探索者 6

「自由にかけてくれ」

 ヤマと名乗った女性が、部屋の扉を開けた。

 アーサーは、彼女のその言葉に、何か特別な意味が含まれているのではないかと深読みしながらも、正面にうっすらと見える長椅子に腰掛けた。妙な動きを見せて、彼女を刺激した方がかえって危険だと判断したからだ。ここは素直に、従っておくべきだろう。

 腰を下ろすと、みしと音がする。それが、ヤマが襲いかかってきた合図なのかと思い、両腕を顔の前にやって、体を強張らせた。

「そんなに警戒しないでくれ」

 ヤマは、友人に語りかけるように落ち着いている。気が立っている相手を宥めるような、茶化すような言い方だった。

「俺は、さっきの大通りで、あなたが人を殺したところを見ているんだ。いつ俺も同じ目に合うのか、気が気じゃないんです」

「殺してはいない。あれは一種のスタンガンだ、と言ってもわからないか。麻酔のようなものだ。感覚が麻痺する。一時的に相手を無力化させるためのもので、殺しのための道具ではない。だいたい、殺したのだとしたら、人の目に簡単に留まる通りのど真ん中に、あんなに派手に転がして放置したまま、ここまで来るわけがないだろう」

 通りで襲ってきたあの男たちのことは殺していないが、殺し自体を行ったことは何度か経験がある、そしてその証拠の消し方、逃れ方も心得ている、といった意味合いのこもった彼女の口調で、今すぐにでもこの場から逃げ出したくなる思いに駆られる。一緒にいては危険だと、号令のようなものが頭の中に響いていた。

 アーサーは、はあと呼吸を落ち着かせる。平常心を保とうとする。

 冷静になれ。彼女はいつでも俺を殺すことができる。そんな人間なのだ。

 だから、ここは慎重に、だ。

「こんなところに俺を連れてきて、何をするつもりですか?」

 そこは、西区の住宅街の端にある空き家だった。

 通りからは少し離れている路地に面した、廃墟のような佇まいのある家だ。かなり年季がはいっており、古びた扉や壁は、そこにただ並んで立っているだけの張りぼてにも思える。当然、人が住んでいる気配はない。

 つまり、ここで何かが起きたとしても、すぐに助けを呼べる状況ではない、ということだ。

「大した意味はない。君と落ち着いて話し合える場所を考えてみたんだが、君はどうやら、私のことをあまり信用していないみたいだからな。簡単に逃げられない場所を選んだまでだ」

「え」

 がこ、と重たい音がする。

 この音を知っている。故郷の家でも聞いたことがあるからだ。

 入り口の扉に鍵が掛けられた音。

 アーサーははっとして、ヤマの顔を見る。獲物を追い詰めた狩人のような顔つきをしていた。

「ここは、君の父が、仕事のためにかつて使用していた、いわゆるセーフハウスだ。緊急の時や住処のカモフラージュをする時などに利用していたらしい。西区には他にもいくつかあるんだ、こういう家が。空き家なんかは、だいたいそうだ。まあ、彼のことだから、普段の生活拠点として使用していた可能性もあるが。ふん。そういう男なんだ、彼は」

 ヤマは目元を細める。

 笑っているのか。アーサーは遅れて気づく。

 こんなにも情のこもっていない笑みがあるだろうかと、ぞっとする。

「さて、ひとつ訊きたいことがある」

 ヤマは腕を組み、壁にもたれかかる。彼女の顔の部分だけが、室内の影の中に消えた。わざと隠すようにしたのだろうか、アーサーのいる位置からは表情が見えない。暗い。この家に灯りはないのか。

「なんですか」

「君は、どうしてこの街に来たんだ」

「どうしてって……」

 アーサーが、どう答えるべきかと言葉を返すのを躊躇っていると、それを見越したかのように、ヤマは続けざまに口を開いた。

「言っただろ、私は君の力になってやりたいと思っていると。どうしても信用できないと言うのなら、私のことを、どうにか利用できまいかと考えてくれてけっこうだ。それでも私は喜んで協力する。仕事柄、私はこの街のことは、それなりに知っているんだ。こう見えても、裏の世界には精通していてね」

 どう見ても、見たままだよ。アーサーはそう言い出そうとして、ぐっとこらえた。

 本当のことを言うべきなのか、悩む。

 王都に来た目的は、父の形見である聖剣――盗まれてしまった大切なものを探すためだ。

 彼女が、かつての父を知っているのだというのであれば、少なからず、ヒントになる情報を得ることができるかもしれない。ただ、先ほど彼女から聞いた父の仕事の話がどうしても気になっていた。頭から離れない。戯言だと切り捨てることができない。忘れることができない。いつのまにか頭の隅っこの方に、居場所を設けて存在していたのだ。

 その昔、父は殺し屋で、彼女はその仲介人だった。そういった意味で、仕事仲間だったという。

 アーサーは、父の過去を知らない。

 母が騎士団に所属していたことは何度か聞いたことはあるが、父のことについては、何も知らなかった。あまり自分を主張するような人柄でもなかったし、そもそも母の方が、調子に乗って色々と喋りすぎるところはある。おしゃべりな母に比べて、父は口数の少ない方だった。自分のことに関しても無頓着で、家族ながらにも謎めいた部分が多い人だとは思っていた。

 だが、まさか人殺しを生業としていただなんて思いもよらなかった。

 あんなに優しい人だったのに、と悲しくなる。

 母に頭が上がらないという情けない姿ばかりを見た。それと同じくらい、家族を底から支えようと頑張る健気さもうかがえた。母に怒られたり、口喧嘩をしてしまった時、場を治めてくれたのは、いつも父だった。

 ――ある日の記憶だ。

 小さなことで母と反発したことがあった。夕飯の支度を手伝うかどうかとか、部屋の掃除をするかどうかとか、たしか、そんなくだらないことだった。母が口を出してきて、生意気に返したアーサーに、母は怒鳴る。そこから、なぜか過去の行いや日頃の家事の成果などを持ち出して、それらしい話をこしらえ、相手を説き伏せて、より優位に立とうと躍起になるという、愚にもつかない言い合いとなった。アーサーは母と同じで負けず嫌いな性格だったので、その口喧嘩に終わりは見えなかった。

 その最中、アーサーは、つい、かっとなって家を飛び出してしまう。

 父はすぐに後を追って来てくれた。そして、そのまま帰るのだと家出をした意味がないだろうし、少しばかりお母さんに仕返しをしてやろうと、二人で顔を合わせて企み、村のはずれにある森の近くまで、散歩をした。

 夜空に浮かぶ綺麗な月を眺めながら歩いた。黒い空に、白い穴が開いたように輝く月が、夜の世界を明るく照らしてくれる。

 家に帰ると、父は一緒になって謝ってくれた。寝る前には、そっと気遣うように声もかけてくれた。

 そんな父のことが、アーサーは好きだった。

 頼れる大人だと信じていた。それなのに――

「十年前、父が姿を消しました」

「……十年前?」

「はい」

 アーサーはぐっと、手に力をこめる。

 彼女のことを完全に信じたわけではない。今も心の中は、二つの領域に分離している。その片方では、やはり父が殺し屋であったはずがないという思いが強く生きている。

 ――それでも、優先すべきは聖剣の確保なのだ。

 十年前の夜を思い出す。

 あの日も、月の綺麗な夜だった。

 アーサーは、少しずつ記憶を遡り、あの夜、見たこと、聞いたこと、感じたことをゆっくりと、言葉を選びながら話し始めた。




 ――――




 アーサーが話し終えると、ヤマは、なるほど、と納得したふうに軽く息を吐いた。

「盗まれた父の形見か……その聖剣を探して、君は王都に」

「はい。ただ、聖剣と言っても、それは、おとぎ話なんかに登場するのとはちょっと違って、所有者の願いを叶えるとか、そういった特別な力があるわけじゃなくてですね」

「知っているとも」

 ヤマは低い声で言う。

「え。どうしてですか」

「言っただろう。君の父とは仕事仲間だったんだ」

「その……殺し屋という仕事と、聖剣は何か関係があるんですか?」

「……彼から、何も聞いていないのか?」

 そこで、すうっと室内に月明かりが差し込み、おかげで彼女の顔が見える。目を細め、何か訝しんでいるふうな表情をしていた。

「ええ。父は、昔のことは何も話してはくれませんでしたし」

「母親もか?」

「はい、母も同じようにです。普段の他愛ない会話の中でも、話の流れがそっちに向かおうとすると、二人とも目のあたりに力が入って。ぐっと。何かを恐れているようになるんです」アーサーはその時の両親を真似して、眉間に力を入れる。「そして慎重にもなっていました。財宝を守るドラゴンが寝ている間に、その住処を物色する盗賊のような、そんな慎重さです」

「おかしな譬えだな」

 ヤマは表情を変えず、言う。

「そんな時、俺は何かいやな感じがするんです。全身がぴりぴりする、というか。胸がきゅっと苦しくなって、指の先もひんやりと冷たくなるし。不吉な予感みたいな。これ以上、近づくと、家族の絆が引き裂かれてしまう気がして。いつも深くは聞かないことにしていました。そういう話題にならないようにと、普段から気を付けてもいました」

 なぜか胸の内から込み上げてくるものがあり、アーサーは口の端に力を入れる。

「ほう、君は優しいんだな、アーサー。家族相手に気を遣い続けるというのは、居心地の良いものでもないだろう」

 アーサーは俯く。正直、幼い頃ほどそう思っていました、と言いかけるが、我慢する。

 家族と過ごす日々の中で、そういった小さな気遣いを常日頃から心掛けていなければならないというのは、たしかに窮屈だった。煩わしくさえあった。いっそ気に留めない方がいいのではと思ったことも、何度かあった。

 ヤマの足音が近づいてくる。

 コツコツと、ブーツが一定のリズムで床を叩き、その軽い音が月明かりに吸い込まれて消える。

 足音がすぐ横で止んだかと思うと、彼女は、アーサーの隣に座った。足を組み、片方の腕を長椅子の背もたれに回すようにして掛ける。天井を見上げていた。何を考えているのかは、わからない。

「まあ、彼の仕事のことと彼が持っていた聖剣について、何か知りたいというのであれば教えてあげよう。ただ、彼がそれを君に話していなかったということは、何か意味があるのかもしれないのだと私は思う。そもそも、私は仕事の仲介人として彼と接していたことがほとんどで、あの聖剣の秘密や彼の実際の仕事ぶりについては、すべてを把握しているわけではない。それこそ、君の母親の方が、より多くを知っているだろう」ヤマは、横目でアーサーを見る。「それに、真実を知ってしまうことで、これまで君の中で生きていた現実が、見て感じていた世界が、つゆと消えてしまうかもしれない。私はそれが恐い」

「俺も、そう思います」

 たぶん、世界が反転して見えるのだろう。父の過去には、それだけのことが隠されているような気がした。

「でも、知りたいのか」

「……いつかは、そうですね」

「そうか」

 ヤマは、視線を下にやっている。

 何を話すべきか、何を話さないべきか、真実を伝えるか、それらしく誤魔化すか、迷っているように見えた。

 やがて、アーサーと目を合わせる。その表情には、とても裏の世界で活動している人間のものとは思えないほどの純な柔らかさがあった。温かい人間らしさがあった。そしてそれは、彼女の嘘偽りのない心を映し出した素顔のようにも見えた。それは時に優しさとも言う、誰の中にも存在する善の心だ、とアーサーは思う。

「君が決めるといい。どうするのかは、な。私はいつでも協力しよう。約束する」

「ありがとうございます」

 アーサーは、自然と笑みを浮かべていた。

 彼女の前で初めて、口元が緩んだ。少しだけだが、心を開いてもいいのかもと思った。

「ただ、やはり、ひとつどうしても気になることがある」

 ――と、ヤマの目つきが、鋭くなる。

「何ですか」

「なぜ、今日なんだ?」

「今日?」アーサーは顔を少し傾ける。「それは、どういう意図の質問ですか」

 ヤマは立ち上がり、腕を組んでアーサーを見下ろした。

「君が王都に来たのがだ。なぜ、今日に限って聖剣に近づこうとした。いや、先ほどの話から推測はできるが、よりによって、今日……聖剣を探し、父のことを知りたがり、私と出会った。まさか、すべて偶然なのか……?」

「よくわかりませんけど、今日だと、何かまずかったとか?」

 訊くと、ヤマの表情が曇る。

「やはり、偶然なのか。でもそれだと、彼は知らないのだから――取り返しのつかないことになるか」

 ぶつぶつと不穏な言葉の断片を洩らす彼女を、アーサーはじっと見上げていた。

「えっと、何が何だか……」

 いやな予感がした。

「なあ、アーサー」

「はい」

「私はどうするべきなのか、判断しかねる。しかし、このままだと、君はいずれ知ることになるだろうし、本当のところ彼が何を考えていて、どんな思惑があるのかはわからないが、急いで行動すれば間に合うかもしれない。その可能性があるんだ」

「えっと、何の話ですか。彼というのは?」

「今思えば、今日、私が君と出会ったのは偶然なのだろうが、こういった意味があったのかもしれない。運命的といえるのか。これを君に伝えるために」

「だから、何のことですか」

 全身が薄い膜のようなものに覆われている感覚に襲われる。体中がぴりぴりとする。

「いいか。とてもショックなことかもしれないから心して受け止めろ。そして、しっかりと考えろ。これから、どう行動するべきかを。冷静にな」

「……はい」

 胸がきゅっと苦しくなって、指先が冷たくなるのを感じる。

「君の父親のことなんだが――」

「父が、何か……?」

「今夜、殺されることになっている」

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