情報屋 3
「それで?」タケミは椅子にもたれかかり、足を組む。「殺し屋の少年は、見事、復讐を遂げて、めでたしめでたしってわけ?」
向かい合って座る女性は首を横に振った。テーブルの上に並ぶコーヒーは、入店時に注文したものであるため、とっくに冷めている。二人とも、一度も口に運んでいない。
「どうなったのかは私も把握していない。あれから、バレットとは連絡がつかないからな」ヤマは淡々と言った。
「あの事件が起きた日から、もう三日も経ったけど、未だに真相を掴めていないのよね」と、タケミはため息を吐く。
「情報屋として、すべてを知らないままというわけにはいかないのか」ヤマは皮肉っぽく言う。
「別に情報屋だからとかそういうのじゃないけどね」
「ほう」
「ただ、わたしも途中まで、彼らの物語に足を突っ込んでいたからさ、どんな結末を迎えたのか気になるのよ」
「そういうものか」
「そういうものなの」
好奇心よ、好奇心と言いながら、タケミは、ようやくコーヒーカップに手を伸ばした。一口含んで、冷めてるわねと呟く。
昼下がりの喫茶店には、彼女たちの他に、客はいなかった。外の大通りを行き交う人の数は多いものの、店内はしんみりとしている。
カウンターの向こう側では、店主である高齢の男性が食器を洗っているが、無口で、客とは極力、関わらないという接客を徹底している。彼なりの配慮であるらしいが、どちらにせよ、人目を気にせずに話ができる環境は、彼女たちにとって好都合だった。
「どうしても、真相を突き止めたいのか」
「あの日――あの夜、この街で何かが起きたことは確かなの。けれど、街の様子は、いつもと何も変わらない。それが少し妙だと感じてね」タケミは、窓の外に視線を移す。「たとえば何か大きな力がはたらいていて、事件の全貌を隠そうとしているとか」
「隠そうとしているも何も、公になった事が全部だというだけじゃないのか」
ヤマは腕を組んだ格好のまま、微動だにしない。コーヒーカップを手に取るつもりはないようだ。
「全部?あなたは、本当にそう思うの?」
「どうだろうな。正直なところ、あまり興味がない」
私の仕事とはあまり関係がないからなと、ヤマは言い捨てる。
「教会跡が燃えていただの、集会所に謎の血痕があっただの、商会の会長が行方不明だの、色々と一度に起こり過ぎ。他にも、真夜中に住宅街で大きな音がしただとか、西区のあちこちで死体が出ただとか、どうして誰もおかしいと思わないのかしら。これらの事件に一連のつながりがあるかもしれないって考えるのが普通なんじゃないの?」
しかし、すべての事件の関連性を見出そうとした時、明らかにピースが足らないことに気づくのも、また事実だった。
それぞれの事件には、何かしらの繋がりがある。けれど、その何かしらの部分がわからないから、誰も答えを求めようとしない。考えるには根気と知識が必要だ。でも、答えを得る必要性は、どこにもない。確かに起きたことは奇妙だが、そのうち誰かが解決してくれるだろう。この街で生きる人々は、そんな思いで毎日を過ごし、やがて、そんな事件があったなと思い出すほどに時が経ってしまうと、事件に対する興味すらも失せてしまう。あの夜から、まだ三日しか経っていないが、すでに大半の人間は、あの夜に起きた事件のことなど忘れているようであった。
こういったことがあった、恐ろしいことばかり起きる、と怯えていた者たちも、今では、毎日、退屈だよなと、呑気に笑い合っている始末だ。
「誰も知りたくないわけじゃないだろう。ただ、そこに時間を費やすなんて、馬鹿げていると思うだけなんだ。だから、そのうち何か判明するだろうと期待して、一旦、忘れる」
「でしょうね。そのくせ、やっぱり事件について、ちゃんと知りたいなって思うと、わたしのとこに来るんだから」
「それが情報屋というものじゃないのか」
「そうだけど、なんか腹立つ」
「君もそうやって、感情を表にすることがあるんだな」
「何それ。喧嘩売ってるの?」
「いや、まったく」
ちりんと鈴の音がして、店の扉が開く。腰の曲がった老夫婦が入店してきた。こんにちは、とカウンターに向かって言う。店主が、いらっしゃいと無愛想に言った。
タケミとヤマは、ちらとだけ入り口に目をやり、互いに向き直る。
「それで」タケミはテーブルの上に肘を置き、手に顎をのせる。「聖剣は、どうなったのよ」
ヤマは目を細める。
「行方は知らない。だが、彼が手にしたことは確かだ」
「彼って?」
「君のところにも来ていただろう。あの少年だ」
「ああ……」
ヤマが言っているのが誰のことか、わかった。あの夜、父の形見であるという聖剣を探し、王都の街に訪れた少年だ。
「無事、取り返すことができたみたいね」
「ああ」
「彼は、あの聖剣がどんなものなのか、知っているのかしら」
「どうだろうな。私が聞いた様子だと、彼の父から大切なものだと託されたのだが、その程度の認識しかしていないようだ」
「彼の父親って?」
「知らないのか」
「知らないわよ」
「そうか」ヤマは一度、視線をテーブルの上のコーヒーカップに落とす。「なら、知らなくていい」
「どうして」
「すでに死んでいるからだ」
ヤマの言葉に、店内が静まり返ったかに思えたが、問題はなかった。先ほど入店した老夫婦は小さなカップを手に、楽しそうに会話を弾ませているし、店主は相変わらず食器を洗っている。
「でも、生きていた時のことはわかるでしょう」ヤマが素直に答えてくれそうになかったので、タケミは負けじと、言う。
「違う。彼は存在していなかった。彼は、人々に知られてはならないんだ」
「意味がわからない」
「わからなくていい。彼のためにもだ」
ヤマの真剣な表情に、タケミは、ふんと息を吐く。何かを隠そうとしている。話をはぐらかそうとしている。そんな空気を感じ取った。
「どうせ調べれば、わかるわよ」
「好きにするといい。だが、前もって忠告しておく。私の前で、その話はしない方がいい。私が関与できる範囲で、阻止させてもらうぞ」
「へえ、随分と個人的な意見ね」
「ああ、私の個人的な考えだ」
ヤマの開き直った態度に、少しむっとする。
が、すぐにどうでもよくなる。彼女にも、何か抱えているものがあるのだろうと、察したからだ。
裏社会を生き、表沙汰にはできないような仕事を、殺し屋であるとか、掃除屋であるとか、とにかく同じ世界で生きる者たちに依頼している。その仲介業をしている彼女には、彼女なりの生き方や決め事、ルールがあるのだ。そこに、私が踏み入るべきではない。そこまでの危険を冒す必要はない。この件には、あまり関わらない方がいいと、情報屋としての勘が告げていた。
しかし、調べようとしただけで脅してくるなんて、情報屋泣かせではないか。
わざわざ忠告してくれるだけ、良心的だと捉えるべきなのか。悩むところだ。
「ま、いいわ。じゃ、そういうことにしといてあげる。この話はこれでおしまい、ね」
タケミがぱんと手を叩くと、ヤマは無言で頷いた。
この話はこれきりにしよう、とは言ったものの、あの夜の出来事を、タケミは独自に調べるつもりでいた。ただ情報屋としてではない。あくまで個人としてだ。
あの夜、何が起きていたのか。ところどころの情報はある。もちろん、信用ならない噂話も含めての。それらを、つなぎ合わせる作業をするためには、途中まで作りかけていたパズルを引っ張り出して、再開する他ない。
あの夜、図書館で調べたことも合わせて、一枚の絵を、想像力だけで描くのだ。
聖剣の謎や十年前の事件、その他、世間から忘れられてしまった小さな事件も、何もかもを寄せ集めて。語り部が必要に感じることもあるだろうが、幸い、時間はたくさんある。職業柄、思いがけないところから情報が手に入るかもしれない。気長にやろう。いつか、真相が自分の方から転がりこんでくるかもしれない。そんな日を期待しながら。
「ねえ。これから、何が起こると思う?」
ふいに言うと、ヤマは首を傾げた。
「何かが起こる予兆でもあるのか」
「大抵、大きな物事が終わった後には、変化があらわれるじゃない。演劇とかでもそうでしょう。すぐにめでたしめでたしで締めくくられず、当事者たちがどうなったのか、後日談がある」
「なるほど」ヤマは一度、納得したように頷いて、すぐに、だが、と口を開いた。「だが、そんなに何もかもが一度に変わることもないだろう。小さな変化こそあるだろうが、それは後日談として語られるほどのことなのかどうか。この街は、きっと少しずつ、変わっていくのだと思う」
「ええ。けれど、事件が起こったという事実自体はなくならないわ。歴史として、この街の記憶には存在し続ける。それが、未来にどんな影響を与えるのか、渦中にいたわたしたちは見届ける必要があると思うの」
言うと、ヤマが、ふっと小さく笑った。彼女の笑みを見たのは初めてだったので、あまりに乙女じみていたことを知り、鳥肌が立った。
「何がおかしいの」
「街の記憶とは、随分と詩的な表現をするんだな」ヤマは口角をくいと上げる。悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「あなた、やっぱり喧嘩売ってるでしょ」
「いや、まったく」
ヤマはコーヒーカップに手を伸ばす。一口含み、すぐにテーブルの上に置いた。
店内には、穏やかな空気に馴染む静かな音楽が流れている。店主はまだ食器を洗っていた。老夫婦はにこやかな笑みを浮かべて、二杯目のカップを注文していた。
ふと、視線を動かした先に、壁掛けのカードのようなものを見つける。メモ書きだろうか。店主のすぐ後ろにある棚の上に置かれている。
「店を閉めます。」という文字が見え、この店をたたむのかと思ったが、カードに書かれている文章が読めたので、違うと気づいた。
「月が綺麗な夜だけは、店を閉めます。」
変な店。タケミは、心の中で呟いた。
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