第二話

 夏休みが始まって一週間が過ぎた。あれからケンタを探し続けていたがなんの進展もなかった。

 良樹がチラシを作ろうと提案した。なにかのアニメやドラマで電柱に「迷い猫を捜しています」という張り紙が張られているのを見たことがある。良樹はそれを作ろうというのだ。

「どうやって作るの?」とぼくは聞いた。良樹の家の前の公園でぼくらは話していた。木陰にあるベンチで並んで座った。太陽が高い時間でも木陰はひんやりとしていた。

「まずは特徴とー」良樹は持ってきたノートにシャーペンでおおきくごつごつした文字を書いた。とくちょう、とページの一番上に書かれている。続けてその下にいくつかの黒丸を書き足した。

「ここにケンタの特徴を書くの」と良樹が言った。蝉の声がうるさくてぼくらはいつもより大きな声を出していた。

 ケンタの特徴。ぼくは考える。ケンタはどんな犬だったのか。「犬種は~、雑種 かな」良樹はノートにシャーペンを走らせる。「毛がふわふわしてる。けどばあちゃんが切っちゃって、今は毛が短い」

 ぼくは思いつくままケンタのことを語った。

 ケンタは水を怖がった。庭にゴムプールを出して水を溜めて、ケンタと一緒に入ろうとした。けれどケンタを抱き上げてプールのなかにいれようとすると、聞いたことがない声でケンタが吠えた。暴れるものだから驚いてぼくは手を離した。ケンタはゴムプールの浅い水のなかに落ちた。脚がつくのにこの世の終わりのようなうろたえっぷりでケンタは水のなかでもがき、あわててゴムプールの淵へジャンプした。その勢いでゴムプールはひっくり返り、溜めた水は庭の土に吸い込まれていった。

 愛想がよくて知らない人がきても警戒せずに駆け寄っていった。玄関の近くに犬小屋があったが犬嫌いな人が来てもいいように玄関の前までは届かない長さのロープで繋いでいた。それでもケンタはロープが届く限界まで人に近寄ろうとした。良樹はそんなケンタに驚いてぼくの家にはあまり遊びに来なかった(ぼくがそう話すと良樹はちょっと膨れた)。

 特徴を書き込んだら次にページの中央。良樹はノートに大きな丸を描いた。

「ここにケンタの写真を大きく載せる」

「写真?」

「うん。あるでしょ?」

「あるけど、写真はお母さんのスマホの中だ」公園の時計を見るとまだ昼過ぎだった。お母さんは仕事から帰っていない。写真は用意できない。

「じゃあ写真はおいといて、連絡先の電話番号。ミナトんちの番号でいいよね」ノートの一番下に六桁の数字が書き足された。

「これでチラシは完成?」

「うん。後はケンタの写真を載せたらいつでも配れる」

 良樹はノートのページをちぎってぼくにくれた。良樹のあまり上手じゃない字で書かれた紙は、いまいちなにが書かれているか分かりにくかった。けど、こんなものでも張り出せばすぐにケンタが見つかりそうな気がした。

「じゃあお母さんが帰ってきたら写真をもらう。明日これを張りに行こう!」

「うん!」

 ぼくらは明日の約束をして別れた。良樹はプールに向かい、ぼくはケンタを捜してまた町を歩きに行った。



 夕方になって家に帰るとお母さんが夕飯の支度をしていた。写真のことを話すと、お母さんはポケットから携帯電話を取り出しぼくに渡してくれた。たまに借りて遊んでいるから使い方はわかっていた。写真のフォルダを開いてケンタの姿を捜す。

 ケンタの写真は多くはなかった。ちらほらとぼくと一緒に写っているものが何枚かあるだけだ。珍しい大雪が降った日の写真だった。ぼくは厚着をし、真っ白に染まった庭の上をケンタと一緒に並んで写っている。冬毛に雪が絡まってきらきら光るケンタはすてきだった。写真のなかのぼくは笑顔だった。ケンタも笑っているように見えた。でもこのときのケンタは毛が長いからポスターには使えない。次の写真を探す。

 今度の写真は夏のものだった。ちょうど一年前の夏だ。従兄弟たちがうちにきて庭でバーベキューをしたときのものだった。 肉の匂いと賑やかさでケンタも興奮し、従兄弟たちとケンタで遊んだのだった。このときに中学一年生だったハル兄ちゃんはケンタのことが大好きで「うちも犬かいてー」と言っていた。写真はぼくとケンタとハル兄ちゃん、アキ姉ちゃんの三人と一匹で写っている。この写真のケンタの部分だけを切り取って使えばポスターにちょうどいい。ぼくはこの写真に決めた。

「これを紙にするのってどうやるの?」ぼくはお母さんに聞いた。

「紙にするって、どういうこと?」お母さんは聞き返した。

「紙の写真みたいにするにはどうしたらいいの? スマホの画面に映っているままだとだめなんだ」

「えー。そんなこと急に言われても」

 お母さんは夕飯の支度の手を止め、携帯電話をいじり始めた。ぼくも携帯の画面をのぞき込んでお母さんが写真の設定画面を操作するのを見守ったが、全然わからない。

「お父さんが帰ってきたら訊こう」と言って、お母さんは携帯電話をぼくに放り出し夕飯の支度に戻った。


 朝、お父さんが出勤前にぼくにUSBメモリを渡してくれた。昨日の夜のうちにケンタの写真をこのなかに入れてくれたそうだ。

「それを持ってコンビニに行けば印刷できるよ。やり方がわからなければ店員さんに訊けば教えてもらえる」とお父さんは言った。印刷代として五百円もくれた。余ったお金でお菓子でも買うといい、と言ってくれた。

 昼前に公園で良樹を待つ。良樹とはいつも同じ時間に会うから約束もせずに待つようになった。

 公園前の家から良樹が出てくる。手には棒のアイスが二本握られている。良樹の持ってきてくれたアイスを囓りながら、ぼくは良樹に写真の話をした。

「コンビニで印刷ができるんだって。やり方知ってる?」

「知らん」

「じゃあ店員さんに訊くしかないか」

 良樹のくれたアイスはソーダ味だった。口のなかが甘くなったので公園の水飲み場で口をそそいだ。


 コンビニは小学校の近くにあった。学校から買い食いを禁止されているので普段はコンビニに入ってはいけないことになっている。親と一緒のときか、お使いを頼まれたときにしか入店はできない。今回はちゃんと用事があるとはいえ、子供だけで店に入るのは少し緊張した。

 コピー機は店の入り口横にあった。コピー機のモニタには各種の利用メニューが表示されている。USBメモリの画像はプリントするものだとはお父さんから聞いていたのでプリントという項目をタッチする。

 USBメモリの差し込み口が出てきたからそこに差し込む。「案外簡単なんだ」と良樹が言う。指示に従ってやっていれば迷うことなく印刷はできそうだった。まずは従兄弟たちと一緒に写ったケンタの写真をカラープリントする。店のイートインスペースで印刷された写真のなかからケンタだけを切り取り、良樹の作ったチラシに糊付けする。そして、完成したチラシを今度はカラーコピーした。カラー印刷は思ったよりも値段が高く、手持ちのお金では最大で四部までしか印刷できない。ぼくらは二部だけ刷ることにして、余ったお金でお菓子を買った。手伝ってくれるお礼として良樹の好きなグミと、二人で飲むための瓶に入ったラムネを買った。

 公園に戻ってラムネの栓を開ける。飲み口を塞いでいたビー玉を押し込み、密閉されていた炭酸が弾ける。うっすらと青く着色された瓶は日に透かすと空の色がした。炭酸は苦手だったが冷えたラムネはたまらなくおいしかった。

 買ったグミの袋を開けながらチラシはどこに張り出すかを話した。人が集まる場所、そして張っても怒られなさそうなところ。結論はすぐに出て、一枚はこの公園に、もう一枚は学校に張り出すことに決めた。公園の掲示板は長いこと誰も使っていないようで、ラミネート加工されたなにかのポスターが色落ちしたまま放置されている。ただ印刷しただけのチラシは雨に降られたら簡単に剥がれ落ちてしまうだろうけど、それでもいいと思った。張り出せばすぐに誰かが連絡をしてくれる見通しだった。長期間張り出すわけじゃない。もう何が書かれていたのかわからない色落ちポスターの四隅に刺さっている画鋲の底辺にある二つを拝借し、掲示板に留めた。もう一枚のチラシは明日のプール開放日に良樹が張ってくれる。この日はポスターを作ったことに満足して捜索はせずに家に帰った。


 夏休みに入る前に学校からもらったプールの開放日のプリントを見た。関係ないと思って目を通さずにいたプリントだったが、良樹のプールが終わる時間を確認するためにランドセルのなかから引っ張り出した。

 久しぶりに自室の机に座っている。机の上の邪魔な立体迷路は夏休み初日から置きっぱなしだった。夏休みの宿題は手をつけずにランドセルのなかに入ったままだ。ここは一週間前からなにも変わっていない。

 今日のプールの開放は午前中のみだった。いつもの時間に公園に行けば良樹はきっといるだろう。階下からおばあちゃんが呼ぶ声がする。昼ご飯の時間だった。

 おばあちゃんの作ってくれた目玉焼きと味噌汁を食べて家を出た。いつもの公園へ歩いて行く。

 昨日張り出したチラシの効果はまだ出ていないようでケンタの目撃情報の電話は一本もなかった。良樹が出てくる前に公園に着いたので掲示板に張っているチラシの様子を確認してみる。だが、掲示板にはあのチラシの姿はなかった。風で飛ばされないように画鋲を強く押し込んだはずだった。掲示板に残された画鋲を見ると印刷用紙の端が残っていた。いびつな形で裂かれた形跡がある。飛ばされたのではなく、誰かが故意に破り捨てたのだ。


 呆然としてベンチに座っていると、良樹の家の玄関扉が開き、良樹が顔を見せた。その顔は、なにか悲痛な面持ちをしていた。ぼくの隣に座ったが良樹は何かを言いたそうにしながら唇を震わせたまま無言を貫いた。

「なにかあったの?」とぼくが促す。

 良樹は重たい口を開く。「チラシ、プールに持って行って、プールにきていたみんなにケンタのことをきいてみたんだ」

「うん」

「きいて回ったけど誰もしらないって言ってた。しばらくして、浩太もプールにきたんだ」

 浩太。夏休みが始まって一週間、ケンタのことと同じくらい頭のなかを占めていた名前だった。あのとき、「泳げなかったな」と言った浩太の顔が浮かぶ。

「浩太にもケンタのことをきいた。浩太も知らないって言ってた。けど」

 そこで良樹は言い淀んだ。泣く前のように声も震えていた。「けど?」とぼくは言った。

 良樹は息を吸って、不吉な知らせを告げる使者の声音で続けた。

「国道の長い道、あるじゃん」

「うん」

 町の外れに国道がある。車通りが激しいので原則国道付近には行ってはいけないと注意されていた。終業式の日の全校集会でもわざわざ釘を刺されるのは何年かおきに国道で交通事故が起こっているからだ。夏休みのあいだ、ぼくは町のいたる所を走り回った。でも、国道には近づかなかった。



「あそこの道で、犬の死体が車道に転がってたんだって」



 何日か前に浩太が家族で隣町まで車で出かけたときに、国道を通ったそうだ。浩太は後部座席の窓から外の風景をみていた。すると、車道の端に茶色い塊が見えた。タイヤの跡があり、何度か車がその上を走っているようだった。車は走ってその茶色いものの横を通り過ぎて行った。視界から消えたあとで、浩太はさきほど見たものを、犬の死体だと結論付けた。道で動物が轢かれていることは珍しいことではない。浩太は以前にもキツネやタヌキが轢かれたものを目にしたことがあった。しかし、犬の死体は初めて見た。その時はそれ以上に何かを思うことはなかったが、プールに来ると良樹が犬について尋ねて回っていた。犬について知っていることというと、国道の死体が頭に浮かんだ。関係があるかはわからないが、その話を良樹にしたのだそうだ。



 良樹は言い終わると苦しそうな目でぼくを見上げた。ぼくはそんな良樹を眺めていた。

 ぼくが何も言わずにいると、良樹は「きっと違うから。国道に、今から確認しにいく?」と言った。

「いや、いいよ」とぼくは言った。

 ぼくらの間に沈黙が横たわった。良樹は目を伏せてはチラっとこちらを見るを繰り返していた。ぼくはじっと良樹を眺め続けた。

 気まずくなり、でも帰るとも言い出せない良樹のために、ぼくはケンタを探しに行くと言って公園を後にした。

 今まで探してきた道をなぞっていく。何度も歩いた河原の道を歩き、見飽きた風景を歩いて行く。どこまでもどこまでも歩いて行ける気がした。ぼくのなかに無限のエネルギーが宿り、疲れも空腹もなく、一度も休むこともなく、地の果てまで歩けそうな気分だった。でも、空が赤く染まり、町内放送で五時を知らせるメロディが流れ始めると、ぼくは家に向けて歩き出した。学校よりも遠いところまで来ていたので五時のチャイムが鳴ってからでは家に着くのが遅くなる。門限を過ぎてお母さんも帰ってきている時間だろう。怒られるのは怖くないが、怒られたくないと思った。ぼくが家に帰る時間はぼくが決める。

 そしてたっぷりと時間をかけて家に着くと、家の前には人だかりができていた。サイレンは流していないがパトランプを回した救急車が家の前に停まっている。隣に住むおばさんがぼくに気づいてなにかを話しかけてきた。でもその声は外国の言葉のように耳にまったく入ってこなかった。玄関の扉が大きく開かれていた。隣に並んだ犬小屋と併せて、見慣れた家が知らない場所に見えた。

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