に疲れているわけじゃない。

 枝折と一緒にいることに慣れておらず、精神的に疲れてしまっている。


(たった一年しか離れてなかったのにな)


 タブレット越しに枝折の方へ視線をやる。

 無表情で画面を眺めながら、綺麗な姿勢でノートにペンを走らせる枝折。耳にかかった髪が気になるのか、何度も指で掬い上げたりしている。

 高校に上がってから、勉強中の彼女を近くから見るなんてことはほとんどなかった。

 だからだろうか。別に初めてというわけではないのに、新鮮さを覚えてしまう。


「?」


 俺の視線に気づいた枝折が、ふとこちらを振り向いた。

 宝石のように美しい瞳に捉えられ、つい視線をそらしてしまう。

 と。



 ピンポーン。



 俺の部屋のチャイムが、高らかに鳴り響いた。


『今、チャイム二つ聞こえなかった?』


 クラスメイトの言葉を皮切りに、他の奴らまでざわつき始める。


『つーか、誰のとこから聞こえてきたん?』


『文月じゃね? チャイムが鳴った時、文月ンとこの枠が光ってたし』


『常坂さんのところからも聞こえてきてたよね』


『え? 何でその二人のところから同時にチャイムが聞こえたワケ?』


「…………」


 クラスメイト達が騒然とする中、枝折は顔を蒼白に染めていた。焦燥を顔に出さないように努めているみたいだけど、幼馴染みである俺の目は誤魔化せない。

 俺はノートにペンを走らせ、彼女の方へと近づける。


《とりあえず、二人で玄関に向かおう》


《怪しまれないかな?》


 枝折は筆談で返事をしてきた。


《戻ってくるタイミングをずらしさえすれば大丈夫なはずだ》


《分かった。重音の言うとおりにする》


 小さく頷く枝折を確認したところで俺はペンから手を離し、タブレットの画面に向き直る。


「すいません。誰か来たみたいなので、少し席を外させていただきます」


「私も、インターホンが鳴っているので、見てきます」


『自宅ですものね、仕方がありません。許可します』


 相変わらず淡々とした言葉を放つ佐々木先生に頭を下げつつ、カメラとマイクをオフにし、枝折と共に小走り気味に玄関へと向かう。


「俺は受け取りをして戻るから。枝折は先に戻っててくれ」


「う、うん。分かった」


 枝折を廊下に待たせたまま、玄関の扉を開く。

 扉を開けた先にいたのは配達員だった。海外の両親からの配達物を持ってきたらしい。せめて夜の時間を指定するとか、もう少し気遣いとかできないものだろうかあの親バカコンビは。


 枝折がリビングへ戻っていく気配を感じつつ、宅配物の受け取りを終わらせる。

 そして十秒ほど時間を潰した後、俺も続く形でリビングへと戻ることにした。


「…………」


 不安そうな面持ちでこちらを見てくる枝折に「大丈夫だ」とジェスチャーで伝え、マイクとカメラをオンにする。


「授業を止めてしまってすいません。宅配の受け取りをしていました」


『問題ありません。ただ、今後はなるべく、授業時間を回避した配達時間指定を。授業が止まってしまいますので』


「はい。すいません」


 先生は何事もなかったかのように教科書を持ち直すと、


『では、授業の続きを――』


『その二人の家のチャイムが同時に鳴るなんてすごい偶然っしょ。もしかして、同じ家に住んでるとか?』


 それだけで終わればよかったのに、一人の女子生徒が余計なことを口走った。

 ポニーテールにまとめられたライトブラウンの髪やぱっちりとした目つきが特徴の美少女。クラスの中心人物・小森唯奈である。


 彼女の言葉の直後、画面に映っている全員が沈黙した。その中でも俺は全身の毛穴から冷汗が噴き出るほどに動揺していた。

 タブレット越しに枝折の方を見てみると、彼女もまた顔中にびっしりと冷汗を張り付けていた。よほど慌てているのか、いつもの鉄面皮にも綻びが見て取れる。


『あ、もしかしてスキャンダル発見伝? あたし、記者としての才能あるかも?』


 余計なことを言うな! 頼むから黙っててくれ!

 喉は干上がり、背筋を寒気が突き抜ける。

 頼む、誰も本気にしないでくれ……っ!


『唯奈……』


 心の中で両手を合わせていると、女子の一人が反応を示した。


『まさか、そんなことあるわけないじゃん。だって文月と常坂さんだよ?』


『そうそう。その二人のどこに接点あるんだって感じ』


『でも、二人と同じ中学出身の奴が、昔は仲良かったはずって言ってたけど……』


『あんな陰キャと常坂さんが仲良いとか嘘だろー。たまたま同じ学校だったってだけっしょ』


『常坂さんが気を遣って話しかけてただけかもね』


『そーそー。唯奈、恋愛脳過ぎるよー』


『えぇー。名推理だと思ったんだけどなー』


『唯奈のそういう推理が当たったの見たことないんだけど!』


『『あははははは』』


 疑いの空気はどこへやら。小森の反応をきっかけとして、クラス全体が意味のない雑談に包まれていく。数秒後には俺と枝折のことなど消滅し、昨日見たテレビの話にまで話題が二転三転してしまっていた。


『コホンッ。今は授業中です。私語は慎むように』


『『はーい』』


 クラス全体を包んでいた喧騒を咳払い一つで収める佐々木先生。

 そこからは、いつも通りの授業が再開される。


「……ふぅ」


 窮地を乗り越えられた安心感から、肩の力が抜けてしまう。まさに薄氷の上を歩いているような気分だった。

 というか――。


(俺と枝折が仲良しなはずがない、か……まぁ、そうだよな)


 周りからそう思われているのは分かっていた。そもそもこれは自分が蒔いた種だし、むしろ仲良しだと思っている人がいる方がおかしな話だろう。

 でも、何故か胸が締め付けられる、そんな感覚を覚えてしまっていた。




 機器を無事に脱した後、授業は何事もなく進んでいき、そして授業終了のアラームが鳴り響いた。


『今日の授業はここまでです。次回の授業では教科書の三十ページまで進むので、予習をしっかりしておくように。もちろん、復習も忘れずに。……では、委員長』


『きりーつ。れーい』


『『ありがとうございましたー』』


 終礼の後、佐々木先生がアプリを終了させ、タブレットに再び静寂が訪れる。


「……今度からはミュートにしておいた方がよさそうだな」


「うん。危機一髪だった……」


 ぐでー、とテーブルに同時に突っ伏す俺と枝折。その反動でタブレットが倒れたが、それを気にする余裕はない。

 脱力感溢れる中、ふと枝折と目が合った。


「…………」


「…………」


 数秒間の見つめ合いの後、俺たちは同時に噴き出してしまう。


「くくくっ……思い出してみると、あの時の俺たち焦り過ぎだよな! ほら、文字とかめっちゃ震えてるし……あはははははっ!」


「ふふっ……玄関まで慌てて走っていく重音は、ちょっと面白かった」


「途中で躓きかけたしな! あわや大惨事だったわ」


 つい数分前までは気まずい空気に包まれていた我が家に笑い声が響き渡る。何がこんなにおかしいのか自分でも分からないが、とにかく笑いが止まらなかった。

 そして数分後、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、枝折がふと、こう零した。


「……重音とこうして笑うの、久しぶりかも」


「まぁ、話すらしてなかったからな……」


「うん。だから、重音の笑顔を見るのも、久しぶり。じー」


「おい、やめろ。そんなに凝視するな」


「やだ。じー」


「やめろ、マジでやめろ」


「重音、顔真っ赤になってる」


「人から見られるの慣れてねえんだからしょうがないだろ」


「ふふっ……」


 心の底から嬉しそうに微笑む枝折。枝折の言葉じゃないけど、彼女のそんな顔を見るのは久しぶりだった。

 枝折の視線を手で制しながら、俺は赤面を誤魔化すように声を張り上げる。


「も、もう授業も終わったし、そろそろ帰らないといけないんじゃないかっ?」


 しかし、枝折は荷物をまとめるどころか、立ち上がろうとすらしなかった。


「どうしたんだ?」


「あの、重音」


「何だよ」


「……もう少しここにいちゃ、ダメかな?」


「え?」


 逸らしていた顔を、彼女の方へと慌てて戻す。

 そこには、仄かに頬を染め、上目遣いでこちらを見てくる幼馴染みの姿があった。


「重音と久しぶりにお喋りしたい、から……ダメ、です、か……?」


 遠慮がちに、彼女は言う。

 触れたら壊れてしまいそうなほどにびくびくする彼女の頼みを断るなど、俺にはできなかった。


「まぁ、まだ外も明るいし、少しだけなら……」


「ほ、本当っ?」


「まぁ、どうせ暇だしな……俺と話しても、楽しくねえかもだけど……」


「そんなことない。楽しいよ。だから、もっと重音とお喋りしたい」


 流石に照れ臭いのか、枝折は目を逸らしながらそう言った。ちなみに、顔はさっきまでよりも赤く染まっている。

 まぁ、俺の方も、顔は赤くなっているだろうけど。


「じゃあ、まぁ……もうちょっとだけ時間潰すか」


「うん、うん……お話、しよう?」


「とりあえず紅茶の準備でもするか。すぐに用意するからここでちょっと待っててくれ」


「私も手伝う」


「枝折は客なんだから座ってていいって」


「ダメ。手伝わせて」


「ハイ」


 どうやら、押しが強いところは昔と何も変わっていないようだ。

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