第11話 内省
時刻はまだ午後4時。流石ににまっすぐ帰って両親と顔を合わせる気にはなれなかった。
喧騒のショッピングモールを出ると橋本の足は通っていた小学校に向かっていた。
思えば小学校の頃が一番楽しかった気がする。まだ色々な歪みが顕在化する前の段階。もちろんその萌芽はあったが、小学校高学年の頃は自分自身の抱えたそうした複雑さを楽しめている……周りの子供と比べて問題を抱えていることに優越感を感じるだけの余裕があった。
いや、多分どこかで問題が解決するような楽観的な見方をしていた気がする。親がどこかで心変わりをして宗教を捨てる、或いは誰か親切で強い大人が現れて「宗教なんて辞めな」と言ってくれる……時間が経てばそれだけ可能性は広がるように思えた。……でももしかしたら本当にハルマゲドンが来て、そうしたら心の中でこんなことばかり考えている自分は真っ先に滅ぼされるんだろうか?それならそれでも構わないと思っていた。
だけど結局時間はどんな答えも与えてはくれなかった。
15分ほど歩き、通っていた小学校に着いた。当然校門は閉ざされていた。それでも外周をぐるりと一周すると色々なことが思い出された。橋本は子供の頃サッカーが好きだった。足も速くキックも強かったから、授業でやるサッカーでは結構活躍出来た。当然部活の始まる4年生になれば自分もサッカー部に入るものだと思っていたが両親は部活をさせなかった。
組織の方針だ。部活動で体力を使い果たしては毎日の宗教活動に支障が出る、スポーツという勝負事に真剣になることを神は喜ばれない、部活の友達が良くない交遊関係にも成り兼ねない……というような理由だったと思う。
馬鹿か!と今思い出しても腹が立つし、この点だけでも両親のことは今でも恨んでいるし、両親を殴ってでもこの時点で反抗しておくべきだったと後悔している。
まあでも馬鹿の子供はどうしたって馬鹿なんだろう。自分のさっき仕出かした行動を思い出して恥ずかしさの余り死にたくなってくる。何故京子にあんなことを言い出してしまったのだろう。
向こうが思いの外フレンドリーで昔の彼女のままだった、とでも思ったのだろうか?自分の言うことを全て受け入れてくれるような気がしたのだろうか?いや京子は子供の頃と同じ強さ・純粋さでもって神の教えを守ったのだから、橋本の思った以上に昔のままだったと言えるかもしれない。
いや…京子が橋本の気持ちを受け入れるかどうかはあまり考慮していなかった気がする。産まれてからずっと狭い状況にいて他の世界が見えていない彼女に違う世界を見せてあげたい……いや彼女も社会に出て働いているのだから薄々感じているはずで、その状況から連れ出してくれる誰かをずっと待っていたはずで、もしかしたら自分がそれになれるんじゃないか……そんな気がしていたのかもしれない。まあ単純に自惚れていたのだろう。数時間前の自分が本当気持ち悪く思えた。
しかしそれだけでなく、橋本自身も変わるためのきっかけを必要としていたということかもしれない。京子がもし自分と一緒の道を歩んでくれるならきっと生まれ変わったようなモチベーションでこの先生きていけるような気がしたのだろも。
まあでも……ともう一段階冷静になると自分のしたことの馬鹿さ加減が改めて際立ってくる。京子への気持ちは彼女の為になりたいたいという純粋なものではあったが、それならそれでもう少し彼女の事情を考え、ゆっくりと事を運ぶべきだった。誰に尋ねてもそう言うだろうし、橋本自身もそう思う。一方的で自己中心的な感情の吐露でしかなかった。……まあそういうコミュニケーションしか出来ないような状態に橋本はあったわけだが。
……ともかくこれで幼い頃の思い出も汚く塗りつぶしてしまったということだ。幼い頃の記憶は淡い可能性を伴ったものとして保存しておくべきだっただろう。
だがどこか吹っ切れた感じがしていたことも事実だった。これで組織に対して一片の未練も無くなったとはっきりと言える。組織・宗教というものを唾棄すべきものとは以前から思っていたつもりだったが、よりその気持ちは強くなった。これでようやく、自分の人生の次のステージへとようやく向かえるのかもしれない。と橋本は感じていた。
その一歩を確実なものにするためには次はどうすべきだろうか? そこからまた近所をぐるぐる散歩してから帰宅すると、時刻は午後6時を過ぎていた。
「お帰り。今日はどこに行ってたんだ?」
父親も10年ぶりに帰省した息子にすっかり慣れたようで、高校生の頃のように接してくる。
「ああ、ちょっとね……」
さすがに橋本は反抗期だった高校生のように無視はしなかった。しかし言い換えるならば反抗期の橋本の反抗も無視程度でしかなかったのだ。橋本は特別男性ホルモンが強いタイプではないが弱いタイプでもない。思春期の感情の強さ、溜め込んだフラストレーションの量を考慮すればもっと爆発的な怒りが表出されてもおかしくはなかったのだが、そこは気質的な優しさだったのだろうか?逆にもっと分かりやすい反抗期を迎えていたら、この年齢まで引きずることは無かったのかもしれない。
「もうすぐ晩御飯出来るからね!」
キッチンから届いた母親の声も昔に戻ったようなものだった。だがどこか浮かれた声にも聞こえた。組織ではクリスマス・元旦といった行事を『異教の祭り』として祝わないが、世間の空気に釣られてなんとなく特別な空気があることは否めないだろう。
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