第10話 二つ目の再会

 翌日の12月30日の午後2時、橋本はほぼ十年ぶりに丸田京子と再会した。場所は橋本の家から徒歩10分の所にある例のショッピングモールのカフェである。

 十年ぶりの再会だから彼女を見つけられるか不安だったが、彼女の方から声を掛けてきた。

「和郎君?わあ、久しぶり!大人になったね!」

 京子はジーンズにスニーカー、白いセーターの上にダッフルコートを着ていた。

 十年の歳月を経ても彼女はあまり変わっていないように見える。

 高校生が地味目な大学生になった程度の変化とでも言うか……これで30歳には見えないだろう。ただそれでもその微妙な変化を垢抜けた、と橋本は表現したくなった。

(……おうこれこれ。この顔だよな)

 加えてその表情からはこの組織の人間特有の過剰なまでの善良なオーラが漂っていた。駅前で宣教の為に立っている彼らと同じオーラである。

「久しぶり。一応これ結婚祝い……」

 橋本は手に持っていた包みを京子に渡した。祝い金や高価な物品を送ることは戒律上良しとされていなかったように記憶していたので、さっきショッピングモールで買ったゼリーの詰め合わせを渡した。

「わ、ありがとう。気を遣わせちゃってごめんね」

「まあ折角だからコーヒーでも飲みながら話そうか。」

 二人は大手コーヒーショップに移動した。聞けばつい最近オープンしたばかりだと言う。

「石尾も都会になったでしょ」

 と何故か彼女は誇らしげだった。店内は結構混んでいた。大晦日と元旦はショッピングモール全体が休館するので、今日明日で最後のセールをするのだと言う。その買い物客の休憩に利用されているようだ。

「どうこっちに帰って来た感想は?」

 昔から話題を切り出すのは彼女の方からだった。橋本はとても懐かしい感覚を覚えた。

「まあどうってことないね。東京の方が楽しいよ」

「何それ?もうちょっと感想あるでしょ!」

 京子は苦笑した。彼女の前では橋本はひねくれた子供のような物言いをしてしまう、姉と弟のような関係。それが幼い頃の二人の関係性だったのだ。

 それから彼女は色々なことを尋ねてきた。もしかしたら両親も含めた策略で、自分を組織に引き戻すために彼女は会うことを承諾したのではないかと、思っていたが純粋に橋本に興味があるようだった。彼女にとっては組織外部の人間とゆっくり話す機会はほとんどないだろうから、それも分かるような気がする。

 一番は橋本の東京での暮らしのことを訊いてきた。仕事のこと。物価だとか買い物事情だとかの生活上のこと。交通事情。さらには観光に行くならどこがオススメだとか、色々なことを訊いてきた。

 彼女自身のことも沢山話してくれた。派遣で行っている事務の仕事のこと(組織の人間は宗教活動に時間をなるべく多く割く為に、正社員で働かない人間が多い)。十年間の組織の変化と誰がもう残っていなくて、誰が残っているだとか……。

 彼女は幼い頃に信者だった父親を亡くし母子家庭で育ってきた。母親も組織にいるのだが、その母親のこと。結婚相手のこととこれからの結婚生活について。

 ……多分母親から聴かされたなら耳を塞いでいるかもしれないような内容も含まれていたが、彼女の屈託の無い話し方と笑顔で橋本は興味深く聴くことが出来た。


「え?でも何でこのタイミングで帰って来ようと思ったの?」

 話題が途切れ京子が橋本にそう尋ねた。

「何でだろう?本当にたまたまだよ。前々から帰省しようと考えていたわけではないよ」

 橋本は正直に答えた。

「あ、じゃあ神のお導きなのかもね。」

 京子の一言があまりにさらりとしたものだったので、橋本も軽いつもりで聞き返していた。

「なあ、それってまだ本気で言ってるの?」

「何それ?どういう意味?」

 京子の口調が今までとは違っていた。それで橋本はもう子供の頃のような雰囲気には戻れないことを悟った。

「どういう意味って、そのままだよ。下らない宗教を今も本気で信じているのか?ってことだよ。」

 口が滑った……という意識もあったが、橋本は京子と話す時間が楽しければ楽しくなるほど、組織への怒りも同時に強く沸き上がってくるのを感じていた。だから一度出た自分の言葉を止める必要は無い、とも思った。

「やめて和郎君。私は今も変わらずに神を信じてる。下らない宗教ではないわ」

 組織の人間は基本的にはとても温厚だし、争い事を避けるようにと教えられてきている。だがこのように信仰が試されるような場面では毅然とした強さを持つように、とも教えられている。

 しかし橋本も止まることは出来なかった。

「だってそうだろ?俺たちが子供の頃から『ハルマゲドンは近い、終わりはもうすぐだ!』って何年同じことを組織は言ってるんだよ?京子も社会に出て働いてたら分かるだろ?……いやもっと若い頃にとっくに気付いていたろ?神なんか居ない。って……」

「やめて!!!」

 それでも穏やかな表情を崩さなかった彼女が、初めて明らかな嫌悪を示した。「……なあ、君は優しいからいつも他人の為に生きているんだろ。年取ったお母さんを一人にするわけにはいかないから組織に残って、お母さんを安心させるために組織の人間と結婚することにしたんだろ?……君だって組織の中だけで生きている訳じゃない。社会に出て働いていれば、組織の教えにも中に留まっている人間が普通じゃないことは分かっているだろう?」

「全然違うわよ、和郎君。あなたは間違っているわ。終わりの日が中々訪れないのは、神が一人でも多くの人間を救う機会を探っておられる……言わば神の優しさよ。……願わくば和郎君も弘毅君も一緒に楽園に行けることを、私は願っているわ。」

「……」

 一瞬本音の感情が垣間見られた気がしたが、すぐにまた京子は元の模範的な組織の人間に戻った。……いや、全ては自分の錯覚でずっと本気で彼女は神の教えを信じ実践してきただけなのかもしれないと橋本は思った。だとしたら彼女に伝えられる言葉を橋本は何も持っていないだろう。

「それに、和郎君はどうなの?組織を離れて世に出て、東京にまで行って自由を満喫して……それでも話を聴いていると全然幸せそうじゃないんだけど?組織に留まっていた頃の方が幸せだったんじゃないの?思い返してみて」

 京子から思わぬ反撃が来た。でもそれは眠られぬ夜、或いは人生の岐路に立った時に何度も自問した問いだった。

「確かに俺は今幸せではないよ。『あなたは本当は今も幸せで、それに気付いていないだけですよ』とか言ってくる人間が居たら俺はそいつをぶっ飛ばしてやる。……でも、少なくともあの嘘で塗り固められた世界で生きているよりは百億倍マシだね」

 橋本は自分でも思っていたよりも強い言葉が出てきたことに驚いたが、それを聞き京子は悲しそうな顔をした。彼女の信条を強く否定したのだからそれは当然だろう。 言葉の返ってこない京子に対して橋本は言葉を続けた。

「いつまでも現実から目を背けて命を無駄にしちゃあ駄目だ。組織はやめて本当の人生を生きよう。もし良かったら俺にその手伝いをさせてはくれないか?……一緒に東京に来てくれないか?」

 京子は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で目をぱちくりさせていたが、2秒ほど経ってから笑い出した。

「え?何それ?告白みたいなこと?」

「まあ……そうなるのかもな……」

 勢いで口から出た言葉だったとはいえ、橋本に後悔の気持ちは微塵もなかった。「言うまでもなく答えはノーだわ」

 京子は目を伏せ、だがはっきりとした言葉でそう告げた。

「ごめんなさい、やっぱり会うべきじゃなかったわね。……私のイメージする和郎君は子供の頃のままだった。当たり前だけどもう子供じゃないのね」

 そう言うと京子は席を立ち伝票を取り上げようとした。

「いいよ、俺が払う」

 京子を引き留めるのならばこのタイミングしかないのだろうが、橋本はそうするつもりはなかった。そんなことをしても無意味なことは自分自身が一番分かっているからだ。

「でも、お祝いももらってるし……」

「良いんだよそんなの。……じゃあ元気で。」

「うん、和郎君も」

 去り際はお互いあっさりしたものだった。京子の方から「神の導きがありますように」とでも言ってくるかと橋本は予想していたが、京子の態度は最初とは違っていた。彼女に表れた動揺が自分が刻んだ証のような気がして、橋本は少しだけ溜飲が下がる思いがした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る