殺人鬼 4

 少し前、トカゲはタケミの書店の前で、ひとりの少年を見かけた。その容姿は、タケミから教えてもらった、聖剣を探しているという少年のものと、ちょうど重なったので、ああ、あいつのことなのか、と思った。

 十年前に盗まれたものを、今も尚、追いかけているらしい。その獲物に執着する飢えた獣の如く前向きな姿勢は、トカゲの目に好ましく映った。

 俺も同じことをしている。復讐を遂げるため、情報を集め、凶器を手に夜の街に繰り出して、どこにいるのかもわからない、たったひとりの女を探しまわっている。

 仲間意識のようなものが芽生えないでもなかった。まったく知らない少年ではあるが、その細い身体の内側に潜んでいる執念ともみえる邪悪な雰囲気さえも感じ取れてしまうほど、トカゲは一目見ただけで、少年のことが気になってしまった。

 それが、理由だったのかもしれない。トカゲは、彼の後をつけてみることにした。どうせ、ほかにやることもないのだ。タケミからの情報が入るまでは、しばらく大人しくしていようかと、そう考えた矢先のことだったのが、タイミングとしてもよかった。

 少年は、しばらく西区の大通りをまっすぐに進んでいたが、途中でふと思い立ったように左に折れ、教会跡に続く林道に入っていった。

 胸騒ぎがした。なぜ、あいつが教会跡に?

 タケミの話を思い出す。

 十年前、ある夜に起きた様々な事件。

 盗まれた聖剣。聖堂での謎の火災。裏社会グループの裏切り者。商会の会長の不審な動き。

 ——そして、あの女に、母を殺された事件。

 それぞれは、まったく関係のない事柄だった。しかし、それらは繋がっていないように見えて、よく目を凝らしてみると、かすかな光の筋が伸びていて、ひとつの物語を象っているかのように思えてきた。直感的にだったが。

 それは、夜空に浮かぶ星々のように——遠い国の占いでは、星と星とを線で結び、それを動物や植物に見立てて、この世界の成り立ちや行く末、定められている運命を語るとのことだ――ほかの星たちとは距離を保ち、孤独に輝いていて、一見すると、繋がりなんてものはない。しかし、彼らはそこに、目には見えないはずの繋がりを映し出し、物語を見出すのだ。

 それと同じことが、起きているような気がした。


 やがて、少年は林道を抜けると、開けた空間に飛び出した。トカゲもひっそりと後をつける。

 右手に小屋があるだけの小さな広場のような場所だった。小屋は、廃れている気配はまるでなく、しかし、誰からも忘れ去られてしまった哀れな空気感を漂わせ、洞窟内を照らす松明のような、ぼんやりとした灯りで、夜の闇の中に現れた。室内から明かりが漏れ、暗い付近をうっすらと照らしている。そして、ここは小屋以外に他は何もないようなので、そのためだけに存在している広場なのかと、どこか寂しい気持ちになる。

 少年が急に足を止めた。気づかれたか、と思ったが違った。少年は傍にある木の陰に身を隠すようにして、体をすっと幹に寄せると、しんと動かなくなった。

 そして、空を飛ぶ鳥を物珍しそうに見上げる子どものように、じっと何かを眺めていた。

 何を見ているんだ?

 トカゲも同じように木の陰に隠れる。そして、ちらと顔だけ覗かせ、少年が注目しているであろう視線の先を見やった。が、何もなかった。警戒しているふうだったが、誰かいたのだろうか。

 少年が、動き出した。彼は、まるで盗人が空き家に忍び込む時にそうするように、気配を悟られまいと息を殺しながら小屋に近づいた。扉をゆっくりと開ける。そして、中に足を踏み入れた。

 ここがあの少年の住処、というわけではなかろう。トカゲは思った。あからさまに挙動が不自然だし、人気のない場所であるにもかかわらず、こそこそとしているあたり、彼もまた強盗の類なのかもしれない。

 十年前に盗まれた聖剣を取り戻すために——もちろん、彼が、その聖剣を探している少年であるという確証はないのだが——自らの手を汚す覚悟もあるらしい。目的を果たすために手段を選んではいられないほど、躍起になったいるのだ。と、予想した。

 足音が聞こえてきたのは、その時だった。

 どたどたと乱暴に地面を踏み荒らす、騒がしい人間の足音だった。

 どこだ。トカゲは辺りを見回す。

 すると、小屋のあるところより先――石畳の道の方に、月光のもと、人影が揺れたのが見えた。ゆらりゆらりと、その影は千鳥足で右へ左へよろめきながらも、何かから逃げるかのように慌ただしく走っていた。こんな光景を、かつて見た覚えがある。まてよ、あの夜も確か。

 ――あれ、あの女だ。

 トカゲは、ぽつりとこぼした。

 手に冷たい感覚が宿った。

 視線を落としてみると、左の手のひらが、べっとりとした謎の液体で濡れていた。汗ではない。つんと異臭がした。嗅いでみると、血の匂いがした。左手を湿らせていた謎の液体は血だ。左のてのひらに、なぜか血が付着しているのが、わかった。

 そして、右手に視線を移す。先の長い刃物が握られていた。鋭利に尖った先端部分は、赤く染まっている。よく見てみると、左手を濡らしていた液体と同じ色をしていた。

 ――ああ、そうだ。と、そこで、思い出す。

 俺は、あの女を追って、ここまでやってきたんだ。

 顔を上げ、人影をとらえる。ひょろりとした背格好。四肢は枝のように細い。その影が、石畳の道を進み、奥へと消えてゆく。

 この先には何があるのだろうか。トカゲは目を凝らす。

 石でできた大きな建造が見えた。教会というものだろうか。

 いや、教会というのは、その団体か組織のことを指す意味の言葉だと母に聞いたことがある。つまり、あれは聖堂だ。彼らが共通の信仰のもとに集い、活動をするための場所だ。そこに、つい先ほど母を殺した女が逃げ込もうとしている。

 トカゲは片足を上げて前に出し、地面を強く踏みつける。恨みつらみをすべて、その一歩に乗せるように、ぐっと踏み込む。続けて、反対の足を持ち上げ、前に出す。それらの動きを少しずつ速くしていき、顔に当たる風が冷たくなるほどのスピードで駆けはじめ、女のあとを追いかけた。

 これは、復讐だ。決して逃がしてなるものか。

 ふと空を見上げると、大きくてまん丸な月が、目に入った。

 愛していた母親が、あの女に殺されたというのに、そうとも知らず、そんなこと、まるで興味がないといったふぜいで、夜の空に、のんきにぷかぷかと浮かぶその月が、これまで見たどの星よりも、美しく輝いているように見えた。


 聖堂に着いた時、トカゲは正気を取り戻した。追いかけていたはずの女の影はどこにもなく、手に付着していた血や持っていた刃物も、きれいさっぱりとなくなっていた。

 俺の身に何が起きたのだろうか。トカゲは、不思議な感覚に陥りながらも、自分の体にきつく巻きつき、そこらにも張り巡らされている細くかたい糸を、ひとつずつ紐解いてみることにした。

 夢、幻覚、妄想。何がキッカケかはわからないが、非現実的な世界に迷い込んでいたのだということは、冷静になった頭で分析してみることで、はっきりとした。

 手を強く握りしめ、ふっと力を抜いて開く。また握りしめ、開く。それを何度か繰り返した。

 これは、俺の体だ。トカゲは心の中で呟き、頷く。冷たい夜風を、肌に感じた。

 俺の手で、俺の感覚で、ここは夢や妄想なんかじゃなくて、現実の世界だ。

 自分の存在を何度も確かめてみた。そして、確かめるうちに、少し虚しい気持ちになった。

 体は確かにここにある。が、中に空洞ができてしまった感じがした。何もない外側だけの存在。薄っぺらな部分。復讐という、この世界に留まる理由がかろうじてあるから、なんとか生きているのであって、それがなくなった途端、ふわっと宙に浮かび上がり、地面から足を切り離され、そのまま真っ暗な夜空の彼方まで飛んで行ってしまいそうな、そんな生命力の薄さを、自分の内側に感じてしまい、気分が悪くなった。

 頭の中に悪魔が現れる。もやのような形をした、気味の悪い悪魔だ。

 悪魔の声が頭に響く。

 ――言っただろう。あの日の記憶は、お前を不幸にするぞ、と。

 ――うるさい、うるさい。

 トカゲは頭を振り、声をかき消す。

「俺は、何もおかしくなんてないだろうが」

 ぼそっと声に出して言い、それに反応して、肩がぶるっと震えた。なんだ、今のは。自分の声すらも別人のもののようだった。

 体の中の空洞から、ぼやっと噴き出した低い音が、自分の発した声なのだと認識するのに違和感があった。そして、そのことが、トカゲはたまらなくおそろしかった。自分の声さえも、幻聴だと思いかけたのだ。

 刺すような寒気がした。おとぎ話に出てくる魔王が持っている三又の槍で、身体をざっくりと貫かれたような気分だった。痛みはない。が、体内にある何かをぎりぎりと削られているような不快感はあった。

 どうして、こんな気分に。

 ――何を動揺しているんだ、俺は。

 トカゲは自分に言い聞かせる。落ち着け、と。この悪魔の声は、時折、するものじゃないか。何も特別なことではない。だから、落ち着くのだ。

 十年前の出来事を思い出そうとするたびに、この声が邪魔をしてくる。

 不幸になる。思い出さない方がいいぞ。

 その声は、罪悪か後悔か、そんな自制の心が引き起こす幻聴なのだと、そう、トカゲは考えていた。心の内に眠る闇の部分が、それは、透明の水の中にたらした一滴の血のように、さっと散らばり薄まりつつも、確実に、そこにある清廉さを濁らせる汚らわしい性質をもって、徐々に侵食してくる。純な心を蝕んでくるのだ。

 ――不愉快だ。だから、お前は静かにしていてくれ。

 目を閉じ、心の中で叫ぶ。トカゲは、いつもそうやって、頭の中に生まれる悪魔を抑え込んでいた。

 それは精神的な何かをすり減らす息苦しい作業であったが、そうでもしないと、自分を見失うのではないかという恐怖を、抱かずにはいられなかった。だから、耐えるしかなかった。

 俺の人生は、安定していない、今にも崩れ落ちてしまいそうな吊り橋だ。と、トカゲは常々、思っている。

 まっすぐに歩き続けるためには、体を身軽にすべく、何かを犠牲にしていかなくてはならない。

 共感性、罪悪感、そういったものから、切り離していく。すると、吊り橋を歩けるようになる。

 時折、吹く風に吊り橋が揺れる。危ない。また何か捨てなくては。

 道徳、思いやり、そんなものたちまで手放していく。そうやって、トカゲという殺人鬼ができあがっていく。

 自分が、まともな人間ではないことは、わかっている。

 だが、この奈落に、自ら身を投げ捨てるほど、落ちぶれてはいない。然るべきところで、然るべき時に死ぬ。それまでは決して生きることだけは諦めたくないと思っていた。

 どれだけ狂おうとも。幻覚に惑わされようとも。悪魔の声に苦しめられようとも。

 ――あの女に復讐するまでは、生き延びてやるのだ。

「そこに、誰かいるのか」

 何者かの、声がした。


 聖堂内にいたのは、路地裏で会った例のコート姿の男と、死人のようないでたちをした大男だった。

 両者ともから、常人ならざる気迫を感じる。こうして、じいっと睨み合っていると、委縮してしまいそうになる。それだけ、圧力のある眼差しを向けてくる彼らだった。

 手前にいたコート姿の男は、「バレット」と名乗った。親交を深めるつもりなどない。もちろん、やつだって、そうだろう。なのになぜ名乗ったのかは不思議でならなかった。

 祭壇前に立っている不気味な男――死人のような大男は、口を閉ざしていた。彫刻のような、あるいは死神のような涼やかで凛とした佇まいで、何にせよ、生き物らしからぬ風格で、こちらを見つめていた。何を考えているのか、わからない表情だった。

 月光がかすかに差し、月明かりと夜闇の狭間のような場所に、その大男の姿はある。黒いニット帽に大きなコート、夜に紛れるためのような装いは、より彼という存在の不気味さを強調していた。

 バレットからは、少なからず警戒しているふうな視線を感じないでもないが、大男からは、確かに視線は送られてくるのだが、その眼差しに宿るものは、ただただ、無関心であった。道のわきに生えている花に興味を示さないのと同じように、視界には入っているものの決して注目していない、そんな冷たい視線だった。

「あんた、さっき会ったよな」

 バレットが沈黙を破り、口を開く。

「こんなところで、何をしているんだ」

「関係ないだろ。おまえこそ、仕事が終わって、家に帰るとか言ってなかったか。ここが、お前の住処ってわけでもないだろう」

「残業しているんだ。この業界ではよくある」と、おどけたように言うが、やはり隙がなかった。たとえばこの場で、多少、距離はあるが、不意を突いて襲い掛かったところで、すぐさまに対応してくるだろう。何者かは知らないが、そんなことを浮かべてしまうほどの、人物だった。

「そこのお前は」トカゲは、祭壇前にいる大男に視線を移す。「何しているんだ、こんなところでよ」

 すると、バレットがすっと体を動かし、大男の姿を隠すかのようにした。その動きに、トカゲは違和感を覚える。

 あの大男の従者か何かか?

「ただの観光だよ。私は旅をしている者でね。今日、初めて王都にやってきたわけなんだが、どうも街中の道には疎くて。彼に案内してもらっていたんだよ」

 この世界すべての人の父親であるかのような、力強くも温かみのある、そんな声だった。しかし、それもどこか演技じみていた。本体のつかめない影のような、芯のない声に聞こえた。

 バレットの方を見やるが、黙っている。大男は明らかに嘘をついている。だが、それに便乗して話をあわせようとする雰囲気はない。仲間ではないのか。

「旅をしていると言った割には、ずいぶんと身軽なんだな」

「宿を借りているんだ。荷物はそこに置いてある」大男は、穏やかだが抑揚のない声で返す。

「どこの出身だよ」

「この街からは少し離れたところにある小さな村だ。これは、いわゆる自分探しの旅さ。自分が何者で、この世界で何をするべきなのかを、今一度、見つめ直したいんだ」

「そんなことをして、何の意味がある」

「大事なことだよ。君もいつかやってみるといい」

 大男の声は、柔らかく包容力のあるものだったが、とにかく薄っぺらいと感じた。

 つまるところ、調子のいいことを並べ立てただけの虚言なのだ。油断を誘うためか。はたまた、適当なことを言って、追い払うためか。

 大男の表情からは、何も汲み取ることができない。死神の思想が人間ごときでは到底理解が及ばないのと同じように、彼の考えもまた、知ろうとするには勇気のいる行為のように思えた。

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