裏切り者 5
私の十年に渡る復讐劇は終わりを迎えようとしていた。
かつて、聖剣を求める組織が活動していた、この場所で。
部屋には、私の他に、かの商会の会長がいた。後ろ手に縛っているため、身動きが取れない状態だ。もぞもぞと体をよじっている。丸々と太った腹が締め付けられ、苦しいのだろう。彼は必死な顔で何かを訴えていたが、私の耳には届いていなかった。
どうやら命乞いをしているらしい。けれど、無駄な行為だ。今の私を止めるには、説得の言葉だけでは足りない。何もかもを手放して暗闇の道を歩み始め、今ここにいるのは、ただの男ではない。優しき父親でもない。もはや殺し屋を名乗ることもできないだろう。復讐心のみを携えた哀れな亡霊だ。人と分かり合えることなど、到底、叶わぬのだから。
「何か言い残すことはあるか」
私の言葉に、彼はぴたりと口を閉ざした。自分にはもう逃げ場がないのだと、ようやく自身が置かれた状況の深刻さを認識したかのような表情だった。
突然、見知らぬ男に襲われる恐怖がどのようなものか。想像できる人間はいないだろう。付き添っていた部下たちはあっけなく無力化され、拘束されて監禁される。
そして、目の前の男が、自分の命を奪おうとしているのだと悟った時、きっと誰しもが彼のように絶望の情を露わにする。
それから、「待ってくれ」と決まって口にするのだ。実際に、彼もそう言った。どうして自分がこんな目に合うのかと困惑しているらしい。己がしてきたことの報いを受ける日が来ようなど、まったく考えてもいなかったといった顔だった。
「あんたは誰なんだ?」眠っている怪物を起こさないようにといった慎重さを伴った声で、彼は言った。
「知りたいのか」知ったところでどうする、と私は思う。
「まさか、例の殺人鬼じゃないだろうな」彼は一呼吸の間を置き、私の目をじっと見る。「ここ数年、裏社会の人間が立て続けに消えている。『裏切り者』と呼ばれる何者かが暗躍していると聞いたが」
「十分、知っているじゃないか」
身動きが取れない彼に、銃口を向ける。
「おい、まだ話の途中だろ」
彼は、きっとした目つきになり、私を睨みつけてきた。彼の中から恐怖心というものはなくなっているようだった。銃を構え、明らかに優位に立つ私に敵意さえ向けてきている。大した度胸の持ち主だ。ただの間抜けともとれるかもしれないが、そうは見えない狡猾さが、彼の目の中でぎらついていた。
「俺を襲ってどうするつもりだ。聖剣の在り処を聞き出そうとでも?」
「そうじゃない。復讐を果たすだけだ」
「俺を殺せば、聖剣の在り処がわからなくなるかもしれないぞ」
「聖剣は重要ではない。復讐を果たすことが目的だ」
「俺はあんたに、何かしたか!?」
彼は声を張り上げる。死ぬことを怖がっているというよりは、この状況下にあることそのものが不服でならないといった様子だった。それは、彼のつまらないプライドの問題なのだろう。こんな時でも、己の体裁についてを考えている。
「聖剣の力を求めただろう」
それがトリガーだ、と私は彼を睨む。
引き金にかけた指に神経を集中させる。あとは指を少し動かすと、腕、肩に軽い衝撃があり、銃弾が発射される。次の瞬間には、目の前の男は命を失い、私は生きる意味を失う。
そして、私の人生は終幕となる。
後悔こそなかったが、不思議と満足感もなかった。
私の意識は肉体を離れて、宙に揺蕩っている。部屋の天井に張り付き、私自身を見下す。
私の物語の結末は、どう描かれるのか。まるで、他人の生き様を眺めるような気分で、私は、銃を構えている私自身の姿を、まじまじと見た。哀れな男の最期は、どんな顔で締めくくられるのだろうか。
部屋の扉が勢いよく開いたのは、その時だった。
一瞬、意識を手放していたせいか、この部屋に接近する何者かの足音を聞き逃していた。
私は部屋に転がりこんできた、その青年に視線をやる。派手な装いで、手には銃を握っている。会長の仲間だとは察しがついた。だが、裏社会の実情を知らない一般人のようでもあった。つまり、彼もまた利用されているに過ぎない被害者だ。聖剣の力を巡る哀れな闘争劇に巻き込まれた犠牲者なのだと、私は見抜いた。
青年は、何か得体の知れない存在に怯えているような顔つきで、私に銃口を向けた。目には涙を浮かべ、銃を握る両手は震えている。彼の中で、二つの感情が闘っているのが見て取れた。
命の危機にある商会の会長――おそらく、雇い主である――を、守らんとする忠誠心と、銃を使い、他人を傷つけてしまうことへの恐怖心だ。それらのせめぎ合いが激化し、葛藤を生み、彼を苦しめている。炎でじりじりと体をあぶられているような感覚に襲われている。ように見えた。初めて殺しを行おうとする人間の内情ほど、混沌としたものもないだろう。世界の表と裏、それぞれの領域に片方ずつ足をのばし、体を真っ二つに引き裂かれそうな思いを味わいながら、握った鉄の塊の本当の重さを知るのだ。
彼は、ちょっとした刺激で、今にも引き金を引いてしまいそうだった。
それでもここで、あの会長を逃がすつもりはない。私は、銃は変わらず会長に向けたまま、視線だけで、足がすくんでいる青年を牽制する。
「おい、待て。まだ撃つな」と、会長が、慌てて青年に声をかける。どこか虚ろだった彼の目は、はっと輝きを取り戻した。
「誰なんですか、この人……」
「知らなくていい。お前はただ、俺が合図するまで、そのままでいろ」
「わかりました」
とりあえず、撃たなくていいのだ。と、彼の表情は、いくらか柔らかくなる。
私は、この状況をどうにか覆すことができないかと考えた。
商会の会長のことはどうでもいい。隙があればいつでも始末するつもりでいる。逃げたならば、追うだけだ。
だが、隣にいる青年がどう行動するのかが気になっていた。
彼に、私を撃たせたくはないからだ。彼は、きっとわけもわからないまま銃を握らされている。報酬のためか、あるいは相応の取引があったのか。
この決着に、青年は不要な存在だ。だから私も、彼を手にかけるつもりはない。できることなら、この場から大人しく退場してもらいたいものだが、このままだと、私たちの戦いに巻き込んでしまうことになる。
何かうまくやれる方法はないものだろうか。
続けざまに扉が開いたのは、その時だった。
私はすぐに、視線を移す。また一人、この部屋に誰かが現れた。
しかし、今度は知っている顔だった。
私に親を殺され、恨んでいる殺し屋の少年――バレットだ。
どうして、彼がここにいるのだ。かつて私が利用していた、あの空き家のセーフハウスで、身動きが取れないように拘束していたはずだが。
いや、今はそんなことどうでもいいか。私は思い直す。
この一触即発の空気が満ちた部屋に、新しい火種が舞い込んできたのだ。その事実の方が、何より重要だ。
会長は、驚くでも恐れるでもなく、ただ困惑していた。この建物内に、自分の他に知らない人間が立て続けにやってくるなんてあり得ない。と、受け止めきれない現実を前に、これは夢か、おかしいのはこの世界そのものかと嘆き出しそうな険しい顔をしていた。
青年はというと、バレットを見て、ひっと息を呑んだ。彼らには何か因縁でもあるのだろうか。私の知ったことではないが。
いつ破裂してもおかしくはない。中が空気でパンパンに膨れ上がった風船が、思い浮かんだ。まさに、この部屋の状態を表している。
そこに、針が刺し込まれる。その様子が、スローモーな映像になり、脳内で再生される。
破裂まで、もう秒読みの段階だった。ぱん、と弾けて、何かが起こる。中から何かが飛び出すか、はたまた不発弾と終わるのか。そんな予感があった。
バレットは、素早く顔を動かし、部屋の中で起きていることを瞬時に理解した。ように私には見えた。
彼はとっさの判断力に長けているのだろう。そして、行動力もあった。私に向かって何か黒い物を投げて寄越すと、何事もなかったかのように、すっと部屋を出ていった。淀みない動きだ。この状況を想定していたのかと疑いたくなる。
彼が姿を現して、消えるまで、わずかの間の出来事だった。部屋にいた誰も、彼に対して何も言えなかった。
バレットから受け取ったものを、私は確認する。半月の形をした黒い物体が、ロープよりも丈夫なひも状のもので繋がっている。イヤーマフだ。それも特注の。ヤマが用意したものだということは、すぐにわかった。
私は、部屋に入ってきたバレットが手に銃を握っていたことを思い出す。そこで、彼の行動の意図が、ようやく理解できた。なるほど、あれが合図か。
私は銃を手放し、すぐにイヤーマフで耳を覆って、顔を伏せる。ぎゅっと目に力を入れて閉じると、視界は暗闇に支配される。が、すぐに白いもやのようなものに包まれていく。部屋の中で何かが光を放ったようだ。
数秒、私の体は金縛りにあったかのように固まる。
きいんと耳鳴りがして、頭の奥にじんじんと響く違和感が生まれた。イヤーマフを外し、顔を上げる。
会長と青年が倒れているのが見えた。死んではいない。気を失っている状態だ。
どうやら、うまく作動したらしい。青年の持っていた銃は、ヤマが用意したもので——彼は、私のセーフハウスに入り、机の上に置いてあったその銃を盗んだらしい——特製のスタングレネードだった。
引き金を引くと、音と光で銃の持ち主を攻撃する。あるいは、どんな技術なのか遠隔操作で作動もする。
本来、相手に拾わせて油断を誘うためや、特殊な事態に転んだ交渉のために使用するそうなのだが、私たち殺し屋の仕事の現場では、滅多に活躍の場はない。殺傷性がなく、相手を一時的に行動不能にするものなので、仕事の達成が命を奪うことである我々の業界にとっては、不必要な代物なのだ。
しかし、「いざという時のために」や「念には念をいれておこう」と、彼女はよく口にし、私にも持たせていた。
バレットも同じだったのだろう。彼の持っていた銃が、起爆装置だった。
彼は、青年がこの銃型のスタングレネードを持っていることを知っていたから、起爆装置を手に、私たちの前に現れたのだ。
おそらく、青年は偶々、セーフハウスを訪れた。この建物に向かう途中で、迷い込んだのかもしれない。
そこで、机の上に並んでいる銃を目にし、護身用にと手にした。それは、私がバレットを拘束した際に没収してあったものだ。
銃を手に、青年はこの建物を目指した。その銃が、スタングレネードであるとは知らず。一部始終を見ていたバレットは、どうやってか拘束から抜け出し、起爆装置を取り、あとを追いかけた。
——といったストーリーが、私の頭の中に浮かんできた。
そして、バレットは、かつてヤマと仕事をしていた私ならば、この銃のことを知っているはずだと判断し、イヤーマフを寄越したのだ。結果、私は音の衝撃を和らげることができ、今こうして、ここに立っていられる。
部屋は静寂の空気に包まれ、生きた者など存在していないかのようだった。
開きかかった扉を見やると、影がゆらりと揺れた気がした。先の廊下には、まだ彼がいるのか。
「礼を言う」と、私は小さな声で言った。彼に届いたかはわからない。返事はなかった。
虚無感を味わいながら、足元に視線を落とす。灰色の床に、一瞬、私の顔が映った。気がした。表情は見えない。ただの真っ黒な毛毛の塊だったが、どうしてか、それが自分の顔だと、私は認識できた。
これで、よかったのか。
いよいよ本当の終わりを迎えようとしている私自身に、そう問いかける。
守りたいものは守れたか。やるべきことは成し遂げたか。いつかの約束は、果たせたか。
いくつもの私の声が、頭の中に響く。子どもにおとぎ話を読み聞かせる父親のような口調で、丁寧にゆっくりと。
目を閉じ、深呼吸をしてから開く。すると、部屋の床がぼろぼろと剥がれ始めた。
何が起きたのか、すぐに理解ができなかったが、床が欠けたところに暗い穴ができているのを見て、ああ、床が崩れ落ちているのだと気づいた。
穴はどんどん増えていき、やがて部屋中を埋め尽くすほどになる。ついには床そのものが抜けて、私の体は浮遊感に包まれる。
どれだけ、下に落ちたのかはわからない。そもそもこの建物に地下などあったのだろうか。
気がつくと、私は真っ白な世界に立っていた。周囲には壁がなく、ただ白い霧で満たされた不思議な空間だ。この世界にあるすべてのものが消え、自分だけが取り残されてしまったような物悲しさが漂う場所だった。
顔を上げると、視線の先に、二つの人影を見つけた。
背の高い影と低い影が隣り合っている。両者の間には斜めに結ばれた影ができており――つまり、手を繋いでいるらしい――絆とも近い強い繋がりを感じる。
親子のようだ。見覚えのあるかたちをしているように、思った。私はその影をよく知っている。この十年間、何度も夢に出てきた二人だった。
夢の中で、いつも私は、遠くに現れるその親子の影を追いかけ、途中で目を覚ましていた。
決して手は届かない。影の正体すら、暴けてはいない。
もどかしさを感じたまま朝を迎え、また、同じ夢の世界に身を投じる日々であったが、しかし、今回は違った。近づいてみると黒い靄が晴れた。影の正体がわかる。私の目に映っていたのは、妻と息子の姿だった。
私は目を見開く。彼らが、こんなところにいるはずがない。
これは夢だ。と即座に判断する。だが、こんなにも自分の意識がはっきりとしている夢も珍しいなと思う。死を前にして、幻覚を見ることになるとは。これも一種の走馬灯というやつなのだろうか。
真っ白な世界の中で、二人は私に向かって微笑んでいた。
その様子を見ているだけで、私の胸は心地よい温もりで満たされる。朝焼けで白く染まってゆく街の空を眺めている時のような、清々しさもあった。
私のしてきたことは、この十年にわたる復讐劇は、到底、許されるべきことではない。もちろん、誰に許しを得ようとも思わない、それだけの覚悟で始めたことだったが、いつしか無視し続けていた罪悪感が、心の奥の隅の方に蓄積してはいた。そんな邪悪な感情を綺麗に浄化してくれる光が、私を照らしていた。
ぷつん、と何かが切れる音がした。
辺りが急に暗くなり、次に明かりが灯った時には、私は、元の部屋に戻ってきていた。
室内の状態は、床が抜け、地下に落下したと感じる前と何も変わっていない。
本当に、夢を見ていたらしい。ここにきて、馬鹿馬鹿しいと一蹴する。が、夢で見た光景を思い出し、私は鼻をふっと鳴らした。最後にしては、悪くない夢だったな、と。
夜が明ける。
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