第2話
「さあ、誰から潰そうか!」
「おまえが酔い潰れてるんだよ、自覚してくれ、アルテナ!」
「ねえ、お兄ちゃん、この法螺貝、鳴らないよぉ?」
「やめろフィーネ、法螺貝は鈍器じゃない!」
魔王を迎えての竜宮城での宴は、波乱の幕開けとなった。
アルテナとフィーネが、スピーチに尽力したところまでは素晴らしかった。二人で交互に異種族間の友好の大切さを訴えて、万雷のごとき拍手喝采を浴びたのである。
大役を果たし、緊張感から解き放たれた二人は、魚人の女官から恭しく差し出された杯を、一気に飲み干したのである。それが酒であることにすら気付かないまま……
そして、あっけなく酔い潰れた二人は、付き添い役のアルド諸共、城内の賓客用の一室に隔離されることとなった。どことなく、アルドがギルドナより目立つことが無いようにという、ヴァレスの思惑が感じられたが、元より、妹とその親友を放っておけるようなアルドではない。
ただ、アルドは後に語ることになる。「あれは実質、ジオ・アンギラスとの千日手だったよ」と——
「ようこそ魔王!こっちの時代の竜宮城にまで足を延ばしてくれて、どうもありがとう!
それじゃあ、みんなで二次会、張り切って行こう!」
第二十五代のオトヒメたるシーラは、普段と変わらず、さばけた笑顔で宣言した。
一次会を終えてなお飲み食いに飽き足らない猛者だけが、城内の時空の穴を通って百年ばかり遡り、この二次会に馳せ参じたというのが、彼女の認識である。オトヒメは二人も必要無いはずだからと、シーラ自身は一次会には出席しなかったのだ。
残念ながら、アルドを含む数名が早々に脱落したらしいが、宴での無理は禁物、竜宮城を我が家だと思ってゆっくり休んでほしいと、部下に言伝を頼んだのである。
だが、皆が歓声を上げて酒食に飛び付く中、シーラは、その輪の中に繰り出すことを許されなかった。
オトヒメと魔王は、上座に二つ並べられた玉座のごとく豪華な椅子に腰を下ろし、ずらりと居並んだ楽人たちによる御前演奏を聞くべしという式次に阻まれたのである。
シーラは、斜め後ろに向かって、不満を漏らした。
「ちょっと大臣!こういういかにもなことは、一次会で済ませてくれたんじゃなかったの?」
控えていたアンモナイト大臣は、涼しい顔だ。
「如何にも。イカのオトヒメ様と一次会でもやりましたなあ。よって、魔王様にとっては二回目です」
「マジ!?」
「曲目は先程とは変えてあるようだ。一段と優雅な音色だな。我ら魔獣は戦闘には秀でているが、歌舞音曲については、竜宮城の楽人たちに一日どころか千年の長があると認めざるを得んだろう」
ギルドナは、足を組んでゆったりと着座し、アゲアゲとは言い難い儀式用の音楽を楽しんでいる。少なくとも、そう見えるのだった。
「今のギルドナが、とっても王様らしいってことだけは、あたしにもわかる……」
シーラは、アルドを介してギルドナとも面識があった。だが、寡黙な仕事人のような剣士という印象しか無く、こんな一面もあるとは思いも寄らなかったのだ。
「見習ってくだされ、シーラ様!」
アンモナイト大臣は、少なからず語気を強めた。
「そんなこと言われても、お腹空いたよう。あたし、この宴に全力投球するために、お昼の竜宮そばは泣く泣く半分残したっていうのに……」
「かーぁあつ!一次会のオトヒメ様はおっしゃっておいででしたぞ!フードロスの無い健全な宴会文化を、子供たちのためにも発展させてゆこうと!」
「うぅ……今ならあたし、わかる気がする。一杯の竜宮そばを買うためにバケツ一杯の竜宮真珠が必要になった民の嘆きが!ああ、お昼に残したそばが恋しい……」
因みに、真珠の価値が大暴落したのは、かつてのシーラの失政のせいである。
「その嘆きをとくと味わいながら、水を飲んで過ごすがよろしかろう!
式次第にすら目を通しておらなんだとは、言語道断ですぞ!」
(強いな)
主君に対する大臣の出方に、内心、ギルドナは舌を巻いていた。
そもそも、宴を二つ掛け持ちする主賓の負担が過剰にならぬよう、上座の二人が、杯のみを手にして歌舞音曲を鑑賞する時間帯が設けられていると聞いていた。それが、こんなオトヒメお仕置きタイムと化そうとは。ギルドナの杯には、軽いが悪くはない酒が注がれているのだが、シーラの杯の中身は、酒でも果汁ですらもなく水だというのか?
それはさて置き、二次会という位置付けの宴だけに、砕けたコミュニケーションを仕掛けてくる者たちも、中にはいた。大柄な二足歩行のセイウチが数名、魔王の斜め後ろに控えたヴァレスに歩み寄ったのだ。
「なあ、魔獣の兄ちゃん、俺たちが竜宮城名物——踊り食いを伝授してやってもいいんだぜ?」
「踊り食い?それは、東方にも伝わる、鮮度を最優先として、食材を生きたまま提供する趣向のことですかな?」
ヴァレスは、眼鏡をクイッと持ち上げた。
「違う違う!俺たちの踊り食いってえのはなあ、宴会料理がいかに美味いか、食いながら踊りで表現するってえ高尚な趣向よ!」
「ヴァレス、行ってくるがいい」
魔王に流し目で言われて、忠臣は「御意!」と張り切った。
「なんだ……眩しい!」
「目がぁ……目がぁ!」
自分たちよりは小柄な魔獣を取り囲んでいるつもりでいたセイウチたちは狼狽えた。
燦然と金色に煌めく変身を、ヴァレスは数瞬で完了したのである。
そして、セイウチたちをも凌ぐ巨体をお披露目すると、鋭い牙の生え揃った口で笑い、「それでは、案内してもらおうか」と促した。
頭の角で身長を荒稼ぎしやがって!……などと悪態をつかれても、どこ吹く風だった。
「もぐもぐ、はむはむ、てけりりてけりり、ばりばり、ごっくん。
あ、私は、こっちの時代では、通りすがりの食客だから、おかまいなく。
それにしても、あなたって美味しそう。逆立ちしたカブトガニみたい。頭から立派な尻尾を生やして……
え、違う?」
ヴァレスが持ち場を離れて程無く、ギルドナの前に、大きな皿が置かれた。そこには、立食用に供されている料理が、前衛的なセンスでデカ盛されていたのである。
「これ、私から。どうぞ召し上がれ」
ナギの仕業であった。
「これはこれは。有り難く頂戴しよう」
ギルドナは、間髪入れずに応じた。
そして、空腹のあまり白目を剥いていたシーラは、料理の匂いによって瞳孔を取り戻したのである。
見れば、ギルドナのために用意されたのと同じようなデカ盛の皿が、ひとりでに空を飛んで、彼女の方へとやって来るではないか!
それは、夢でも幻でもなかった。そして、皿が飛行しているのにも訳があった。
「ピピ、シーラの前に置いて。これ、私からだからね」
ナギが可愛がっている、謎めいた小動物が、皿を運んでいたのである。
「ナギ、ピピ、どうもありがと〜〜」
シーラは、ピピのピンクの平べったい体を手に取り、頬ずりした。
さすがのアンモナイト大臣も、ナギに出て来られては、「ぐぬぬ」と異議を呑み込むより他に無かった。
やがて、ヴァレスは戻って来た。そして、料理を口に放り込んだ状態で、片足で飛び跳ね、腰をくねらせ、大胸筋をぴくつかせるという、覚えたての踊り食いを、両サイドにセイウチたちを従えて披露したのである。
竜宮城の楽人たちもよく心得たもので、アップテンポな演奏に切り替えて、宴会芸を盛り立てたのだった。
「あはは、すごいすごーい!」
シーラは、手を叩いて喜びながら、ギルドナに顔を寄せた。
「さっきはありがとね」
彼が、ヴァレスを伝言役に仕立てて、ナギに料理を運ばせたことくらいは、彼女も察しているらしい。
「ねえ!踊り食いの次は、あたしと手合わせしてくれない?ちょっと槍を振るって腹ごなししてから、もっかい本気で食べたいし!」
(そう来たか……なぜ気付かん?大臣たちが小煩い視線を寄越している。確実に減点されているぞ?)
「オトヒメよ、魔王の力を侮ってくれるな。そして、己れの力も侮るべきではない。我らが軽く手合わせしただけでも、せっかくの宴が竜宮城ごと吹き飛びかねんぞ」
「そっか……じゃあさ、ちょっと海へ出て、本丸の裏でやるってのはどう?」
(違う、違うんだ、場所の問題ではない!俺まで大臣の肩を持ちたくなってきたぞ、アンモナイトに肩があるのかどうかは知らんが)
「……オトヒメ様ぁ〜」
それは、大臣の声ではなかった。そして、大臣の声よりも低かった。
「チヨ!?」
シーラは心底驚いた様子だった。侍女が、怨嗟たっぷりの低音ヴォイスを発したばかりか、ふんすふんすと鼻息も荒く肉迫してきたことに。
「おらは、何が何でもシーラ様と添い遂げるつもりだっぺ!だのにシーラ様は、殿方と夜の海へと逃避行なさるおつもりだべかぁ〜〜?」
(怖いぞ)
「ちょっとチヨ、あんた酔ってんの?もう、話をややこしくしないでよ!」
「そう、話は簡単なのだ、オトヒメよ。宴の終盤には御前試合が予定されている。それに先立ち我らが手合わせなどしたら、試合に出場する臣下の心意気に水を差すだろう」
(あるいは余分な火を点けてしまう)
シーラは、泣き出したチヨにポカスカとぶたれるのを甘んじて受け止めながら、視線を宙に泳がせていた。
(御前試合か〜、誰が出るんだろ?あたしが指名したのかな?覚えてないや、あたしが酔ってたのかな?……といった顔だな)
ギルドナは、彼女の表情を黙読した。
「ミュルス!」
そして、急遽臣下を呼び寄せたのである。
「はいはーい、何でしょうか、魔王様」
ミュルスは、一陣の風のごとく駆け付けた。ヴァレスの妹だけあって、肝が据わっており、才覚のある娘だ。
「オトヒメとその侍女のために、一曲歌を」
ミュルスは、驚いたように両手を頬に当てたが、すぐに胸に手を遣り、呼吸を整えると……得意の子守唄を披露した。オトヒメ主従を母子に見立てたのである。
竜宮城の楽人たちは、目配せし合って、穏やかな伴奏を開始する。
ギルドナは、手指で膝をタップしながら耳を傾けた。
チヨは泣き止み、オトヒメをはじめとする竜宮城の皆が、どこか懐かしいその歌声に聞き入ったのである。
「何とまあ、魔獣の歌姫も、なかなかに素晴らしいではありませんか!」
子守唄が終わると、アンモナイト大臣は、いち早く褒めそやした。そして、竜宮城は、温かな拍手に包まれたのである。
やがて、その時がやって来た。いよいよ御前試合である。
立食用の卓は片付けられ、上座に居並ぶ王たちの前に、試合に臨む選手たちが現れる。
それは、片やチヨであり、もう一方はミュルスだった。
アルテナの側仕えを務めることの多いミュルスだが、彼女が酔い潰れた後も宴に参加し続けていたのは、御前試合への出場を拝命していたからに他ならない。
「嗚呼、ワカメスープ……」
ナギは呟いた。もちろん、御前試合に言及したわけではない。
去り行く食卓を見送りながら、絶品だったそのスープをもうおかわりできないことを嘆いたのである。
「ミュルスさ、さっきのお唄は染みたべ。おらの本気を見てくんろ。シーラ様のお側を一生離れないために、竜宮城一番の侍女に、おらはなるだ!」
チヨは、戦闘時の相棒たる空飛ぶカメを呼び寄せ、ふわりと飛び乗った。
「私だって魔王様のお側を離れない。一生離れないんだから!」
ミュルスは、戦闘形態へと変身した。巨大なウサギの姿に、竜宮城の民はどよめく。
二人はいよいよ、竜宮城本丸にて、一定の距離を置いて向かい合った。
アンモナイト大臣が、「始め!」と叫んだ。
ナギは、「ワカメスープ……」と、未だ悲嘆に暮れていた。
チヨは、カメをかっ飛ばした。
その勢いを乗せて攻撃してくるに違い無い。
ミュルスは、軽快なフットワークでジグザグに飛び跳ねながら、巨大なウサ耳の先端に生えている拳を、これ見よがしに開閉した。
ウサ耳でチヨ自身を狙うと見せ掛けつつ、跳躍力に物を言わせて、カメに飛び蹴りをお見舞いしてやる!
「うぱ?あぱぱぱーーーっっ」
チヨが鳴いた。鳴きながら魔法を放ったらしく、ミュルスの頭上からは土塊が降り注ぎ、足元からは鋭い岩が生え、四方八方へと伸び上がった。
「どこ狙ってんのよ!」
チヨの魔法は攻撃範囲が広大だが、脚力で切り抜けつつミュルスが煽った時……
なんと、チヨは自ら身投げしたかのように、カメから転落してしまった。そして、カメは、酷く怯えた様子で、さっさと姿を消してしまったではないか!
「チヨ!」
「ピピ!」
「ええい、中止じゃ中止!」
大臣が試合中止を宣言するよりも一瞬早く駆け出したナギが、仰向けに倒れたチヨの元に真っ先に到達したのだった。
「うぱぱ?おらの世界は、一面のピンク色だべさ〜」
チヨには未だ大事は無いようだ。しかし、一秒後の身の安全すら保障はできない。
なぜなら、彼女の目元には、ピンクの小動物が吸い付いて不穏な動きを示していたからだ。
「ピピ、離れなさい!チヨを食べちゃダメ!」
ナギは、必死に呼び掛けた。
「そりゃあ、眼肉は美味しいよ……じゅるり。
でも、チヨは、竜宮城の大切な仲間だから、絶対に食べちゃダメなの!」
果たして、ピピは、チヨから離れると、ナギの顔の周囲を飛び回った。
「ピピピピピピピピ!」
「え?『カメを吸う』?私はそんなこと言ってないってば!」
ピピ語はナギにしか通じないが、どうやら齟齬が発生しているようだ。
「横から失敬。もしや、『ワカメスープ』のことでは?」
口を出したのはヴァレスである。実は、ナギが、ワカメスープとの別れを服喪しそうな勢いで悲嘆するのが、嫌でも印象的だったのだ。
「なるほど。幼子は時として、聞き取れる言葉だけを繋げて、妙な勘違いを致しますからなあ」
アンモナイト大臣は、得心した様子だった。
「え?大臣にそんな子供がいるの?」
「おりますとも。それはそれは元気一杯の女の子で、名前はシーラ……」
「あーっ!聞こえない聞こえない!」
シーラは耳を塞いで頭を振ったが、その場から逃げ出すことはなかった。チヨに膝枕をさせていたからだ。
チヨは、ミュルスから回復魔法を施されたこともあり、「極楽だっぺ〜」と、むしろ幸せそうな笑みを浮かべているのだった。
「ミュルス、よくやった」
ギルドナに称えられて、そこにもまた、笑顔の花が咲く。
「そっか。カメを吸ったら、私が喜ぶと思ってくれたんだ」
ナギはピピを抱き締め、ピピもまた嬉しげに鳴いたのだった。
ギルドナが賓客用の一室に入ると、アルドが床に倒れ伏していた。彼が、震える指を向けた先には、豪華な寝台があり、アルテナとフィーネが、すやすやと寝息を立てているのだった。
「寝顔は天使だな。アルドよ、礼は言っておく」
人間の兄妹は、オトヒメたちの厚意により、宴の興奮が冷めやらぬ竜宮城に、そのまま一泊することになった。
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