殺し屋 6

「目が覚めたか」

 コトリの声に、バレットは顔を上げる。

 頭痛がした。気を失っていたようだとはすぐにわかった。

 体が自由に動かない。椅子に括り付けられるように拘束されている。両手の手首を後ろ手に縛られ、足首は細い椅子の脚に繋がれていた。

 そこは、暗い部屋の中だった。

 人の気配は、正面の椅子に座っているコトリの他にはない。

 隠れ家か何かか。拘束を解こうと試みるも、うまくいかない。殺しを行う過程で、誰かを縛ることは何度かあったが、自分がこちら側になることは初めてだった。

 これまで、俺に拘束されていたやつらはこんなにも窮屈な気分だったのかと、バレットは無様に体をよじり、手足の自由を取り戻そうとした。

「無駄だよ」コトリは、むず痒そうに動くバレットを見ながら、落ち着いた声で言う。「君の体の自由を奪った理由は、特にない。そのうち開放する。ただ、ちょっとだけ話をしたかっただけだ」

「……俺に質問をする権利はあるか」

 バレットは口を開く。長く閉じていたせいか乾燥していたようで、口の端に痛みが走った。

「何が訊きたいんだ」

「まず、状況を把握したい。俺たちは聖堂にいた、そうだよな。するとそこに、殺人鬼の少年が一人と、修道着姿の少女が一人、現れた。それから、聖堂は巨大な炎に包まれた。十年前のように――で、あの後、どうなった」

 バレットは、コトリを睨む。嘘をついても見破れるんだぞと、目で訴える。

「君を連れて、脱出した」それだけ、コトリは言う。

「他の二人は」

「少年の方は、すでに炎に呑まれていた。残念だが。マリナは――あの少女は、気を失ってしまったみたいだから、近くにある小屋に運んだ。苦しそうにしてはいたが、まだ息はあった」コトリは腕を組み、言った。

「ここはどこだ」

「私がかつて使用していた、セーフハウスだ」

 バレットは意識をコトリに向けながら、視線だけで軽く辺りを見回す。

 簡素な生活ぶりがうかがえる家具は、自己主張も少なく夜に溶け込んでいる。

 よく見ると、それなりに整えられてもいる。おかげで空き家としての認識はされておらず、ホームレスにも住み着かれないのだろう。

 人目につかない。怪しまれない。裏の仕事をするにはうってつけの場所だ。

「……状況は理解した」バレットは頷きながら言う。

 コトリが立ち上がり、部屋の隅にある机の前まで移動した。バレットは視線で彼を追う。

 食卓だろうか。長方形の机の上には何か物が置かれていた。

 それらが、自分の得物だと気づき、バレットは目を細める。

「武器は没収済み、というわけか」

「一時的にだ。すぐに返す」コトリは横目でバレットを見る。「私のやるべきことを終え次第だが」

「聖堂でもそんなことを言っていたな。なんなんだ、そのあんたの言う、やるべきことってのは」

「君とその話をするために、ここに来たんだ。私のやるべきことを、知っておいてもらわなければならないことを、伝えるために」

 コトリは机の上にある三丁の銃と数本のナイフを眺めまわし、やがて銃のうちの一つを手に取った。銃を様々な角度から執拗に見ている。鑑定士のような振る舞いだ。

「――始末しなければならない男がいる」

 コトリの声に、バレットは身の毛もよだつほどの寒さを感じ取る。

 非情な声音だった。赤ん坊の泣く声のようだと、バレットは思うともなく思う。それが彼の生きている意味なのだとばかりに、はっきりと言い切ったことが何より恐ろしく思えた。そこには、明確な殺意が潜んでいた。ただし、バレットに向けてのものではない。彼の言う、始末しなければならない男への、どこまでも深い憎しみの意志だった。

「それは、俺のことか」バレットは訊ねる。

「違う、逆だろう。君が私を殺そうとしている」

 コトリは銃を机に置く。続いて、ナイフを取り、くるくると指の先で器用に回した。その行為の意味はわからない。

「それを終えないことには、私も死ぬわけにはいかない。標的は今宵、これから始末する予定だ。だから、少しだけ待ってほしいと頼んでいるんだ。私が目的を果たすまで」

「終わったら、大人しく俺に殺されてくれるとでも?」

「かまわない」

 迷いのない彼の返事に、バレットは一瞬、戸惑う。

「……信じられるわけがないだろ」

「君を生かしていることが、何よりの証拠だと思わないか」

 バレットは黙り、動揺を悟られまいと堂々とした態度を視線に込めて、コトリを見据えた。

「自分のことを十年間も憎み続け、追い求め、殺したいと願っていた相手を前にして反撃しないなんて、おかしな話だろう。まあ、拘束させてもらっているのは、あくまで私の目的のためだ。君が自由になれば、すぐにでも私に襲いかかってくるだろう。いや、それ自体はかまわないが、今じゃ困る。何度も言うように、私には、まだやるべきことがあるからだ」

 バレットは、何も答えない。かわりに、コトリの言葉を余すことなく、一言一句、確実に忘れぬよう頭に叩き込む作業に集中していた。

 本性を隠すのが得意なのだろう。彼の声の調子や態度による意図の読み取りは不可能に近い。ならば、発した言葉そのものに含まれる意味を精査する必要がある。

 何を伝えたいのか。どこで嘘をついているのか。あるいは、すべてが本心からの真実なのか。

 コトリの顔を、まっすぐ正面にして見る。

 目の動き、呼吸のリズム、瞬きの回数なども、念入りに見る。回数だって数えてみる。そんな自然的な小さな仕草からも、感情の揺れは読み取ることができる。

 沈黙が二人を包んだ。

 バレットは、コトリの始末しなければならないという男について考える。

 それは、この王都にいる人物だ。

 そして、ほとんど予感のようなものから推察されたことだが、その行為は近々、実行されることだ。彼は、その相手への接近を試みている。きっと、すでに居場所も掴めているのだろう。

 暗闇にも目が慣れ、正面に立つ父の仇の顔が、刻まれたしわまで鮮明に確認できるようになってきた頃、バレットはおもむろに口を開く。

「……なるほど。ようやく気づいた。今夜、俺の元に届いた護衛の依頼も、あんた自身がしたものだったわけか」

「ああ。確実に君に渡るよう、ヤマに頼んでおいた。彼女とも長い付き合いだからな」

「やはり、そうだったのか」

 ヤマは、コトリとの繋がりがある。なんとなく、そんな気はしていた。しかし、彼らが本当に関わっているという可能性が、その確証を得るだけの事実が、見当たらなかっただけだ。

 ヤマは、バレットがコトリに対して恨みを抱いていることを知っていた。復讐を遂げるため、殺し屋として活動を始めたことも、事あるごとに、殺し屋コトリの情報の入手に動き、追いかけていたことも。

 しかし、ヤマはコトリとの関係を、バレットには明かさなかった。

 あくまで、ビジネスパートナーにすぎないのだから。

 彼女は相棒と親しくやり取りする性格ではない。そのことは、バレットもよくわかっていた。

 コトリとの接点があることを意図的に黙っていたのは、依頼人と殺し屋の仲介を担う彼女の立場としては、ある意味ふさわしいとも言える。むしろ、付き合いの長い彼の側に肩入れするのというのは、納得さえできる。

 バレットは、先ほどの宿でのヤマの態度を思い出す。

 なかなか役者じゃないか。思わず、拍手を送りたくなる。

「なぜ、俺に依頼を届けた」

 バレットは訊ねる。

 おそらく、コトリはなんでも知っている。少なくとも、俺が置かれているこの状況を作り出した張本人ではあるのだから、俺が知りたいことは把握しているはずだ。ならば、聞き出すしかない。俺が知らないことを。いったいどんな抗争の渦中に放り込まれているのかを、見定めなければならない。バレットは、そう考えた。

「なぜとは」コトリは、質問を返すようにして言う。

「知っていたんだろ。俺がずっとあんたを追っていたことも。父の仇を取るために、殺そうとしていたことを」

「もちろんだ。ヤマから聞いていた」

「だからこそ、わからない。なぜ、そんな俺を護衛させる依頼相手として選んだのか」

「答える必要はない。私は目的を果たし、君は私を殺す。それだけだ」

 それだけを言って、コトリは口を閉ざした。

 くるくると玩具のように回していたナイフを握り直し、その腕を下ろした。

 それから、ひっそりと動かなくなる。

 彼の佇まいに生気を見失い、そこにいるのは父の仇の幻影なのではと、バレットは思う。

 そんなはずはない。

 殺し屋コトリは、確かにそこにいる。

 十年前の夜、俺の目の前で、俺から父を奪った憎むべき相手が、ここに生きているのだ。

「確認したいことがある」

 バレットは、コトリの白い顔を見上げる。

 彼の真剣な顔に何かを感じたのか、コトリはナイフを机に置き、体を正面にして、バレットと向き合った。

「何か?」

「十年前に起きた事件のことだ――社会の裏で活動する、とあるグループに裏切り者が現れたらしい。なあ、それって、あんたのことじゃないのか」

「だとしたら?」

 コトリの声音に、揺らぎはない。眉一つ、動かない。

「俺の父が殺されたのもそれが理由かどうか、確かめたい」

「そうか」と、コトリは頷く。「君の予想は正しい。君のお父さんは、例のグループのメンバーだった」

「だから殺した、と。そのグループとあんたは、どういった関係だったんだ?」

 コトリが、かすかに眉を動かしたかに見えた。何かに逡巡しているふうに。しかし、その様子もすぐに暗闇に溶け込む。

「……君には、話しておこうか。納得してもらおうとか、理解してもらおうとか、そういうのではないが、知っておいてもらった方がいい。君は私に似ている。だからこそ、私と同じような道を歩んでほしくないと思っている」

 そう言って、コトリは暗い天井を見上げた。

「私のことを、少し話そう」

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