第一章 リモート生活は、ある日突然に②

 枝折に連れてこられたのは、通学路から少し離れた喫茶店。

 そこの一角で、俺は彼女と向き合っていた。


「…………」


 先ほど店員が運んできた紅茶のカップを見つめる枝折。

 緊張しているのか、さっきから肩が小刻みに震えている。

 そもそも喋ること自体が久しぶりだけど、それを差し引いたとしても、こんなに緊張している枝折はここ数年では見た覚えがない。


(まぁ、緊張しているのは俺も同じか)


 口の中がパッサパサに渇き切ってるし。

 実を言うと、彼女に声をかけられた時、どうにかして逃げられないかと考えた。

 自分から突き放した幼馴染みとどんな顔をして会えばいいのか分からなかったから。


 でも、そんな俺の行動を予測していたのか、彼女は俺の服を掴んで離さなかった。

 全身を小刻みに震わせ、そして、目尻に涙を浮かべながら――。


「そ、そういえば、重音のご両親は、元気にしてる……?」


 ここに連れてこられるまでの経緯に想いを馳せていると、突然、枝折が話を切り出してきた。


「今も仕事で世界中飛び回ってるよ。相変わらず変なお土産も送ってきてる」


「そう、なんだ……じゃあ、まだ、一人暮らしのまま?」


「ああ。でも、別にそこまで苦じゃねぇな。家事は普通にできるし」


「重音、昔から家事得意だもんね……」


「必要に駆られてやってたらいつの間にかできるようになってただけだ」


「私は、苦手だから……すごいよ……すごい……うん……」


 再びの会話終了。

 ずっと疎遠だったので共有の話題がそこまでないんだろう。そもそも枝折は人と話すのが得意ではないはずなので、これでも結構頑張っている方だと思う。


「……それで、俺に相談したいことって?」


 必死に会話を展開しようとする幼馴染みをこれ以上見ていられなかったので、結局こちらから話を切り出してしまった。

 枝折はびくんっと肩を跳ねさせるも、深呼吸で自分を落ち着かせ、前髪をいじりながら声を絞り出し始める。


「き、急、だね……びっくりしちゃった……」



「何か話があるっつってたろ」


「う、うん、まぁ、そう、なんだけど……」


 枝折は両手をぎゅっと握る。


「相談というより、お願い、かな……」


「お願い?」


「うん……」


 顔色を窺うように俺をちらちら見ながら、枝折は続ける。


「私は機械に疎いから、今度始まるオンライン授業の準備をどうすればいいのかよく分からなくて……重音さえ良ければ、準備を手伝ってほしくて。タブレットはあるから、ここで簡単に教えてくれるだけで、いいんだけど……」


「教えるかどうかはさて置くとして、ここじゃ無理だと思うぞ」


「え……?」


「いやほら、ここってフリーWi-Fiとかないみたいだしさ」


「わい、ふぁい……?」


 枝折の動きが完全に停止した。口はぽかーんと間抜けに開いている。


「何だその現代人とは思えない反応は。もしかして、Wi-Fi知らねえのか?」


「Wi-Fiは知ってる。けど……オンライン授業って、Wi-Fi必要なの……?」


「そりゃそうだろ。タブレットだけじゃネット繋がんねえし」


「スマホは繋がるのに……?」


「あれはそういうものなんだよ」


「じゃあ、タブレットさえあればどこでも授業を受けられるわけじゃない……?」


「Wi-Fi環境がないと無理だな。つか、先生もそう言ってたろ」


「……専門用語が多くて、私には難しかった」


「学年上位を常にキープしてる才女がそれを言うかね」


 俺の指摘が刺さったのか、むぅ、と枝折は頬を膨らませる。


「うぅ、どうしよう……Wi-Fiの機械、お父さんが持って行っちゃってるんだよね」


「親父さん、今も単身赴任中なのか?」


「うん……色々と、忙しいみたい」


 枝折の親父さんは単身赴任や出張でよく家を不在にする。娘がずっとWi-Fiを使わない状況なのだから、わざわざ家にWi-Fi環境を引く必然性がないんだろう。それこそ、モバイルルーターで事足りる。

 頭を抱える枝折に俺は溜息を零しつつ、


「Wi-Fiがないなら学校で受けさせてもらったらどうだ? 自宅で授業が受けられないなら遠慮なく申し出ろって先生も言ってたじゃん」


「私以外にもWi-Fi環境がない子がいるなら……」


「少なくとも、誰かが先生に『学校で受けさせてくれー』って頼んでたようには見えなかったな」


 先生が教室を出る時に誰にも呼び止められてなかったし、教室でもWi-Fi環境ないよどうしようみたいな会話をしている者はだれ一人としていなかったと記憶している。


「それって、私一人だけになるかもしれない、ってことでしょう?」


「まぁ、他に誰もいないならそうなるだろうな」


「私一人のためだけに教室を開けてもらうのは、流石に申し訳ないし……」


 枝折は顔を隠すように小さく項垂れながら、


「それに、みんなが自宅で受けてる中で、私だけ教室にいるのは、なんか嫌……」


「ンなこと言っても、自宅にWi-Fi環境がないならしょうがねえだろ」


「それは、そう、なんだけど……」


 悪目立ちするのを避けようとするところは、一年経っても何も変わっていないようだ。

 枝折はむーむー唸りながら考え込んでいたが……、


「あの、一つ、聞いてもいい?」


「答えられる範囲なら」


「重音の部屋って、Wi-Fi通ってる……?」


「通ってるよ。オンラインゲームとかするしな」


 むしろこのご時世でWi-Fi環境がない家の方が珍しいと思うんだけど。


「そっか……むぅ……でも、うぅん……」


 頬をむにゅっと抑え、俺の方をちら見し、そして溜息を吐く。露骨に挙動不審だった。


「言いたいことがあるならはっきり言えよ」


「わ、わかった」


 こほん、とわざとらしく咳払いし、枝折は言の葉を紡ぐ。


「お願いしたいことが、あるんだけど……」


「何だ?」


「重音の部屋で、授業を受けさせて欲しい……」


「え。いや、普通にダメだろ」


 俺の部屋を貸すということは、枝折と一つ屋根の下で過ごすということだ。いくら幼馴染みとはいえ、流石に許容しかねる。

 それに、枝折を突き放した俺に、彼女と一緒に過ごす権利なんて、あるはずがないじゃないか。


「つか、そういうのはせめて俺じゃなくて他の奴に頼めよ。クラスの女子とかいるだろ」


「私、友達とか、いない……だから、頼れるのは、重音だけ……」


 ……彼女の言葉に、一瞬、嬉しさを覚えてしまった。

 そして同時に、申し訳なさも浮かんできた。

 幼馴染みから頼ってもらえたことは、すごく嬉しい。

 でも、彼女が独りになってしまっているのは、元を返せば俺のせいだ。


「……じゃあ、なおさら学校で受けるべきだろ。俺の部屋で受けるなんて有り得ない」

 自分への嫌悪感を悟られないように俺は視線を彷徨わせながら、言葉を返す。


「どうしてダメなの?」


「どうして、って……二人で一緒にいるなんて周りにバレたら、迷惑だろ」


「迷惑って、誰に?」


「それは……お前に、だよ……」


「重音と一緒にいることが、どうして私の迷惑になるの?」


「それは……」


「そもそも私たちは幼馴染み。一緒にいても、おかしくなんかない」


「た、確かに、そうかも、しれないけど……」


 何故かぐいぐい来る枝折に押し負けそうになってしまう。

 こいつは一体、何を考えてるんだ。

 俺はお前を突き放して、寂しい想いをさせてきた男なんだぞ。

 なのにどうして、俺に近づこうとしてくるんだ。


「お願い。重音の部屋を貸して。迷惑はかけないから……」


 上目遣いで俺の顔色を窺ってくる枝折。

 疎遠になっていたとはいえ、数年間を一緒に過ごした幼馴染み。

 そんな彼女の縋るような瞳は、俺から逆らう気力を奪うには十分だった。


「……授業中だけでいいんだよな?」


「え? う、うん。授業さえ受けられれば大丈夫……」


「はぁ……分かった。じゃあ、授業中だけ、俺の部屋を貸してやる。でも、お前が俺の部屋にいることは誰にもバレないようにしてくれ」


 枝折と一つ屋根の下で授業を受けているだなんてことがクラスの連中に知られたら、絶対に面倒なことになる。

それに――。


「ありがとう。……でも、本当にいいの?」


 枝折に顔を覗き込まれたので、俺は考え事を中断する。


「お前が頼んできたんだろ。それとも断った方がよかったのか?」


「だ、ダメ。でも、あんなに嫌がってたのに……」


「嫌がってたというか、なんというか……」


罪悪感のせいだ、とは流石に言えないので、言葉を濁した。

俺はうなじを掻きながら、


「とにかく、まぁ、その、なんだ……よろしく頼む」


「うん。よろしく」


 やる気を見せるように、ふんす、と鼻を鳴らす枝折。

 妙に子どもっぽいところは、昔と何も変わっていないらしい。

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