同業者

 生きるのに疲れた。

 今までそう思ったことは幾度とあったがここまで強く思ったのは初めてだ。

 しかしそんな思いに苛まれるのも今日が''最後''となる。

 決して軽やかな足取りではないが、一段一段決意を固めていくように階段を上がり、屋上へたどり着いた。

 しかし俺は足を止めた。

 誰かいる。女性だ。

 その女はフェンスに向かい体操座りをしている。そして忙しなく動き続ける午後三時の東京を茫然と眺めていた。


 女は俺に気づいているようで、振り向きはしないがこう言った。


「君も?」


「え?」


「死ぬんでしょ?」


 女は淡々と喋る。白いワンピースの裾が風に揺られ少しはためいている。


「死ぬの怖い?」


「まだ死ぬなんて言ってないんだけど俺」


「じゃあ何しに来たの?」


「それは……」


 女は顔を両膝の間に埋める。髪が長くて表情は見えない。

「死ぬの怖い?」


 俺は女が見下ろす東京の街にちらりと目をやる。

「まあ、少しはね」


 するとその女はばっと立ち上がり振り向いた。

「一緒に飛ぼうよ」


 死にに来たとは思えない、とても柔らかい笑顔だった。想像以上に若い。女子高生だろうか。

「一緒に飛べば怖くないかもよ」


 俺は少しどきっとした。何故ここまで優しくそんな事を言えるのか。

「まあ、一緒に飛びたいって言うんならご自由に」


 女は更に口角を上げ、目尻に皺を寄せる。

「もう死ぬんだから強がんなくていいのに」


 俺はフェンスを乗り越え、わずか十センチほどの足場にかかとを乗せる。女も俺の後に続いてフェンスをよじ登る。登りづらそうにしていたから少し手伝ってやる。

 目線を落とす。つま先から下は奈落の底。

 上を見上げると雲一つないまっさらで真っ青な空に吸い込まれそうになる。絶好の自殺日和だ。


女と手を繋ぎ、俺は恐怖を全て吐き出すようにゆっくりと深呼吸をした。


「よし、いくぞ」


「せーの」


 目を瞑り、両足のかかとで強く屋上を蹴る。


 しかし俺は目を開いた。彼女の手がするりと抜けたのだ。

 慌てて振り返ると、女は屋上に留まり無邪気な笑顔で私を見下ろしていた。もう俺の下に足場はない。あとは落ちるだけ。


 嵌められた。一緒に飛ぶって言ったじゃないか。

 生きたい。まだ生きたい。死にたかったけど、こんな知らない女に騙されて死ぬのなんてゴメンだ。

 やっぱり怖い。まだ生きたい。

 しかし体は無情にも加速していく。俺は死を覚悟して再び目を瞑った。

 その時、屋上にいるはずのあの女の声が耳元で聞こえた。


「もう来ちゃダメだよ」


 気がつくと俺は横になっていた。後頭部が少し痛む。頭をさすりながら起き上がると、屋上だった。先の出来事は夢だったのだろうか。空は相変わらず透けて見えるように青い。


 ふとフェンスに目をやると菊の花が一輪、献花されていた。

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