裏切り者 3

 十年前のあの夜から、私の野望は始まった。

 その日、数年ぶりに再会したセラから想いを託されたこともあるが、何より私を動かしたきっかけは、家族の身に危険が及んだことにある。

 月の輝きが綺麗な夜だった。

 王都から帰還した私は、村の様子がいつもと違うことをすぐに察知した。

 見知らぬ者たちが、おそらく武器であろう、何か細長いものや丸いものを持って、村を徘徊していたのだ。甘い蜜を求めて回る虫たちのように、彼らは何かを探しているふうだった。

 それが聖剣のことだとは、すぐにわかった。セラから、そういった話を聞いたばかりだったからだ。何者かが金で兵隊を雇い、聖剣を手に入れようとしている、と。

 彼らは、その大半が王都で行き場をなくし、路上生活を余儀なくされている者たちだった。いわゆるホームレスだ。この作戦の首謀者は、彼らに金を渡し、この村に向かわせたらしい。

 元殺し屋が所持する聖剣の奪取となれば、当然、危険が伴う作戦なわけだが、彼らホームレスは、そんな大冒険にはうってつけの使い捨ての駒ということだ。

 つまりこの作戦の首謀者は、組織の上に立つ人物であると予想がつく。

 相手の銃弾が自分に届かない位置から、部下たちに刃物を持たせて白兵戦に持ち込もうと前進を命じる。もちろん、部下たちを盾にするので自分は無傷である。そして最後の一振りを、自らの手で行うのだ。

 この時からすでに、私は考えていた。

 聖剣を手に入れようとしている者をどうにかしなければと。

 私は、彼らの中でとりわけ体格のいい者、狂気を目に滲ませている者を優先的に狙い、取り押さえていった。

 ここですぐに殺すわけにはいかない。首謀者を聞き出さなければならないし、この村で死体が出るのは少しばかり厄介だ。村の皆にも、日頃世話になっているので、迷惑はかけたくない。

 気配を消し、背後から近づいて掴みかかる。相手が、あっと声を上げるよりも先に、首に腕を巻き付け力を込める。

 自分たちは奪いに来た側であり、さらに王都に囮を置いて、元殺し屋の男を村から引き離しているので危険は少ない仕事だと知らされ、油断しているはずだ。

 気絶させ、携帯している特別な素材でできた縄で手足を縛り上げ、広場に連れていく。

 金を貰い、さらに作戦成功の暁には倍の報酬が出ると吹き込まれていたらしい。だが、命を懸けてまでという覚悟を持つ者はいなかった。

 私の戦いぶりを見た者たちは恐れをなしたのか、武器を捨て、頼むから殺さないでくれと震えるように頼み込んできた。

 彼らは従うしかなかったのだ。金に目が眩んだのではなく、この作戦の一員として半ば強引に選ばれた時点で、逃げることができなかった。力のある者に抵抗することを恐れているのだ。

 私は戦意を失った彼らをその場に放置し、すぐに我が家へと向かった。嫌な予感は胸中に渦巻いていた。

 そこには、息子と妻の姿があった。

 強盗たちも、いた。

 何か激しく声を荒げているようだが、私の耳には届かなかった。いつのまにか私は、彼らの背後へと音もなく忍び寄っている。そして、私は、かつて殺し屋だった頃の冷徹さを身に宿して、少しの躊躇いもなく、相手の首を折っていた。

 どさ、どさりと二人分の人間の体が、私の足元に転がる。斬り倒された木のように、動かなくなる。私は彼らを見下ろし、そこでようやく、暗闇の底から湧き上がる熱に気づく。身体が内側から焼かれる。そんな気分だった。

 二人の人間を、殺した。

 息子の目の前で。

 何があっても、私の過去だけは鍵をかけておくつもりだったのに。家族の危険を目の当たりにした私は、自分が自分でなくなっている感覚に初めて襲われた。

 今までに味わったことのない恐怖にも似た感情だった。それを私は制御することができず、過ちを犯したのだ。

 あの時、私を見上げていた息子の顔を、忘れることはないだろう。

 私の決意は確かなものとなる。

 家族に、二度とこのような思いをさせない。

 聖剣の呪縛から、解き放たれるべきだ。

 この日を境に、私は、裏社会のグループや組織の関係者を始末し始めた。この悲劇を終わらせるために。これ以上、哀しい犠牲を生まないために。




 ————




「それで、聖剣はどうなったんだ」

 向かいの席に座るヤマが言ってくる。私は何も答えず、ちらと店内を見回した。

 西区にある小さな酒場。そこに私たちはいた。

 店内は昼時だというのにそれなりに賑わっており、頬を赤らめた客たちが各々の席で大声で話し、笑い声を上げている。どこで誰が聞いているのかなど、まるで気にしていない様子で、だ。呑気でいいものだと思う。実際、そんな長閑な日常を送っているのだろう。今の私とは異なる世界に生きている人間だ。

「気にしなくても、誰も聞いちゃいないさ」

「だといいが」私はじっとヤマの目を見つめる。

 彼女と再会したのはつい先ほどだった。それは思いがけない邂逅であった。少なくとも、私は彼女と会うつもりはなかったので、不意をくらった感覚を抱いたが、彼女からすると、どうやら私のことを探していたらしい。何か確認しておきたいことがあるそうだ。その昔、仕事を共にしていた仲間としてか、一人の友人としてか。ここ十年ほどの私の動向に、興味があるとのことだった。

 この街に広まりつつある私の噂を耳にしたらしい。

「あの組織、壊滅したそうだ」ヤマが口を開く。

 かつて聖剣を手に入れようと対立していた二つの組織のどちらかのことだとは、すぐにわかった。

 私は何も言わない。料理皿のひとつもない食卓の上を静かに見つめている。そういった生態を持つ生き物であるかのように、口を閉じて、じっとしている。

 ヤマは、私が何も話すつもりがないのだと悟った様子だったが、それでもと会話を続けた。

「どういうつもりかは知らないが、家族と共にあの村に隠居したはずのお前が、再びこの街に戻ってきたのにはそれなりの理由が、つまり、聖剣が関わっているんじゃないのか」

 鋭い目つきで私を串刺しにせんと睨みつけてくる。

 だが無駄だ。どんな態度を取ろうが、今の私から何かを聞き出すことはできない。心の中で私はそう呟く。

「家族はどうした」

 私は何も答えない。

「何かあったらしいな」

 表情からも悟らせまいと、言葉に反応しないようにする。

「殺し屋だった頃の顔つきに、また戻っているぞ」

 それは、そうだろうな。

 彼女は気づいているのだ。

「何年前からか、この街で奇妙な殺人が続いている」

 ヤマは、とうとう呆れたように息を吐き、テーブルの上で組んだ自分の手に視線を落とし、ここだけの話、と秘密の会話でもするかのように慎重に話し始めた。

「それより前と比較して、死者の数が多いんだ。女性ばかりを狙う殺人鬼が出たぞと、世間ではそればかりが騒がれてはいるが、裏社会ではその倍以上に、力のあるグループや組織の関係者が何者かの手によって次々と殺されている。そして彼らは、その人物を裏切り者と呼んでいる」

 彼女は、私の顔を掬い上げるように、下からじろりと見てくる。

 お前のことだろう、と言葉にはせずとも言われている気がした。

 だが私は沈黙を保ったまま、それが肯定を意味することも承知で、無視していた。

 私たちの席の周囲にだけ漂うこの独特な空気は、店内の愉快な雰囲気とは正反対の重みがあった。

「……確認したいことと、頼みたいことがある」私は言う。

「なんだ」

「君はバレットという名の殺し屋を知っているか」

 訊ねると、ヤマは一瞬だけ目を大きく開いた。

「今、私が仕事をやっている」

「そうか」

「今夜、この酒場で仕事がある。彼がどうかしたのか」

「いや」私は少し間を開けてから「頼みたいことに関係している」

「仕事の話か」

「もう殺し屋はやめた。そのことじゃない」

「それなら……」

「彼に、依頼をしてほしい」

 殺し屋バレットの情報は、この業界から退散した私の耳にも届いてはいた。

 仕事には銃を用い、手際よく依頼をこなす。ここ十年の間に、この業界に足を踏み入れた新参者だと聞いた。そして、私のことを追っているということも。

「彼は、私に何か用でもあるのか」

 ヤマがどこまでバレットと深い関係にあるのか知らないが、聞いていおこうと思った。

「恨みだそうだ」

「ああ……」

「十年前に、父を殺されたのだと。父と犯人がしていた会話の内容と、現場にあった銃弾から、お前に辿り着いたらしい」

 十年前からだったか。私はこの街で、かつて聖剣に関わりのあったグループや組織に携わっていた者たちを、一人残らず排除して回り始めた。

 これは、ただの復讐にすぎない。家族を危険から守るためだという、自分勝手な復讐だ。

 なんて幼稚な考えだとも思う。しかし、もはやこれだけが、私の生きるための糧となってしまっていたのだ。

 手段は慎重な手続きで行った。足がつかないよう情報屋には頼らず、街の至るところに広がる独自の情報網で情報を集めては、復讐を決行した。現場には銃弾を置き、彼らに私の存在を仄めかす。私の復讐心を。

 そうして、この十年間で私は多くの復讐をこなしていった。何度、引き金を引こうとも、心が軽くはならない。不安が募ることもない。家族の姿が、脳裏を過ることすらなくなっていた。ただ淡々と。

 そんな私の復讐に、彼は巻き込まれたのだ。殺し屋バレットとして活動している彼は。

「まだ二十にも満たない子どもだが、情熱はかなりのものだ」

「君は、彼に私のことを話さなかったのか?」

「多少、情報は与えたが、協力するほどのことはしなかった。かつて共に仕事をしていたことも話していない。今のお前は殺し屋としては引退している身だ。私からしてみれば、殺し屋コトリはもうこの街にはいないのだから」

「悪いな。助かった」

「例には及ばない」ヤマは鋭い目つきのまま言う。「それより、彼への依頼というのは」

 私は、かねてより想像していた内容を彼女に話した。

 復讐を続けていくうちに私が感じていたもの、それは人間の誰しもが持つ闇であり、日に日に私の中で大きくなっていた。

 この十年に及んだ復讐劇を終えると、きっと私はもう。

「だから最期は、犠牲になろうと?」

「犠牲ではない。私がしたことの責任を取るだけだ」

 いつかこうなるだろうとは予想していた。

 私の復讐の犠牲となった者は数えきれないほどだ。だが、彼らにもまた家族がいたのだと思う。取り残された者たちが、私に対して復讐心を抱く。そんな復讐の連鎖は、必ず起こるものだと、私は知っている。

 この世界には多くの人間が存在する。それぞれが違うことを考えていて、数多の思惑が社会には浮かんでいる。それらが都合よく溶け合うことは稀だ。どちらかがどちらかを打ち消してしまう。そうやって世界は成り立っている。

 私の復讐のせいで、バレットのような存在も生まれてしまった。彼の父を手に掛けることは、私にとってはためになる行いであったが、彼とっては当然、悪の行為だった。

 思惑は反発し合う。そこに巻き込まれた者はもれなく不幸に見舞われる。そしてその反発はさらに多くの人を巻き込もうとする。

 哀しい連鎖だ。私とは無関係だと思いたいが、その連鎖に私もいる。巻き込まれている。だから、断ち切るのだ。ここで、その連鎖を。私が。

 今宵、私の復讐が完遂する予定であることをヤマに告げ、私は銃弾をひとつ、彼女に手渡した。これを彼に渡してくれ、と。私の依頼と共に。

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