探索者 8

 どうやってその場所に辿り着いたのか。

 聖堂から逃げ出した人影を追いかけているうちに、というのは覚えているが、その道筋をよく思い返すことはできなかった。

 視界や思考が、意識から切り離されていたかのようだ。気がつくと、アーサーは、路地裏にある広場に差し掛かる通路の途中に立っていた。

 どうしてこんなところで立ち止まっているのか。それは、はっきりとわかる。

 追っていた人物が、この先の広場へと逃げ込み、急に立ち止まり、そして、なぜ追いかけてくるのだ、と問いかけてきたからだ。

 まだ姿を見られない方がいいと判断して、慌てて身を隠した。すぐに広場に飛び込まなかったのは、それが理由だ。

 アーサーは背を壁に寄せて、広場をこっそりと覗き見る。

 その男は、こちらを睨み返していた。行き止まりなのだろうか。それともここが目的地なのか。自分を追いかける相手を迎え討とうと留まっている様子だった。

「どうして、追いかけてくるんだ」

 男はもう一度、言った。その声には彼の憤りが滲んでいた。しつこいぞ。もう追いかけてくるんじゃねえ。

「あなたが聖剣を持ち出したからです」

 アーサーは言い返す。

 聖剣の在処は、実際のところ、どこなのかはわかってはいない。だが、逃げたこの男は疑わしい。聖剣の紛失と何かしら関わりがあるはずなのだ。

 ただ、彼が今、聖剣を手にしているようには見えなかった。どこかに隠してきたのだろうか?だとすると、先ほど入った空き家が怪しいということになるが。

 そこで、アーサーは、はっとする。少し前に目の当たりにした光景を思い出す。

 そういえば、彼を追いかけながら迷い込んだ空き家には、別の男が拘束されていた。そして、近くの机の上には、拷問用だろうか、刃物や銃が並べられていた。物騒な道具たちだった。とても観賞のためのものとは思えない見た目だった。

 ヘクターから聞いた話が頭に蘇ってきた。

 この街には、正体不明の連続殺人鬼がいる。

 今夜も、その被害者が死体となって発見されていた。

 まさか、この男こそが連続殺人鬼の正体なのではないか。そんな不安がよぎった。

 何年にも渡り、人殺しをしている猟奇的な人物像が、広場にいる男の影と重なっていた。一人で相手をするのは、避けた方がいいのか。

「なぜあなたは、聖剣を盗んだりしたんですか」アーサーは口を開く。胸の内では葛藤が起きていた。この場から早々に立ち去りたい自分と、聖剣に近づくチャンスを諦めきれない自分とが口論をしている。今のところ、後者の自分が優勢のようだ。危ない端を渡る行為だとはわかっているのに、前に進もうとしている。

「お前は、あの聖堂で彼女と話していたな」

「彼女?」

「マリナのことだよ」男の声が、ぐっと低くなる。

「知り合いなんですか?」アーサーは訊ねる。

「どうでもいいだろう」男の声は不機嫌そうだった。「彼女を守るために、聖剣を持ち出す必要があったんだよ」

「どういう意味ですか」

「あの聖剣は呪われているから」

 アーサーは男の姿をまじまじと見る。

 派手な服を着た男だった。どこかで見た人だと思えば、ヤマと会う直前、情報屋にいた男ではないか。人を見た目で判断するのは早計だとは思うが、とても人殺しをするような人物像には見えなかった。

 そんな男が、どうしてこんなことを。

 アーサーは一歩、広場の方へ踏み出そうとして、やめる。

 男が銃を構えていた。銃口をこちらに向け、悪魔が取り憑いたかのような形相をして、それは親の仇を目前にした復讐者のような貫禄を見せていたので、近づくのに躊躇った。

「聖剣を返してください」アーサーは体を隠し、広場に向かって叫ぶ。

「あれは誰のものでもないだろう」

「いえ、俺の父が持っていたものです。あなたの言う通り、あの聖剣には何か不思議な力があるのかもしれません。だからこそ、それを悪用しようとする連中の手に渡さないために、父は聖剣を守っていたんです」

「聖堂にあったじゃないか」

 その事実を知っているということは、やはり、聖剣を持ち出したのは彼の線が濃厚だ。

「十年前に盗まれたんです。それを、誰かがあの聖堂に」

「そんな話、信じられるわけがない」

「本当なんです」

 どう説得すれば、受け入れてもらえるのだろうか。そして仮に信じてもらえたとして、その後、どうやって聖剣を取り返す交渉をすればいいのだろうか。

 アーサーは焦り始めた。次に目指すべき事柄が、路地裏の道のように暗闇に覆われていて見通すことができない。いつもの調子で頭が回らない。

 今夜は、この街で色々なことが起きた。目に映るもの、耳に入るもの、その情報のすべてが夢の世界から届いたかのような、捉えにくさを伴っていた。何もかもが嘘のようで信じられない。けれど実際、この身に降りかかってきたことなのだから、余計に混乱する。

 考え事に集中し、周辺への警戒を怠っていた。背後に人の気配がする。

 すぐに振り返ると、空き家で拘束されていた男がいた。冷静な視線で、アーサーの顔をじっと見てくる。

「どうして、ここに……」

 アーサーが訊ねたのと、ほとんど同じタイミングで男は口を開いた。

「聖剣を探しているのか?」

「え」

 アーサーは言葉に詰まる。彼の口から、聖剣のことが語られるとは思っていなかったからだ。先ほどの、広場にいる男との会話を聞かれていたのだろうか。

「もし、そうなら、あいつは聖剣を持っていないぞ」男は、アーサーが動揺した様子に気がついたが、構わずに続ける。

「どうして、あなたにそんなことがわかるんですか」

 アーサーは警戒していた。彼は空き家で拘束されていたのだ。何者かに連れ去られ監禁されていたのだろう。そんな経験は、日常的に起こり得るはずもないし、精神的なダメージを負っているはずである。にもかかわらず、どうしてこうも平気な顔をしているのだ。そんな修羅場は慣れっこだと言わんばかりに、日常の一部だと受け止めているかのように、彼はそこに堂々と立っている。その態度が不気味だった。

「聖剣なら、さっきの空き家に隠してあったぞ」男がぼそっと言う。

「……え、本当ですか、それ」アーサーは思わず、大きな声を出す。広場にまで届いていないか、咄嗟に口元を手でふさぐ。

「裏口辺りの棚の中に置いてあった。必要なら取りに行くといい」と、男は空き家のあった方の路地裏の道を指した。

 ありがとうございます、とアーサーは引き返そうとして、足を止める。

 広場を覗く男に向かって、こっそりと訊ねた。

「どうして、聖剣のことを知っているんですか」

 男は横目でアーサーを視界にとらえ、もう一度、広場の方に視線を戻したあとで、「お前の父親と顔見知りだからだ」と言った。それから、おそらくな、と付け加えた。

 なるほど。彼が自分の身に起きたことに、こんなにも平然としていられるのは、元殺し屋だったという父と同じ世界に生きている人間だからか。

 父と顔見知りだということは、つまり、そういうことを意味するのだ。

 しかし、この状況において、これほど頼もしい味方もいない。アーサーは広場に聖剣を盗んだ男がいることも忘れ、父の情報を知りたがる。

「父の居場所を知っているんですか?」アーサーは興奮気味に訊く。

「居場所?行方不明にでもなっているのか?」

 しまった、とアーサーは思う。父の顔見知りだと言うので、てっきり今夜、殺されるという噂も知っているのだと思っていた。

 アーサーは、十年前に盗まれた聖剣と共に父がいなくなったことと、今夜、その父が殺されるかもしれないと聞いたことを、男に簡単に説明した。父と顔見知りな上に、聖剣のことも知っているのなら、今さら隠す必要もない。アーサーは、男から、父に関するさらなる情報が手に入らないかと期待した。

 男は、そうか、と一言だけこぼして頷き、そういうことなら、と口を開いた。

「お前の父親は、すでにいない」

「……いない?」

「もう二度と、会うことはできないんだ。これが、どういう意味かわかるか?」

 意味はわかる。理解だってできる。もとより、十年前のあの夜から、そう思っていた。

 父とはもう、会うことはできない。聖剣を盗んだ強盗たちを追って、行方をくらませた。死んだとさえ、思っていたから。

「殺されたんですか……?」

「どうだかな」男はわざと、要領を得ないふりをしていた。その点を、アーサーは追求する気にはなれなかった。彼から聞いた言葉が、いやに重たく頭の中に残った。これ以上、踏み込むことを拒ませるような力のある声だった。

 父のことには忘れろ。今夜のことも。もう一切、関わらないようにするんだ。そんな自分の声が聞こえてくる。

 なんで。まだ、真相に辿り着いていないのに。

「疑っているのか」

「え」アーサーは、いつのまにか俯いていたことに気づき、顔を上げる。

「お前の父親の件だ。何か勘違いをしているのかもしれないが、俺は意地悪したくて、さっきみたいなことを言ったんじゃない。もしかしたらって希望を持つのは、残酷なことを言うようだが、やめたほうがいい。父親とは二度と会えないと言ったのは、俺の推測や出鱈目なんかじゃなくてだな――」

 アーサーは目を細める。男が嘘をついていたり、出鱈目を言っているわけではないというのは、わかっていた。

 十年前の夜に見た、父の姿。かつての仕事仲間だというヤマから聞いた話や、聖堂の少女が語ってくれたことからも察しはついていた。

 この男は、根拠のないことをそれらしく取り繕っているのではなくて、確たるものを持っているからこそ、わざわざ、父との関係から話してくれたのだろう。

 ――父は、たとえ生きていようとも、金輪際、家族と関わりを持つつもりはないのだろう。

「これは、やつの口から直接、聞いた言葉だからだ」

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