裏切り者 4

 今夜、私の十年に渡る復讐劇は終わりを迎える。

 手筈はすべて整っている。あとは実行するだけだ。この哀れな物語の終幕を躊躇う心は、もうどこにもなかった。

 セーフハウスで身なりを整えた私は、その時が来るのを静かに待っていた。

 明かりのない暗黒の室内に、一筋の白い線ができる。それが、窓から差し込んだ月明かりだと認識するのに、時間がかかった。今日は、月が綺麗な夜だ。十年前と同じように。あの月は、私の物語を最後まで見届けたいらしい。過去を捨て、自己満足のために復讐の道に走った哀れな男の物語を。


 まず、教会跡を目指す。そこに目的の人物がいるという情報があったからだ。

 セーフハウスを出たところで、ちゃんと彼に尾行されているかを確認する。

 わざと特徴的な人物像を伝えておいたので、対象を間違えることはないだろう。駄目押しに歩き方にまで癖をつけておいた。

 彼が、私をどこまで追いかけてきてくれるかはわからないが、私に恨みを持っていることは知っている。だから、途中で見失うこともないだろうし、私の行動の先がみえないうちは、下手に干渉もしてこないだろう。彼なりの執念があるはずだ。

 そのまま、私の復讐に同行してもらい、ことを終え次第、君の銃弾の的になってやろう。だからまだ、大人しくついてきてくれ。

 教会跡には、小屋がひとつあった。

 中からは明かりが漏れている。人の気配がしたので、私は正面から小屋に近づく。

 小屋の中には、男がいた。

 くたびれた格好の年老いた男だ。人によってはまだ若いとも取れるかもしれないが、私に言わせれば、彼はもう死にかけている。

 つまり、私と同じ人種だ。この世界に生きる意味を、自身の中に見失っているのだ。

 私は、この十年もかけて成し遂げようとしている復讐心だけが、生きる意味だ。彼にとってのそれは、いったい何か。興味がないでもなかった。

「ようやく、来たか」

 嗄れ声で、男は言う。そして、あの子がいない時でよかったな、と私を見た。

 どうやら私の来訪を予想していたらしい。

 男には、驚いた様子も慌てた様子もみられなかった。ただ、死の世界へと向かうための迎えがやってきたのだと、その遣いが自分の目の前に現れたのだと認めているような態度だった。

 今日に備えて、心の準備は万全ということらしい。十年間、という約束はあったからだろう。

 私は銃口を男に向ける。

 そして、いつもの問いかけをする。

「何か言い残すことはあるか」

 この復讐を始めてから、私は、いざ相手を前にした時、必ずこの言葉を使うようにしていた。

 きっかけは思い出せないが、おそらく、私は私自身に、この復讐を思い留まってほしかったのかもしれない。

 命乞いをしたり、家族の無事を願ったり、そういった死の直前に感じることのできる、より本能的な部分の人間らしい心に触れることで、私の世界に変化が起きるのではないかと期待していたのだと思う。何かに憑りつかれた私を解放できるのではと信じていたのだろう。

 しかし、この言葉にもはや意味なんてなくなってしまった。

 たとえ、どんな答えが返ってこようとも私は復讐を完遂する。まるで人間ではなくなってしまったかのように、私の心からは、生命に対する敬意と執着が消えかかっていた。

「ひとつだけ、ある」男は私に憐れむような眼差しを向けて、言う。「あんたに謝らなければならん。十年前の夜のことだ。それがきっかけで、あんたはこんなことをしているんだろうが、とにかく俺の気持ちの問題だからな。責任は取らなければと思っている」

 男の言うことが、聖剣を指しているのだとはすぐに察しがついた。

 十年間という約束。私が復讐を終えるまで、聖剣と男の命を預けておく。この男と私のつながりは、利害の一致からなるこの約束を守るという、ただ一点にあったからだ。


 私が復讐を始めてから、少しした頃。

 私は、盗まれた聖剣のその後の行方を、密かに探っていた。

 聖剣を持ち去った者は、この街にいるはずだ。村を襲った連中が誰かに雇われていたところを見るに、彼らには帰る場所が他にない。ここに戻ってくるしかないのだから。

 だが、私が手にかけてきた者たちの誰に訊ねてみても、聖剣の在り処を知っている者はいなかった。

 私が知っている組織やグループとは異なる勢力が、聖剣を求めて立ち上がった可能性が考えられるだけだった。しかし、裏社会にその情報が出回っている様子はなく、聖剣の行方は、この街の誰にも、わからなくなってしまっていた。

 そんな時、私の耳にある事件の噂が飛び込んできた。

 先日、街のはずれにある聖堂で謎の火災が発生した、と。

 セラから聖剣の持つ力の可能性について知らされていなければ、私は気がつかなかっただろう。あの火災は、聖剣によってもたらされたものなのだということに。

「あの子には、不思議な力があるらしい」そう、あの男から聞いた時、聖剣の存在が確信に変わった。

 火災の噂を聞いた私は、すぐに教会跡に向かった。

 そこには、一人の男がいた。その男が何者なのか――名前は知らないが――私には、わかった。聖剣を盗んだ一味の男なのだと。

 衝動的に彼を始末しようとしなかったのは、すでに、私の心が人間のような感情を失いかけていたからだ。

 私は淡々と、仕事をこなすようにして、復讐をしていた。そこに私の感情の介在する余地はない。家族を平穏を守るためという動機から始まった復讐劇だが、終着点にかつての私の影はない。空っぽになってしまった男がそこに、たどり着くだけなのだ。


 私は、教会跡にいた男と言葉を交わした。

 そのうち、彼も私が何者であるかに気づいたようで、責任を取らなくちゃなと、溜め息を吐いていた。

 彼は、私と同じ人間なのだと気づいたのが、私たちの関係の始まりだった。

 彼には娘がいた。

 血の繋がりのある実の娘ではないらしい。だが、なんとしても守らなくてはならない少女なのだという。

 少女のことを語る時の彼の目は、私が彼の中に感じた唯一の光だった。彼にとっての生きる意味や希望であり、人生を照らしている灯火なのだと知った。

 その時、彼の影に私の姿が重なった。

 子を守ろうとする親の姿は、この世のあらゆる最悪を退けようとする闘気で満ちている。そんな生き様を思わせる炎が、彼の背後で揺らめいていた。

 私は、彼が聖剣を隠し持っているのだということに気づいていた。しかし、それをあえて言及するつもりはなかった。

 彼は聖剣を悪用することはないだろうし、娘のため、ここに近づく者を許さないだろう。

 ならば、好都合だとも思った。

 私は彼に何とは言わず、約束を取り付けた。

 いつかまた、会いに来る、と。

 それが何を意味するのか、いつになるのか、諸々は語る必要はなかった。

 私と彼は、互いの正体に気づいていたし、口にしなかったことも含めて、両者が求めているものを理解していた。

 私は、すべての組織の関係者を始末するつもりだ。彼のことも例外ではない。

 情けをかけるつもりはなかった。もとより、私の家に押しかけ、妻と子を怖がらせ、聖剣を奪っていった悪党なのだ。許すつもりはない。私はすでに、それほどの冷徹さを心に宿しつつあった。

 だが、正直に言って、娘を守るという彼の心に、恐れたところがあった。

 私が失った感情を原動力にして、彼は生きている。それを羨ましいと思ったのか、憎たらしいと思ったのか、恐ろしいと思ったのか、私は自分で自分の気持ちがわからない。

 だが、彼が聖剣をも守ってくれるというのなら好都合だ。

 私の復讐劇の犠牲となる順番を先延ばしにしてやる程度の慈悲をかけるのには十分に値する。


「聖剣は、聖堂にある」男は細い声で言う。

 私は銃口を向けたまま、男の顔をじっくりと見る。

 男は私を見ているようで、見ていなかった。

 この日をずっと、待ち侘びていたかのように、微笑んでいる。

 その表情は、彼の人生の中でもっとも今が輝いていることを示しているようだった。

 私が引き金を引く直前、彼は私に、ありがとう、と一言こぼした。

 何に対する感謝なのか、考える気は起きなかった。

 この十年間、俺を殺さないでいてくれて、ありがとう。あの子に、マリナに会うことがあれば、よろしく頼むよ。

 耳元で男の声がしたが、幻聴だろう。

 男はすでに、私の前で息絶えている。私が撃った弾で人生を終えていた。

 私は、もうこの行為にそれほど意味はないとわかっておきながらも、最後の銃弾を取り出して、足元に置く。私がここに来たという目印だ。

 この小屋の外で私を見張っている彼なら、この銃弾に気づくはずだ。そして、自分が護衛しているという男の正体にも。

 私は小屋を飛び出し、聖堂へと向かった。十年前、セラからもらったお守りを手にして。

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