汚い話④

「待ってたわ!」


 便座に深く腰掛け、腕を組んで、声高らかに。


 明らかに人を待つのにはそぐわないシチュエーションに、彼が若干狼狽える。


「お……おう、今日は平気そうだな」


「うん。今回は通常のヤツだからね!」


「なるほどな。そいつは良かったぜ」


「ありがとう。ネットの記事を見て人工甘味料を控えてみたら、なんだが調子が良くなったの。ストレスで甘い物ばっかり食べていたのもよくなかったみたい」


「ほう。そんなこともあるんだな」


 彼は感心したように言った。


 俺は物を食わんからな、と付け足す彼に、私は確信する。


「やっぱり、人間じゃないんだ」


 こうしている今も、姿が見えないし。


「え。今更? 俺が人間だったらヤバくね?」


「そんな気はしてたけど……」


「けど?」


 見えない彼が首を傾げた、ような気がした。


 不思議なことに、私には今、彼がどんな表情をしているのかがわかる。


 心の中にもトイレの中にも、私たちの間にはもう壁なんてないのかもしれない。


 そう思うと、胸が切なく温かく締め付けられた。


「あなたが人間だったらいいなって思ってた」


「おまえさん……正気か?」


「もちろん。人生で一番苦しい時にいつも温かく寄り添ってくれたあなたに、私……ほんとうに感謝してる」


「うん。それが俺の生き甲斐だからなあ」


 ぽりぽりと頬を掻く音が聞こえた。


 私は意を決して、彼の両手を握った。


 見えないのに、触れようと思えば触れられる不思議。


 これって、なんかロマンチックじゃない? 運命っぽくない?


「だから、これからも応援して欲しいの。お腹を壊してなくても、私がこうしてトイレにいるとき。……私の一番近くで!」


「そりゃもちろん」


 彼は快く頷いた。


 心が充たされ、私は大きな塊を産み落とした。


 そう……ふたりの愛の結晶を。


 まあ、流すけど。


「しかしまあ……」


 お腹も便器も洗浄され、スッキリサッパリした気分で彼の言葉に耳を傾けた。


 激励の言葉?

 次の逢瀬の約束?


 彼がくれるならなんだっていい……。


「トイレで応援されたいなんて、おまえさん、ウンコも太いけど神経も太いな!」


 だはは。


 その瞬間、私の頭の中でパチンという軽快な音が響いた。


 さしずめ、催眠術を解くフィンガースナップ。


 頭の芯が、すーっと冷えていく。


「……」


「あれ? どした?」


 黙り込んだ私に、男が暢気に声を掛けてくる。


 私は便座から立ち上がり、ぼそりと呟いた。


「がんばり入道ホトトギス」


「えっ!? あっ。あ~~~」


 情けない声を上げて、男の気配は霧散した。


 それ以来、私の前に男は現れていない。



「……ぶっちゃけどうかしてたわ」



<END>



あとがき


 腹痛で気が狂いそうなので書きました。

 トイレの妖精(?)は、トイレに現れるがんばり入道という妖怪がモデルです。

 名前はがんばりですが、応援してくれるわけではないようです。

 調べてみると、いたずらしたり便秘を引き起こすなど、むしろ迷惑な感じです。

 山田さんが唱えたあの呪文で現れなくなるとのこと。

 汚い話を読んでくださり、ありがとうございました。

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