情報屋 2
中央区にある図書館は、王都で最大の規模を誇るレグルス王立図書館である。
王都には、北区、東区、南区、西区、中央区に、それぞれ一つずつ図書館が設けられているが、各区の施設の規模を合わせて比べてみたとしても、中央区の図書館の半分程度にしか満たない。
さらに王立図書館では、各区の図書館で管理されている図書をも網羅しているので、中央区にある王立図書館にアクセスすることが、もっとも確実に欲しい本を手に入れることができる方法である。
タケミは店の戸締りをし、見張りとして雇っている男たちに番を任せると、中央区を目指した。
表通りはすっかり人気がなくなっており、足音が響く。常夜灯の明かりと月の光だけが、王都の夜を支配していた。
空を見上げて、月を眺める。
今宵の美しい光は、十年ぶりとのことだ。十年前も、同じ顔の月が王都を見下ろしていたのだ。
あの月と、話をすることができたならば――
この街で起きたありとあらゆる物事、はるか昔から語られているおとぎ話なんかを聞き出すことができるのにと、タケミは柄にもなく、メルヘンチックなことを考えてみた。
しかしすぐに、そうとも限らないか、と否定する。
俯瞰しているからといってすべてがお見通しというわけでもないだろうし、朝になれば、あの月は山の向こうに隠れて眠りにつく。空の上から、この王都で起きていることを、彼らのあらゆる物語を眺めている超常的な存在であっても、すべてを知っているわけではないのだ。情報は、自らはたらきかけ、手に入れに行かなければならない。結局、それがもっとも確実で、つまり効率的だからだ。
王立図書館に到着する。
当然だが、閉館時間をとっくに過ぎているので、表通りに接する門からは、つまり正規のルートからは入館が不可能だ。
館内はまだ明かりがついているのが外からでもわかるが、司書が事務仕事をしているのだ。
タケミは、彼女と少し交流があり、情報屋として、やり取りをしたこともある。もちろん、その時の彼女は客だったわけだが、そういった表の世界で活動している役職の人間ともラインを結んでおくと、ある意味で合法的な、公然とした態度で社会を渡ることができる。その機会が与えられるのだ。
その特権を活用しない手はないと、タケミは考えた。
深夜に利用客のいない王立図書館で、自由に調べ物をすることができる、その立場はとてもおいしいものだった。
「失礼。少し野暮用があって」
事務室へとつながる裏戸を叩きながら、タケミは言う。
中で人が動いた気配がし、影が扉の前まで近づいてくる。
「すでに閉館しています」
扉のすぐ向こう側から声がした。
「借りた本を返すのを忘れていたわ。だから返しにきたの」
「明日の入館可能な時間帯に、また来てください」
「今しかないわ。日中だと手が離せないの。それに、個人用の閲覧室を使いたいのだけれど」
一瞬の沈黙が、訪れる。
「……どんな本ですか」
「聖剣にまつわる、おとぎ話よ。何冊だったかしら、かなり数が多いわね」
「わかりました」
扉が開き、司書が顔を出す。タケミが、こんばんはと言うと、司書はすぐに背を向け、ついてきてください、と言った。
コートを脱ぎ、事務室に入る。
タケミは司書に案内され、閲覧室に向かった。昼は一般の利用客で溢れている閲覧室も、夜は静寂で満ちている。
薄闇の中を、手に持つ行燈の導きだけを頼りにして進んでいく。
しばらくすると司書は立ち止まり、タケミの方を振り返った。目的のエリアに到着したのだ。
司書は上着の内ポケットから鍵の束を取り出し、そのうちの一つを迷いなく選び取ると、タケミに渡した。
「どうも、ありがとう」
「退館の際は事務室まで。また何かありましたら、お声掛けください」
司書は軽く頭を下げて、事務室へと戻っていった。彼女の後ろ姿が見えなくなるまで、タケミはじっと闇に溶け込むようにして、動かずに待った。
かちゃ、と閲覧室の扉が閉まった音が聞こえると、タケミは近くにある本棚を、仄暗い行燈の光で照らした。腰をかがめて、一段ずつ入念に見て回った。
王立図書館に出向いた理由は、聖剣にまつわるおとぎ話を探すことだ。ただし、聖剣が登場する物語はいくつも存在する上、書き手によって解釈も大きく異なる。とにかく数を集めて、時間をかけて精査する必要がある。
タケミは、めぼしいと思える本を何冊か手に取ると、片手だけで落とさないようにしっかりと抱え、閲覧室の奥に設けられている箱型の小部屋に向かった。個人用の閲覧室で、鍵をかけることができる。一般客用には開放していないため、ある意味、タケミが使うための個人用の閲覧室といえる。利用する際にも、司書にそうやって合言葉のように告げることで、鍵を受け取ることができる仕組みとなっていた。
司書から受け取った鍵を使い、個室を開ける。
個室は、両手をいっぱいに広げると壁に触れる。それだけの狭い感覚で四方を囲われた部屋だった。しかも部屋の半分は読書用の机が占拠していて、利用できるのは、人ひとりがやっと、といったところだ。ほとんど椅子一つ分のスペースしかない。
タケミは個室に入ると、机の上に本たちを並べ、再び、本棚に戻る。またいくつか取ってきて、机の上に山積みにする。そのおとぎ話の山が、自分の座高と同じくらいになったところで、個室に鍵をかけ、席についた。
机の端に置いた行燈を読書灯のかわりに使い、本のページをめくる。
聖剣にまつわる物語は、伝わり方こそ少なけれど、星の数だけあった。
誰もが自分の都合のいいように、その物語に沿うように脚色を加えている。
所詮はおとぎ話か、とタケミは思った。
おとぎ話の中には、歴史を語るものもあるが、大抵は、子どもたちを楽しませたり、あったとしても教育に用いられたりする程度のもので、どれも真実味がない。王立図書館にあるものもそうだ。
すべての物語の中で、聖剣に共通して言えることがあるとすれば、聖剣には、所有者の願いを叶える力があるということだ。
しかし、それはあくまで、おとぎ話における設定であり、この現実の世界でのことではない。聖剣を探していた少年も、そう言っていた。彼が隠しごとをしていないという保証はどこにもないけれど、聖剣にはそんな特別な力はないと。おとぎ話に出てくるような代物ではないのだと。
「……あの子は、どうして聖剣を?」
タケミは自分で呟き、はっとした。
聖剣を探していた彼は、それを、父の形見だと言った。
なぜ彼は、はっきりと「聖剣」と、言えたのだろうか。
彼の父から、そう聞かされていたとか?となると、彼の父は、元々、聖剣を持っていたことになる。
これだけの物語が描かれる代物だ。いくら自分の息子とはいえ、その存在を簡単に明かしていいものなのだろうか。それとも、息子の彼を喜ばせるための冗談で、実際には、何の関係もないものなのか。
しかし、その聖剣は盗まれた、とも言っていた。
十年前だ。
盗んだ人物は、なぜそうしたのか。
彼が持っていたそれが、聖剣だと知っていたのか。
それとも――
タケミは読み終えた本をすべて棚に戻し、個室に鍵をかけ、事務室へと向かった。
収穫は、ゼロと言っていい。
多少なりとも知識はついたが、情報と呼ぶには足らない。十年前の真実を解き明かすには、何か重要なピースが欠けている気がしてならなかった。
タケミは暗い廊下を歩きながら、集めたおとぎ話たちと、頭の中にある情報を照らし合わせて、思考を巡らせた。
仮に、王都にあるという聖剣が、あの少年が探していた聖剣が、本物だとしよう。つまり、おとぎ話で語られている通り、所有者の願いを叶える力があるのだとすれば、十年前、聖剣を盗んだという人物は、その力の存在を知っていたに違いない。
だが、ここに、新たな疑問が生まれる。
彼の父は、なぜ聖剣を持っていたのだろう。
彼の父は、何者なのだろう。
事務室に入ると、司書が黙々と作業をしていた。膨大な書類の束を、その一つ一つに目を通し、ほとんど瞬間的な判断でまとめ、整理している。
タケミは彼女に近づき、帰宅する旨を伝えて、鍵を渡した。彼女は視線を手元においたまま作業を続けながら、わかりました、とだけ答えた。
「どうも、ありがとう。またウチにも顔を出してね。友達価格で迎えるわ」
タケミが冗談めかして言うと、司書は無言で頷いた。
「……お探しのものは、ありましたか?」と、司書が、裏口の扉に手をかけたタケミを止める。
「いいえ、収穫はなし。まあ、元々あまり期待してはいなかったんだけれどね」
「聖剣にまつわるお話、でしたか」
何か知っていることでもあるかしら、とタケミは駄目元で訊ねてみた。
「私は……詳しくは知らないのですが、以前ここに勤めていた方が、聖剣について詳しかったそうです」
「ほんとに……?」タケミは司書の顔色を伺う。嘘をついているわけではなさそうだった。
「はい。その方は、私がここで働く前にすでに辞めてしまっていたので、面識はないのですが、その方のことは噂として、ここで働く人たちの間でまことしやかに囁かれています」
「なんて?」
「選ばれし者――いわゆる、聖なる力を宿した者だったのではないか、と」
そういえば、あるおとぎ話に、こんな解釈があるのを思い出した。
聖剣は常人には扱うことはできない。
選ばれし者、聖なる力を宿した者のみが、願いを叶えることができるのだ、と。
「つまり、聖剣の力は本当ってこと?対象となる人物が限定されているとはいえ、所有者の願いを叶えることができる」
「ええ、おそらく」
となると、十年間のあの出来事は――
タケミの頭の中に、ピースが集まってゆく。それらがぴたりと形をつくり、ひとつの物語となっていく。空白だった部分も、塗りつぶされる。
願いを叶える力。
――盗まれた聖剣と、聖堂の大火災。
それらを繋ぐもう一つの事件。かの商会の会長が、聖剣の力の真相を知っていたのだとしたら。聖剣を奪うために、街のチンピラたちを雇い、あの少年の元に向かわせたのではないのだろうか。
タケミは、眼鏡の縁を触る。深く考え込む時の彼女の癖だった。
あの少年が行方を探っていることから、聖剣の奪取は成功したとみていい。だが、聖堂の火災を聖剣の力によるものだと仮定するのならば、聖剣は教会へ届けられたことになる。
誰が手引きしたのか。
そして、今、聖剣はどこにあるのか。
一見、事件の関連性を見出せたかと思いきや、解明できないことがまだ多い。
だいたい商会の手引きによる聖剣奪取作戦は、失敗に終わっているはずだ。生還した者が一人もいないのだから。
さらに、聖剣の力が本当なのだとしたら、聖堂の火災は、聖なる力を持った何者かが願ったということになる。そんな残酷なことを、どうして。
事件の裏には、まだ謎が隠されている。
その奇妙な繋がりは、事件の当事者でなければ語れないのだろう。
あの少年は、まだ王都にいるだろうか。あるいは、母の仇を追うあの殺人鬼は。
彼らから、何かヒントとなる情報を聞き出せればいいのだが。
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