第6話 再会
「あれ?もしかして橋本君?」
週刊誌のコーナーをブラブラしていると、不意に後ろから声を掛けられた。
驚いて振り返ると男が立っていた。30代半ばくらいだろうか。短髪でがっしりした体格をしており、やや日に焼けた肌と相俟って攻撃的な印象を受けるが、掛けてきた声はとても柔らかいものだった。
「……えっと?……」
橋本は必死に誰か思い出そうとしたが全く心当たりがなかった。そもそも橋本は交遊関係が狭く、十年振りに帰郷した自分を見つけて気付く人間が居るというのが信じられなかった。
相手は橋本のそうした反応も楽しんでいるようだったが、すぐに名乗りながら握手をしてきた。
「俺だよ、高瀬だよ」
「……え、高瀬兄弟!?マジで?」
高瀬が求めてきた握手を橋本もさして不自然に思わず握り返していた。それが「組織」の中での習慣だったからだ。同胞のことを『○○兄弟』と呼ぶのもそうだ。女性のことは『○○姉妹』と呼ぶ。厳密に言うとこれは洗礼を受けた者にだけ当てはまり、未洗礼の者は普通に○○さん、○○君と呼ぶ。橋本は結局洗礼を受けずに組織を離れたから、橋本兄弟と呼ばれることはなかった。そう呼ばれているのは橋本の父親だ。
それにしても……と橋本は再び目の前の高瀬に目を向ける。高瀬弘毅、年齢は橋本より一学年上だから31歳だろう。橋本と同じように「組織」の下で育てられ、同じく高校生の頃に「組織」を離れたはずだ。昔と違い今はどこぞのIT社長のような自信に満ちた雰囲気を纏っているが、その笑顔は確かに子供の頃の面影を残していた。
「兄弟はやめてくれよ。橋本兄弟!」
「いや、俺はバプテスマ受けてないから!」
という他人が聞けば何のことか分からない内輪のギャグで盛り上がったところで、橋本は高瀬の後ろに女性が立っているのに気が付いた。その視線に気付いた高瀬が彼女を手招いた。
「妻の広美、去年結婚したんだ。最初に働いていた会社の同期なんだ」
高瀬の紹介で彼女は頭を下げた。
「あ、どうも橋本と言います。高瀬君とは子供の頃からの友人です」
橋本は平静を装って自己紹介をしたが、高瀬が既婚であるという事実に胸の内に広がる劣等感は隠しようもなかった。
「なあ、時間あるんだろ?せっかくだから飯でも行かないか?」
と高瀬が言うと、奥さんが少し「え?」という顔をしたが、それを高瀬が目で制すと再び橋本に顔を向けた。
「いや、悪いから良いよ。せっかく奥さんと二人きりなんだろ?」
「いや悪いけど広美は先に帰っといてくれ。積もる話が沢山あるんだ」
橋本は軽く抵抗したが、高瀬は強引に決めてしまった。
2人は同じショッピングモール内にある居酒屋に来ていた。この地方によくあるチェーン店だ。
橋本は少し緊張していた。誰かと酒を呑むという行為自体が相当久しぶりだったというのもあるし、目の前の高瀬に対しても緊張していた。昔仲が良かったのは間違いないが、あまりに時間が経ち過ぎているし、目の前の高瀬が子供の頃とあまり結び付かないのだ。
「え、和郎はこっち帰ってきてるの?」
乾杯を済ますと高瀬がそう訊いてきた。
「いや、たまたま帰省。十年振りかな。弘毅君は?」
呑んですぐアルコールが回ったわけではないが、酒を呑んだという事実が橋本を少し打ち解けさせた。子供の頃は確かに弘毅君、と下の名前で呼んでいた。高瀬もそこに不自然さは全く感じなかった。
「俺は名古屋の市内に住んでる。マンションも買ったんだぜ。俺も年末はこっちに帰ってきてるんだ。まあ近いから最近はちょくちょく帰ってきてるけどな。」
高瀬の言い方は自然で嫌味を全く感じさせなかった。
「そっか。すごいね。……弘毅君の所、親はまだ熱心にやってるの?」
「ああ、みたいだね。今日も揃って『奉仕』に行ってたよ。親父はまだ『長老』やってるらしいな。」
そう言うと二人は乾いた笑い声を上げてビールを呑んだ。『奉仕』というのは布教活動のことで、『長老』というのは組織の幹部のことだ。
「……和郎が辞めたのって高校生の頃だっけ?そっからどうしてた?」
子供の頃は親友と呼べる存在ではあったが『組織』を離れてからは一度も連絡を取ったことはなかった。
「……ん、まあ俺は東京に出て夜間のバイトしながら大学で勉強して、そっからは就職したけど会社も幾つか変わって……今は清掃のバイトだよ。弘毅君は?」
「そうか…。俺は高校卒業してすぐに働き出したんだ、建築の足場とかを組む会社でさ。まあ結構仕事は大変だったけど頑張って、三年前に独立したんだよ。実家は社会人になってからすぐに出て、今は名古屋に住んでる。」
「へー、そうなんだ。凄いね。」
橋本は劣等感を誤魔化すために軽い口調で言ったが、凄いと思ったのは本当だ。苦労は顔に出るというけれど、一目見て高瀬のことを思い出せなかったのはその為だったのだろう。それに対して高瀬はすぐに橋本を発見した。自分でも年齢の割に顔が幼いということは常々思っていたが、それは色々な苦労から逃げ続けてきたからなのかもしれない。
「……まあ『組織』を恨んだことはあるし、今も『組織』の下で育てられたことを良かったなんて微塵も思っちゃいないが、何だかんだ役に立っている部分もあるぜ。ウチの会社なんて元ヤンみたいな奴らばっかりだからさ、俺みたいな人間でもインテリ扱いだよ」
高瀬は自嘲気味に笑ったが、高瀬の言ったことは橋本も理解出来た。
彼らは平仮名五十音を覚えるのと同じ時期に神の名前を覚えさせられてきたのだ。そしてすぐに『組織』の発行した子供向けの出版物で聖書的教育が始まり、物心つく頃には大人に混じって『集会』に参加させられるのだ。言語能力の部分では早熟な子供が多いのは確かだろう。
「いや、やっぱり弘毅君は元々凄かったよ。」
高瀬は『組織』の中でも子供の頃から模範的な若者だった。父親が組織の幹部でそれだけプレッシャーをかけられていたというのはあるかもしれないが、やはり元々優秀だったのだろうと橋本は素直に思った。
「……どうした橋本兄弟。もう酔ったのか?『泥酔は神を不快にさせる』ぞ」
「いや酔っちゃいない、昔からそう思ってたよ。……それに比べて俺は全然ダメなんだよ…」
「……酔ってるじゃねえかよ。」
高瀬は呆れ気味に橋本の話を聞く体勢を取ったが、橋本は実際それほど酔っていたわけではなかった。
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