第14話 高瀬
それから一週間ほど経ち新年の気分も薄らいできた頃、高瀬は橋本にメールをしてみることにした。二人で偶然出会い飲みに行った日に連絡先を交換したが、それ以降連絡は取っていなかった。
年末は普段出来ない家族の相手で手一杯だったし、年始になると仕事関係の付き合いが始まって忙しかった。それでも橋本のことはずっと気にかかっていた。
年末のあの日偶然橋本を見かけた時、強烈な感情が沸き上がってくるのを抑えることは出来なかった。10年経っても高校生の頃と変わらない橋本は、昔の幼馴染みであると共に、どこかに忘れてきた自分自身の片割れのようだった。
高瀬は早くから計画的に『組織』を脱退しその後の人生に向かっていった。高瀬にとって生きることは闘いそのものだった。何故自分自身がそう思い、立ち向かうことが出来たのか理由は分からないが、それは幸運なことだろう。とにかく必死で生きて、死に物狂いで仕事に励んできた。仕事をしていれば理不尽だと思うことは沢山あるが、自分の生まれという最大限の理不尽を思えば大抵の事は飲み込める。
最近では結婚も果たし来春には子供も産まれる予定だ。別に世間的に見れば特別な成功者というわけではなく有り触れた人間だろうが、子供の頃をふと思い出すと高瀬は誇らしい気持ちになる。腐り切っていた状況から自分の努力以外の何物にも依らず抜け出したのだ。子供の頃の自分にもしも会うことが出来たならば、涙を流しガッツポーズを見せ付けてやりたいくらいの気持ちになることがあった。だけど同時にそんな自分の気持ちが正しいのだろうか?と不安になることもあった。いつの間にか自分は傲慢で鼻持ちならない人間になっており、何か大事なものを見落としているのではないだろうか? そんな時だった、橋本に会ったのは。
橋本を一目見て「コイツは今も過去を引きずっている」と確信した。それと同時に自分も同様に育てられてきたことを思い出した。自分がコイツと同じような30歳を迎えていたかもしれない、と考えると震えるほど怖くなった。同時に幼い頃の思い出が一気に蘇り「なんとかコイツを救ってやりたい」と思ってしまったのだった。……いや結局はコイツも他人だからどうするかは本人しか選べないのだが、こんな状態のコイツを見て手を差し伸べない自分など許せなかった。
橋本と話すうちにその気持ちは強まっていった。その途中ふと両親が言っていた丸田京子のことを思い出した。彼女のことは自分で話し始めてから徐々にその輪郭を思い出していった。今も組織に留まっている彼女のことを橋本と同列には考えられなかった。だけどそれと共に改めて、組織・宗教というものが今もこんなに自分たちを苦しめているという現実に愕然とした。橋本に京子へコンタクトを取らせようと思い付いたのは、二人が接触すれば何か起きるんじゃないか?という淡い期待を込めてのことだ。
しかし待っていた橋本からの連絡は来ず、年が明けて今日の昼間に母親から送られてきたのは「京子ちゃんが無事結婚しました」というメールと彼女と結婚相手との写真だった。
「……まあそうか。上手く行かなかったか……」
仕事にのめり込んでいった時期からの癖で、思考を口に出して呟いてから高瀬は苦笑した。幼馴染みの結婚の報せを受けて「うまく行かなかった」はないだろう。実際彼女が結婚したということを聞き素直に祝いたい気持ちもある。ただ、どちらかと言えば気になっているのはやはり橋本の方だ。橋本は京子に連絡をしてみたのだろうか?
酒の勢いもあり橋本に「京子のこと奪っちゃえよ」とけしかけたが、実際にそうなるとは夢にも思ってはいなかった。ただそうなったら良いのにという気持ちも本当だった。和郎と京子という二人の幼馴染みを救いたい、そして自分を苦しめてきた組織に対して復讐したい、その為には自分の言ったことが実現するのが最も望ましい形だったろう。ただまあそんな奇跡みたいなことは起きず順調に物事が進んだということだ。
「お疲れ。丸田京子とは会えたかい?母親から彼女が無事結婚したって連絡が来たよ」
橋本へのメールの文面は散々悩んだが結局シンプルなものになった。
返信が来たのはその日の夜だった。橋本からは京子と会った際の詳細な様子が送られてきた。
(……へえ、和郎にも熱い部分があったんだな)
自分のけしかけたこととはいえ、橋本本人に行動をするだけの気持ちがなければこういった事態にはならなかっただろう。やはり根底にあるのは自分と同じく組織への憎しみだということを確信して嬉しくなった。
しかし橋本のことが心配にもなった。人と深く関わらない生き方を選んできた彼にとって、今回のことは心理的に相当なダメージなのではないだろうか。勇気を出して踏み込んだ瞬間に出鼻を挫かれるのは一番ダメージが大きいものだ。
「和郎も大変だったな。まあ過去は気にせず頑張れよ」
と送ると今度はすぐに返信が来た。
「大丈夫!今はすごく前向きな気持ちが強くなってる。京子と話した次の日に、親ともう一度深く話し合ったんだ。親とは縁を切るつもりでいるし、これからようやく自分の人生を生きていけるような気がしている」
(……おいおい、いきなり縁を切るとか大丈夫か?)
高瀬自身も親との絶縁を考えたことはあった。だが社会に出て色々な人と接していると、親との関係が良好な人間な方のが圧倒的にウケが良いことを知った。大人になり、親に与えられる些細な鬱陶しさよりも周りの人々の印象という実利を取ったのだ。
だから橋本の行動は勢いのあるものとして嬉しくもあったが、もう少し時間が経ってから後悔しなければ良いが……と心配でもあった。いずれにしろ物理的な距離が有ることは百も承知で橋本の今後を出来る限り支えていきたいと思った。
「分かった、何かあったらまた連絡してくれ。頑張れよ!」
形式的な文面に思われるかもしれないが本心だった。高瀬にとって橋本は幼馴染みであり同じ苦しみを分かち合った唯一の存在ななのだ。
(……そういえば京子はどう思ったんだろうな?)
橋本からの告白を受けて京子はどう思ったのだろうか?少しはぐらついたのだろうか?今も組織の教理を信じて実践しているのだろうか?彼女は橋本と同様の幼馴染みだったはずだが、とても遠い存在になってしまったようだ。
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