第13話 新年

 新年の1月4日を迎え橋本は日常に戻っていた。

 毎朝5時に起き、妙齢のおじさんおばさんと顔を合わせ、誰にでも出来る単純な仕事をこなしてゆく……そんな下らない日常が戻って来てくれることが今の橋本には有り難かった。まずはこの日常をベースにして一つずつ自分の為すべきことを為してゆけば良い。新年なんていう区切りは下らないものだと思っていたが、自分を前に進めるには丁度良い区切りだろうし、なんだって利用すれば良い。

 もちろん前向きな気持ちだけではない。両親、高瀬、丸田……それぞれと向き合う中で自分が如何に成長していないかを散々実感させられた。組織を離れてからのこの十数年で自分だけが全く成長していないように思えた。高瀬には思いっきり劣等感を感じたし、両親と丸田には自分がいた場所が如何におかしかったかを再確認させられた。

 それでも過去を受け入れ、自分の生きたいように生きてゆける……何故ならもう自分は自由なのだから。そんな前向きな気持ちになっていた。




 午後3時、橋本の新年初日の仕事も終わりに近付いていた。

「橋本君、きしめんありがとね」

 帰り支度をしていると水田が声を掛けてきた。朝出勤してきた時に水田にお土産のきしめんを渡したのだが、テナントへの新年の挨拶だとか自社の会議だとかで水田はほとんど控室におらずゆっくり話す時間もなかったのだ。

「いえいえ、どのきしめんが良いのか分からなかったんですけど大丈夫ですか?」  

 水田に渡したきしめんは、結局名古屋駅のお土産コーナーで適当に選んだものだった。

「ああ、まあ俺もきしめんの味なんて分かんないけど、普通にお土産で売ってるものなら大丈夫でしょ」

 いや、あんたがきしめんがどうしても食べたい!って言うからこっちはわざわざ帰省して余計な思いまでして買ってきたのに、何でも良いんかい!と言いかけたがそこはグッとこらえた。

「どうだった?久々に実家に帰ってみて」

「うーん、どうですかね。まあ俺は正直東京に出てきて良かったと思いましたね」 

 橋本はあえて抽象的な答え方をした。家族とのいざこざをイチイチ説明する気にはなれなかった。……まあ水田のことだから話せば真摯に応えてくれるかもしれないが。

 橋本の微妙な返事を聞いて水田もそれ以上は突っ込んではこず、自分のことを話し始めた。

「俺も久々の長期休暇で家族と過ごしたんだけどさ、逆にストレス溜まっちゃったよ」

「へー、どうしたんですか?」

 水田が家族のことや愚痴っぽいことを話すのは珍しいので、橋本は聞く体勢を取った。

「ウチは小6の息子と中1の娘なんだけど、二人とも反抗期っていうのかな……しばらくゆっくり話さないうちに一気にそんな感じになっててさ。まあ俺のことを無視するしバカにした物言いをするしで、本気で腹立って怒鳴っちゃったわけよ。……でも娘の方はそれでも冷静でさ『お父さん今の本気で自分が正しいと思ってる?』とか言ってくるわけよ。……ありゃあ将来中々大物になるかもな」

 そういうと水田は小さく笑った。

「え?娘さんにそんなこと言われて黙って聞いてたんですか?」

「いや、その場では勿論余計に怒鳴ってやったよ。……でも後から娘の一言がボディブローのように利いてくるわけよ。『本当に俺が正しかったのだろうか?』って何度も考えて、考えれば考えるほど俺が間違っていたような気がしてくるの。……こっちも親だから『絶対正しい』みたいな顔で子供を叱らなくちゃいけないんだけどさ、はっきり言って何が正しいのかなんて分かんないよ。こっちだって親をやるのは初めてなんだもん」

「え?……で、その後娘さんに謝るんですか?」

「いや、流石にそれは父親としての面子があるからさ。……うまいことかみさんを通して娘に謝らせて、実際は子供達の意見を通すわけよ。……俺と子供達だったら子供達の方を俺は信じるからね」

 そういう水田の顔はどこか誇らしげだった。親としての自分を信じれない…という親失格間違いなしの発言をしておいてどうしてそんな顔が出来るのか驚きだったが、正解なんて分からないと言える強さが水田にはあるのかもしれない。


 多くの親は子供に最短距離で幸せに向かわせようとしてしまう。親が子供を信じて自由を与えれば問題は遥かに少ないのかもしれない。水田の家は良い例だろう。(……この人が自分の親だったらどうだっただろう?)

 という妄想が始まりそうになって橋本はすぐにそれを打ち消した。

(……そんな有りもしない現実を考えている暇は無い。ここからの俺の人生を充実させる為にどう出来るか、それだけを考えろ!)

 親は子供の幸せを第一に考えている。そのことは今回帰省して実際に親と接しても変わらなかった。だから自分のしたいようにすることが結局親の為にもなるのだろう。橋本は結局そう結論を出した。



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