第一章 リモート生活は、ある日突然に③
オンライン授業初日。
枝折は授業開始一時間前に俺の部屋を訪れていた。
「テーブルはそっち側を使ってくれ。対面になるように座れば、互いの姿が画面に映る事もないだろ」
「うん、ありがとう」
枝折は俺に促されるがままに腰を下ろすと、きょろきょろと部屋を見渡し始めた。
「一年前に来た時より、片付いてる……?」
彼女の呟きに思わずびくっとしてしまう。
「……気のせいじゃないか?」
「気のせいじゃない。前までは、壁際に鞄とか置きっ放しになってた」
「何でそんな細かいこと覚えてんだ」
「べ、別に、記憶に残ってただけ。深い意味とか、全然ない」
わたわたと手を振って誤魔化す枝折。
彼女は深呼吸して自分を落ち着かせると、鞄からタブレットを取り出し、こちらを上目遣いで見てきた。
「あの、授業の準備なんだけど……教えてもらっても、いい……?」
「そういえば分からないって言ってたな。ええっと、まずはタブレットを起動して……」
俺の説明に合わせて、枝折はタブレットを操作していく。
手こずりつつも、十分足らずで授業の準備を終えられた。
「……最後に、授業開始五分前にアラームをセットして、っと……。授業時間になったらアプリが勝手に起動するから、タブレットのカメラに映る位置で授業を受ければいい」
「ありがとう。重音はやっぱりすごい。何でもできるんだ……」
「持ち上げ過ぎだ。これぐらい誰でもできる」
「私はできない。だから、すごい」
「すごい、って言うなら、枝折の方がすげーだろ。みんなから人気あるし。入学してから何度も告白されてるし」
「買い被りすぎ。私は、全然すごくない」
枝折は顔を伏せながら、
「……それに、そんな風にすごくても、全然意味ないから……」
「そ、そうか。なんか……すまん」
「うん」
「…………」
「…………」
会話終了。
昨日もそうだったが、話すことが無さすぎる。互いに口下手なこともあり、より一層会話の難易度が跳ね上がってる気がする。
「…………(そわそわ)」
どうやらそれは枝折も同じようで、落ち着かない様子で前髪をいじっている。
ちら、とスマホで時間を確認。授業開始まではもう少しだけ時間がある。重い空気のまま授業を迎えるのはなるべく避けたい。……苦手だとしても、会話でもして時間を潰すべきだろう。
「あ、あー……そういえば、今日は天気がいいな。絶好の授業日和だ」
「うん。雲一つない。きれい……」
「ああ、綺麗な青空だ」
「そうだね……とても、きれい……」
枝折の声が空気に溶け、再びの静寂が訪れた。
スマホを見てみると、まだ三十秒ぐらいしか経っていなかった。
「……さ、さっき家具の話をしてたけど、お前はどんな家具を使ってるんだ? 前に部屋に行った時は全体的に白い家具が置かれてた気がするけど」
「特に何も変わってない。まだ壊れてないし、白、好きだし……」
「そ、そうか……い、色と言えば、俺は黒が好きなんだよ」
「知ってる」
「そ、そうだよな……幼馴染みだもんな……それぐらい知ってるよな……」
「重音は黒い服ばかり着てたから、覚えてる」
「お、俺みたいなオタクは黒い服が大好きだからな」
「オタクと黒、何か関係あるの?」
「黒はかっこいいから、とか?」
「そうなんだ……かっこいいから……」
「お、おう……」
冷汗が止まらない。会話するのってこんなに難しかったっけ。
「…………」
沈黙を誤魔化すように、枝折は長い前髪を指でねじねじ弄っている。
その後もなんとか会話を続けようとするが、俺の会話スキルの低さでは長いやり取りを続ける事は叶わず。
短い会話と沈黙を交互に二十回ぐらい繰り返したところで、ようやく授業開始の時間がやってきた。
「……じゅ、授業が始まるから、準備しなきゃな」
「……(こくん)」
こんな気まずさがこれから何日間も続くのかと思うと、億劫で仕方がなかった。
『……以上で授業を終わります。みんな、忘れずにしっかりと復習をしておくように』
先生はそう言うと、ミーティングアプリを終了させた。
初めてのオンライン授業は接続に手間取った生徒が数人いたりしたものの、つつがなく進行された。
まだ午前の授業が終わっただけだけど、俺と枝折が一緒にいるというのはクラスの連中はおろか教師にすらバレずに済んでいる。テーブル向かいに座っているし、互いに声も発さないから気付かれるわけがないのだけど。
「……ふぅ」
小さい口から吐息を洩らし、そして鞄の中に手を突っ込む枝折。
鞄から出てきた彼女の手には可愛らしい弁当箱が掴まれていた。
「重音。テーブル、借りてもいい……?」
相変わらずの言葉足らずだけど、何が言いたいのかは流石に分かる。
「いちいち許可とか取らなくていいよ。飯ぐらい好きに食ってくれ」
「うん。汚さないように、気を付けるね」
枝折は会釈した後、弁当箱をテーブルの上に広げた。冷凍食品と白飯が敷き詰められているだけの極めて簡素な弁当。そういえば、料理はあまり上手くないんだったっけ。
「いただきます……」
律義に両手を合わせ、箸を持――ったところで、彼女の動きが止まった。
きょろきょろと周囲を見渡し、鞄の中を漁り、肩を落とす。
「どうした?」
「あ、えっと……水筒、家に置いてきちゃったみたい……」
そう言って、枝折は恥ずかしそうに頬を掻く。
「でも、大丈夫。お茶がなくても食べられるから」
「いや無理だろ。喉パッサパサになるぞ」
「ご飯の水分で何とかなる……はず」
「なるわけねえだろ」
「とにかく、大丈夫、だから」
「昼飯を乗り越えられたとしても、まだ午後の授業が残ってんだぞ。授業中に喉が渇いたらどうするつもりなんだ?」
「それは……」
表情の変化に乏しい枝折だから、よくよく見ないと分からない。
でも、彼女の顔は……少しだけ、困ったように歪んでいた。
(こいつ……もしかして、俺に気を遣ってるのか?)
幼馴染みだから知っていることだけど、彼女には他人に対して必要以上に気を遣いすぎてしまう節がある。
今回のような無理を言って俺の部屋を借りている状況で、幼馴染みとはいえ、彼女が俺に気を遣わないはずがない。
彼女と昔と変わらない一面に、つい溜め息が零れてしまう。
「何でそう、不器用なんだよお前は……」
「重音?」
きょとん、とする幼馴染みを手で制しながら、俺はその場に立ち上がる。
「ちょっと待っててくれ」
「え?」
困惑する枝折に構わず、キッチンまで移動する。
棚に入っていたパックを使って紅茶を淹れ、彼女に差し出した。
「こんなんしかないけど、ないよりはマシだろ」
「わ、悪いよ。もらえない……」
「いいから飲めって。つか、幼馴染みに遠慮とかするなよ」
「め、迷惑は、かけたくないから……だから、大丈夫……」
「これぐらい迷惑の内に入らない。だから大人しく受け取ってくれ」
「でも……」
「い・い・か・ら」
紅茶のカップを彼女に無理矢理掴ませる。
流石に観念したのか、枝折はほうと溜息を吐いた。
「じゃ、じゃあ、いただきます……」
「あ、ちょっと待ってくれ」
カップに口をつけようとする彼女を手で制しつつ、シュガーポットから角砂糖を二つ取り出し、彼女に差し出す。
「いつも入れてただろ」
「……私の好み、覚えててくれたんだ」
「あん?」
「角砂糖二つ。いつも、紅茶に入れてたから……」
「あー……」
完全に無意識だった。
身体が覚えていた、とはまさにこのことなのだろう。
「嬉しい……ありがとう、重音」
「お、おう」
正面からお礼を言われ、少々気恥ずかしくなってしまう。
頬を指で掻く俺の前で、枝折は再び両手を合わせた。
「じゃあもう一度……いただきます」
「飯、喉に詰まらせるなよ」
「そ、そんなことしない。子どもじゃないんだから……」
そう言って、枝折はぷくーっと頬を膨らませた。
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