第5話 本屋
橋本は適当に生返事を続けていたが、両親の穏やかだが熱心な勧誘は30分以上も続いていた。
テレビくらいあれば責めて少しは逃げ場になりそうなものだが、この部屋にはテレビもない。話が途切れたわずかな瞬間にスマホを見ると、時刻はまだ19時を少し回ったところだった。
「ちょっと俺、出てくるわ。」
穏やかに話していた両親が、一瞬だけ驚いた顔をして不安を覗かせる表情に変わった。
「……ちょっと散歩してくるだけだよ。……今日は泊まってくよ。良いんだろ?」
橋本が少し気恥ずかしそうにそう告げると、両親の顔には満面の笑みが広がった。「そうか、そうか!まあゆっくりして行けよ!」「じゃあ私、奥の部屋片付けておくわね。」
暖房の利いた部屋から屋外に出ると、橋本は大きく息を吐いた。十二月の割に暖かかった昼間とは違い、刺すような冷気だった。
だが今はそれがとても心地良かった。
あの場所に居続けたら自分もどうにかなってしまうんではないだろうか?一番苛立ったのは、しつこく神の教えを説いてくる両親ではなく、そんな二人の態度をそれほど嫌悪していない自分に対してである。
……いや、形は歪なものだがそれでも確かに両親の愛情みたいなものを十年振りに受け、少し泣きそうになっている自分が心底嫌だった。
とりあえず当てもなく団地の階段を降りる。
五階建ての団地を子供の頃はとても大きく感じていたが、振り返って見ると今はおもちゃのように見えた。十年前は満室だったこの一棟も灯りが消えている部屋が目立つ。そういえば来る時バス停から歩いてくる道のりでも子供の姿を全く見かけなかった。昔は団地と言えば子供が付き物だったが、先程の両親の話によると住人の高齢化と過疎化が進んでいるらしい。時代の流れだから仕方ないのだろうが、やはり自分の故郷がこうなってゆくのは寂しいものだ。
気付くと橋本はある場所に向かっていた。地元のショッピングモールだ。石尾の駅前にも当然商店街はあるが、車社会のこの辺りではむしろ国道に隣接し大きな駐車場のスペースが取れる場所にショッピングモールが造られる。橋本が向かったのも実家から10分ほど歩いた場所にあるショッピングモールだ。
(おお、流石に賑わっているな!)
12月28日の時刻は19時、実家回りの寂れ具合からしてもっと人が少ないかと思っていたが、家族連れが多く活気に満ちていた。
ただ当然ながらショッピングモールの中は十年前とだいぶ様子が変わっていた。昔は個人商店がそのままモール内に入ってきたような店が多かったが、今では全国どこでも見られる大手チェーン店ばかりになっていた。
(お、あの中華屋まだ残ってる)
宗教に時間も金銭も注ぎ贅沢を禁じていた橋本家だったが、月に一度の頻度でここの中華屋で飯を食うのが慣わしになっていて、子供の頃の唯一楽しかった家族の思い出となっていた。
小学生の頃学校の友達とドロケイをしていたのもこの場所だった。買い物をしていた母親に見つかり「買い物に来ている他の人にも迷惑がかかるでしょ!世の子たち(信者でない子)とあまり遊ぶんじゃありません!」とこっぴどく叱られたものだが、あの時やっていたドロケイは本当に楽しかった。今はモール内も整理され過ぎていて、ここで走り回って遊ぶ子供たちはあまりいないかもしれない。
(お、本屋もある。……ちょっと覗いていくか)
子供の頃、そして中高生の頃も橋本はずっと立ち読みをしていた。小遣いが少なかったというのも理由ではあるが、家で本を読んでいると両親が内容をイチイチ確認しては、暴力的な場面があるからダメ、性的なシーンがあるからダメだのと理由をつけて捨ててしまうからだ。橋本の読書体験の殆どは立ち読みによって積み上げられたのだった。4、5時間立ち読みを続けることも珍しくなかった。今にして思えば本屋には悪いことをしたと思うが、よく集中力があんなに続いたものだ……と感心もする。
この本屋は2フロアまるまるの大型書店で娯楽の少なかった子供時代の橋本にとっては貴重な場所だった。
現在は別の書店に変わっていたが、店構えは同じだからとても懐かしく感じる。店内は結構混雑していた。ネットでほとんどの情報が手に入る時代になったとはいえ、まだまだ人は本屋で紙の本を手に取って眺めるのが好きなのだろう。
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