裏切り者 1

 殺し屋として活動していた私が、グループの関係者から裏切り者と呼ばれるようになったのには、二つの理由がある。

 一つは、十年前の事件だ。

 私は、とある理由により、グループのメンバーたちを、下っ端から上層部に至るまで、そのすべての関係者を一人残らず、始末して回るようになった。

 タケミから情報を買い、彼らの居場所を特定して、かつ自分の足取りや狙いを知られないよう、それまでの仕事の経験を駆使して立ち回った。

 この時の私の行いに、裏切者が現れたと声を上げた者たちは少なからずいた。

 ――しかし、発端はと言えば、実はそこではない。

 二つ目の理由にある。

 さらに十年ほど前に遡る。

 仲介業のヤマに仕事をまわしてもらい、殺し屋コトリの名で活動していた私は、グループにエージェントとして雇われ、任務を与えられたことがあった。

 詳細は後に語るが、それはなんとも奇妙な任務だった。

 結果から言うと、私はその任務に失敗した。

 だが、その失敗は私が意図したもので、グループの裏切り行為にあたるともわかっていた。

 それでも、私の意志は揺るがなかった。自分が真に正しいと思うことのために、決断したのだ。

 おかげで、私は裏切り者と呼ばれるようになった。

 当時の話をしよう。

 今から二十年ほど前の、私が殺し屋としての名を捨てた、ある事件の話を――




 ――――




 私に与えられた任務は、グループと敵対関係にある秘密結社――彼らは『幻影の塔』と呼んでいた――の活動拠点に潜入し、パッケージを入手することだった。

 任務についての情報として、潜入時期、場所、作戦、作戦後の合流地点は伝えられたが、それ以上の詳細は聞かされなかった。

 彼らの目的も、敵の戦力も、パッケージの中身も。

 殺しの腕を買われ、裏社会でも力のある組織に雇われたと言えば聞こえはいいが、彼らにとって、私は捨て駒に過ぎなかったようだ。

 たとえ任務が成功しようが失敗しようが、敵の情報は得ることができる。私の任務は、偵察のつもりでもあったのかもしれない。しかも、何か想定外の展開が、たとえば私が捕らえられるようなことがあったとしても、部外者として、簡単に切り捨てることができる。そのための私だったのだ。

 彼らは任務の前に、私との関係を強くすることを拒んでいるふうだった。

 連絡を取るのも、いつも彼ら側からのみの一方通行だったし、私と直接会い、顔を見せる人物は毎度、違っていた。

 任務という責任は与えられたが、そこに、信頼や期待は微塵も存在していなかった。

 だが、行動を起こすにあたって、事前に何も調査をしないのは、私のやり方に反していた。

 私は情報屋を利用する以外にも、普段から交流のあるホームレスたちに協力してもらうという独自のルートをも活用し、任務に関する情報をできる限り、短時間で集めた。

 グループの目指すもの。幻影の塔の正体。

 そして私は、パッケージについての情報を得た。

 しかし、彼らが、なぜそれを求めるのかについては、まったくわからなかった。

 私は、さらに情報を集めるため、王立図書館に向かった。

 パッケージの中身である――「聖剣」についての情報を得るために。

 そこで、彼女と出会った。


 その司書は、セラと名乗った。

 私が、聖剣についての伝承、歴史や、あるいはおとぎ話でもいいので、何か関連のある物事を調べたいという旨を伝えると、彼女は特別な話をしてくれた。

 どうして私に、と訝しんだが、他に人もいなくて暇なので、と彼女は笑いながら言った。

 この時の私は彼女のことを警戒していたが、杞憂に過ぎなかったと、話を聞き終わった後で思うこととなる。それどころか、私の命運を分けたと言ってもいいほどの、決意を抱く。彼女と出会うことができたおかげで、今の私があるのだ。

「聖剣について、どの程度、知っているのですか?」セラは、子どものように明るい声で言う。

 私と対峙した大抵の人間がそうするように、私に怯えてはいなかった。

 私の正体を知らないのだから、当然と言えば当然だ。

 表の世界で、多くの人間の過去をつなぐ歴史のつまった書物を扱う彼女は、裏の世界で、多くの人間の明日を奪った私と、分かり合えるはずもなかった。

「おとぎ話に出てくるものだというくらいしか……実在しているのかすら、よくわからない」私が答えると、彼女は、なるほど、と頷いた。

「だから調べたくなった、と。もしかして、考古学者の方ですか?」

「いや、そういうわけではないんだが……」

 私が言葉を濁してきまりが悪そうに言うと、彼女はくすくすと笑った。

 実際の年齢はわからないが、やはり少女のような無邪気さがあった。

「実在しますよ」

「え」

「聖剣は、この世界に確かにあります」

 セラは、曇りなきまっすぐな目で言った。その瞳に私の姿が映っていた。黒い大きな塊が、彼女の水晶のような輝きの中で立っている。それが、なんとも哀れな男の姿に見えたから、不思議だった。高貴な光の中に取り残されたみすぼらしい影には、この世の残酷をただ一人の人間に押し付けられたかのような虚しさが漂っていた。

 彼が何者なのか、その存在を確かめてみたいと思った。それが、叶わぬ思いであっても、私はそれを求めた。

「どうして、そんなことを知っているんだ。君は、何者だ?」

 私は問いかける。セラという少女に。彼女の瞳に宿る男の影に。

「聖剣は、私の血に関することなんです」

「血?血統の意味か」言いながら、私は、周囲に人の気配がないかを確認した。

 ここには、グループの見張り役はもちろん、図書館の利用客は一人としていなかった。が、万が一にも、誰かに聞かれるわけにはいかない。それだけの内容のことが彼女の口から語られるのだと、私は察した。

「私の一族には……と言っても、そんな大したものじゃないんですけどね、聖なる力があるとされてきました」

「聖なる力」

「いえ、本当はそんなものないと思うんですけど」

「……どういうことだ」

「信仰のようなものなんです」

 セラは両手の指をするりと絡ませ、自身の胸元に近づける。

「祈祷か」

「願いたいんです。この世界に災いがもたらされないことを。私たちの暮らしに平穏があることを。理不尽な目に遭い、心に傷を負った人には、すがるものが必要になります。自分の力ではこの世界に太刀打ちできない。でも、願うことはできます。理想を掲げることはできます。そしてそれを聞き入れ、助言をくれる者がいれば、皆はその存在を認めるようになります」

「ややこしい次元の話をしているようでわかりにくいんだが、要するに、人生に絶望し、世界に失望した者たちには受け止めてくれる人間の存在が必要という認識でいいのか」

「そんな感じです」

 セラは嬉しそうに頷く。

「なるほど、素晴らしい教訓だと思うよ。しかし、その教えが君の一族の話や聖剣と、どう結びつくんだ」

 世間話をしている時間が惜しく感じられ、私は彼女を急かした。

 聖剣についての情報はないのか。私がこれから手に入れようとしているものは何なのだ。

「私の先祖は、皆に求められる人物だったのです」

「つまり、人々に助言をしていたと?」

「私も、ひいおばあちゃんから聞いた程度のことしか知らないんですけど、かつて、聖なる力というものは実在していたそうです。その力のためか、先祖は人々に崇められていました。聖なる力を用いていたのかはわかりません。それが、どんな力なのかもわかりません。けれど、そういった信仰はあったみたいです」

「その聖なる力は、今や失われてしまったと」

「いえ、あるにはあるみたいです」

 私は片方の目を細める。彼女の発言に矛盾点があるような気がした。

「……わからないな。君は先ほど、聖なる力は、そんなものはないと言わなかったか?」

「今の私には確かめようがない、という意味なんです」セラは申し訳なさそうに、言う。「聞いた話によると、聖なる力は、その子孫へと受け継がれていくそうです。けれど、親から子へと直接受け渡されるのではなく、世代を超えるそうで。ひいおばあちゃん曰く、それは五つほど」

「君は、その力を有していないのか」

「はい。そして、次に聖なる力が宿されるとされているのは――」セラは俯く。

「君の次の世代か」私は、彼女のかわりに言う。

「……はい」

 顔を上げたセラは笑っていた。それは喜びからくる笑みではなかった。様々な感情が混在して、その表情をつくっている。闇の世界を生きてきた私にでも、それくらいのことは理解できた。自分を奮い立たせて、必死に生きようとしている強者の笑顔だった。それは、闘争や賭け事の強さを示すものではない。人としての本能的な強さだ。誇りや気高さに近しいものだ。

 その時、私は、妙なことを考えた。

 ――彼女を救ってはやれないだろうか、と。

 本当におかしな考えだと、我ながらに思う。彼女は、私に何か助けを求めていたわけではないのだから。

 しかし、彼女の見せた表情が、胸の奥にある恐怖の感情を押し殺して表れているものではないかと感じ、これまでずっとその儚い笑顔を多方面に、残酷な世界に屈してしまいそうになる己をごまかし、見せ続けながら生きてきたのではないかと思うと、彼女のことが不憫でならなかった。

 そんな深淵から、引っ張り出してあげたい。彼女は私の手を取らないだろうが、手を差し出してやりたいと、私は思った。

「話を戻します。なぜ、私が聖なる力について話をしたのか――曰く、聖なる力の発現には、聖遺物が必要でした。そう、伝えられていました。その聖遺物こそが、聖剣なんです」

「聖なる力の血と聖遺物か。それらが揃った時、初めて、聖なる力とやらは発現するのか」

「私はこの目で直接、見たわけではないので、実際にどんなことが起きるのかはわかりませんが、超常的な、人智を凌駕する現象を引き起こすことだって、できるのだそうです」

 これまでに先祖たちは、様々な奇跡を起こしてきたと、セラはその一例を語ってくれた。

 他者の死期を予知した。空を散歩した。三日間だけ、夜にならなかった。死したばかりの者が蘇生した。人々に嘘の言葉を吐けなくした。など。

 それらはすべて、聖なる力を持った彼女の血と、聖遺物である聖剣がもたらした神秘なのだと、人々は選ばれし者と呼び、おとぎ話にもおさめたという。後世に伝えるためか、はたまた感動を書き留めておきたかったのか。

「私、実はちょっと怖いんです」セラが、小さな声で言う。

「怖い?」

「聖なる力については、ひいおばあちゃんから聞いたことしか知らなくて。半信半疑ですけど、もし本当の話なのだとしたら――私が子を成した時、その子はどんな運命を背負って生まれてくるんだろうって。そして、このことをその子に話さなきゃならないのかなって。想像すると、不安になって。私は、立派な母親になることができるのかなって、毎晩、考えちゃうんです」

 彼女は声を震わせていた。すん、と鼻で空気を強く吸い込んだ音が、静かな館内に響く。

 私は何か気の利いたことの一つでも言えないかと考えたが、無意味だった。私がどんな言葉をかけたところで、彼女の心を動かすことはできない。汚れた手では、誰かの明日を照らしてやることはできないのだ。

 私は夜の人間だった。これまでも、これからもそうだ。人を知らず、人に知られず、生きていく。人を殺しながら、自分を殺しながら生きていく。そんな夜の世界にいる私が、不用意に彼女のような光の世界に生きている者たちに関わることは許されることではない。私に歩み寄ってきてくれる相手ならまだしも、私から距離を縮めるわけにはいかないのだ。それは、私のためであり、彼女のためにもなるからだ。

「君は、どうしてそんな重大なことを私に話してくれたんだ」私は訊ねる。彼女には酷なことを訊いたかもしれないと思ったが、やはり気になった。

「……それは、言ったじゃないですか。他にお客さんもいないし、暇だからって」セラは、無垢な少女のような表情に戻っている。

「そうじゃない」

「わかってます。冗談ですよ」ふふ、といじらしく笑う彼女の目には、涙が浮かんでいるような潤いがあった。

「たぶん、私のことは、知っている人たちは知っているんだと思います」

「聖なる力のことか?」

「はい。物心ついた頃から、私の家には変な格好をした人たちが度々、訪れるようになりました」セラは、両手を合わせるようにして握った手を見ながら、言う。「彼らは、母と少し話をして帰っていきます。そのあと、母はいつも悲しそうな顔をしていました。きっと私のことを――いえ、私の次の世代のこと、私が子どもをつくった時に、生まれてくる子のことを、話していたんだと思います」

「その人たちは何者かはわからないのか」私は口を挟む。

「はい。けど、おそらくですが、聖剣の伝承を信じている人たちなんだと思います。そして、これも私の推測ですが、彼らがいるおかげで、私の一族は平穏な暮らしができている」

「聖なる力を崇めている連中か。なるほど。聖なる力を持つとされる一族を支援し、その時がくれば――つまり、次の聖なる力を宿した世代の子が誕生すれば、その奇跡を自分たちも目の当たりにできる、と」

「今の私は、それほど日常を縛られてはいません。でも、子どもが生まれたら、その子は、どうなってしまうんでしょう」

 きっとその子は、彼女の一族を崇める人たちによって連れ去られるのだろう。

 そう、私は思った。

 彼らが、どちらの組織の人間なのかは、わからない。

 ――私を雇ったグループなのか。あるいは、すでに聖剣を所有している秘密結社なのか。

 それとも、どちらともつかない第三の勢力なのか。

 なんにせよ、セラの未来が暗く沈んだものになることは、目に見えている。どうしたものか、と私はまた考える。考えて、やはりどうにもならないかという結論に至る。私は夜の人間だから、と。彼女に必要以上に関わることはできない。彼女に危険をもたらすことになるだろうから、と。

「話を戻そう」私は言う。

「なんだか、話の道筋が逸れてばかりですね」セラは、なぜか嬉しそうに言った。

「私はそうしているつもりはないが……」言うと、彼女はやはり、ふふと笑う。

「どうして私に話してくれたのか、ということが知りたい。私が、その連中の仲間だとは思わなかったのか」私は、彼女に訊ねる。

「思いませんでした」

「決めつけているような言い方だな」

「初めて見た時から、感じていたことですから。そして、あなたとこうして話している中で、納得もしましたし」

「何のことだ」

「あなたが、とても優しい人だということにです」

 私は首を傾げる。これまでの会話のどこにそんな要素があったのか。

「なぜ、そう思った」

「直感です」

「根拠はないのか」

「はい。でも、私は私のことを信じているんです。だから、いつも通り、感じ取れたことを信じました」彼女は、私の体を円に見立てて、ぐるっと一周するように、視線を動かす。「あなたの周りには、いろいろな人たちの影があります。魂って言えば、わかりますか。死した者たちの魂です」

「死者の姿が見えるのか」

「はい。おかしなことを言っていると思うかもしれませんが、私はちょっとだけ彼らと話をすることができるんです。それで、彼らは、とても安らかに逝ったようだとわかりました。今は、あなたの正体をあえて聞かないでおきましょう。でも、あなたは最期のその瞬間まで、彼らに寄り添ってあげたみたいですね。言い残すことはあるかって。ふふ、カッコイイですね。あなたなりの優しさなのでしょう」

 私は少し横を向き、顔を逸らしたが、すぐに彼女に向き直る。

「……君の予想通り、私は、裏の社会で生きている人間だ。本来、君とは関わるべきではなかった。そのことについては、すまないと思う」

「いえ、そんなことは」彼女は、両方の手のひらを見せ、言う。

「そうは言っても、やはり私は夜の人間だ。君のような日の光の中で生きることが似合う者とは、関わるべきではなかった。ましてや、正体を明かすなど……私もどうかしている」

「でも、居心地のいい夜だってあるじゃないですか。明日を迎えることが楽しみな夜とか。私はあなたとお話しができて、よかったなって思っています。自分の考えや不安を吐き出して、見つめなおして、これからを歩いていく力にすることができた気がするので。未来を少しでも明るくすることができたと思うので」

 私は何も言わない。言う必要はなかった。

 これ以上の言葉は、いらないだろう。と思う。不用とも言える。私の意見は、ある種、彼女の考えと反発するからだ。

 どれだけ転んでも、私は夜の人間なのだ。

 彼女に気を遣わせることが、気に入らなかった。

 未来に不安を抱え、自分の環境に、生きる希望に怯えている一人の少女に、ただの殺し屋が甘えるわけにはいかない。無理に笑ってもらうわけにはいかない。

 ここで得るべき情報はすべて得た。早々に退却すべきだ。

 そして、私のやるべきことも、見つかった。

 つまり、彼女のために、私はなんとしても、聖剣を奪取しなければならない。

「どうして、あなたに聖剣のことを話したのか——そんな優しくて、危なげながらも力のある人が、聖剣に関わろうとしていて、これは私の人生における転機なのではと、未来が啓けた予感がしたからです。だから、あなたに賭けてみようと思ったわけです。自分勝手な理由かもしれませんが、あなたに、私の一族と聖剣にまつわるお話をしたのは、それが理由です」

 そう強気に語る彼女は、やはりあどけない少女のような精一杯の笑顔を見せながら、目には、うっすらと涙を浮かべていた。

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