探索者 4
西区の大通りをはずれ、林道を進む。
しばらく行くと開けた場所に出るので、南へ向かう。すると、教会跡がある。
宿屋でアイナに教えてもらった通りだった。
周囲を木々で囲われた奥行きのあるその空間には、手前に小屋がひとつと、それを横切るようにして石畳の道が暗闇へと伸びている。道の先には、石造の建物がある。あれが聖堂のようだ。十年前、謎の火災が起きたという場所だ。周囲は、それ以外の行く手を塞ぐかのように草木が健やかに生い茂り、林の中に建てられた教会というより、森の中に忘れ去られた村の跡地といった雰囲気だった。
がたりと音がした。手前に見える小屋の扉が開き、中から誰かが飛び出してきた。アーサーは足を止め、傍の木の陰に隠れる。
その人物は辺りを見回したあと、何かを警戒するようにしながら聖堂の方に消えてゆく。
その後ろ姿を、薄い月の明かりだけを頼りにしながら、アーサーはわずかにとらえた。
ぱっと見の背格好と走り方からして男のようだ。足音から興奮している様子が伺えた。憤っているようにも。それとも、慌てているのか。
誰か住んでいるのか。
アーサーは足音を殺し、小屋に近づいた。懐にあるナイフを、袖にしまう。持ち手が手に振れるようにして納め、いつでも取り出せるようにした。
小屋の扉を、開く。
信じられない光景が、目の前に広がっていた。
狭い部屋の中に、白髪の男がひとり、倒れている。胸を撃たれていた。何者かの手によって殺されたらしい。
仰向きに倒れているその白髪男から視線を外し、室内に注意をくばる。争った形跡はない。壁に取り付けられたテーブルの上には灰色のクロスがひかれ、そばにある安楽椅子は主を求めるようにこちらを向いていた。
クロスの上に食器が並べられている。食事の準備をしているところだったのだろうか。
奥に進むと、明かりがついている小さな空間があった。調理場のようだ。長方形の台の上には、一口サイズにカットされた野菜と、隣に大きな鍋が置かれていた。調味料の入ったボトルもいくつかある。ただ、一人前には見えない。
この白髪男は、客をもてなそうとしていたのだろうか。その途中で、あるいはその客に命を奪われたか。おそらく、先ほど小屋から出てきた人影が犯人なのだろう。
しかし、反対の可能性だってある。この白髪男こそが客で、あの影の正体がこの小屋の主ということもあり得る。
ただ、確かに言えることは、白髪男は殺され、犯人が逃げ出した、その現場に居合わせてしまった、ということだ。
調理場を抜け、さらに奥に進むと、突き当たりに扉があった。裏口だ。鍵を外し、扉を開けると暗黒の世界に繋がっていた。
室内から漏れる明かりが、視界を広げてくれる。闇色に染まった植物たちが、小屋を侵食せんとばかりにのびていた。広大な夜の森への入り口が、大きな口を開けてこちらを待ち構えている怪物のように見える。
裏口の扉をそっと閉め、外に出る。
冷たい風が肌に触れた。ちろちろと鳴く大きな虫が、頭上を飛んで行った。じめっとした空気が、体にまとわりつく。完全に自然の領域下だ。
緑が身近にあるのは故郷の村を感じさせた。少なくとも、王都のような家や店が連なる街並みからはかけ離れた世界のような、欲望と謀略にまみれたどんよりとした空気が流れる息苦しい街とは対極に存在するような、そんな場所だと思った。
左の壁際に、小さな物置があった。いや、よく見ると物置ではなく、それは箱だった。裏口の扉に向かって右側――聖堂がある方の壁際に、箱が寝かされているようにして置かれていた。
細長い箱だ。アーサーの体よりも一回りほど大きい。触れると、しっとりと湿っていた。木でできているようだが、どこか温もりのようなものを感じる。
錠がされていた。かに思えたが、よく見るとはずれている。のちに、アーサーはこの時の行動を、どうして自分はあんなことを、と不思議に思い返すのだが、特に意味があったわけではなく、ただの好奇心や興味本位といった様子で、箱を開けてみたのだ。中に何が入っているのだろう。何が入っていてもいいし、どうせ大したものなんて、という気持ちだったが、なぜだかアーサーは箱を開けてみた。
ぎいと小さく音を立て、起き上がる形で上部の板が持ち上がる。
中には、男がいた。少し大柄な、汚れた服を纏った男だった。箱の中で眠っている。
違う。どう見ても死んでいた。小屋の中からの明かりしか頼りのない真っ暗な視界でもはっきりと、それだけはわかった。
この男に見覚えがある。アーサーは思った。
つい先のことだ。タケミの情報屋に向かう途中、路地裏で襲ってきた追い剥ぎ男たちのうちの一人だ。
彼らはしつこく、凶器も持っていたので、あまり目立つことはしたくなかったのだが、やむを得ないとアーサーは思い、彼らの足を痛めつけてナイフを奪い、立ち去った。あの時、ナイフを奪った相手が、今まさに、足元に転がる箱をまるで棺桶に見立てたかのようにして、中で死んでいるのだった。
「なんでここに……」
その経緯はわからない。わからないが、この箱に追い剥ぎ男を入れた何者かがいるということだ。
しかも、殺されている。おそらく箱に入れられるよりも前にだ。だとすれば、箱の中に入れたのは殺しを隠蔽するためだろう。では、小屋の中にある白髪男の死体は?
何かが起きている。王都のはずれにあるこの教会跡に、禍々しいほどの悪意が漂っているのを感じた。
やはり、小屋から飛び出してきた、あの人物が犯人なのだろうか。聖堂へと向かったようだったが、いったい何者なのか。
アイナとの話から、聖剣に何か関係していることがあるかもしれないと、十年前、不審な火災が起きたという、この場所へやってきたわけだが、この地には、何かよくないものが憑りついているかのような得体の知れない不気味さと、同時に、王都の街中で暮らす人々には知られていないような重要な秘密が眠っているような気がした。そして、それが、聖剣に関する何かしらの手がかりになるのではないかと、アーサーの勘が、そう告げていた。
ここまできて聖堂を調べないわけにはいかないだろう。
しかし、先ほど見かけた犯人と思しき人物は、その聖堂へと向かった。もし、あの人物と鉢合わせてしまったら、襲われるのではないか。
小屋の中の白髪男の死体は、撃たれていた。犯人は銃を所持しているということだ。ナイフひとつしか持っていない状態で、襲われでもしたら抵抗することはできないだろう。しかし、うまく取り入ることができれば、何か情報を聞き出すことができるかもしれない。そして本当にそれが聖剣に関係する情報だったとしたら――
考え事をしながら、小屋に戻ろうとしたのがよくなかったらしい。
裏口の扉の取っ手に伸ばした手から、するりと何かが滑り落ちた。用心にと忍ばせていたナイフだ。
注意不足だった。いつもはこんなところにナイフなんてしまっていなかったし、何より、死体を立て続けに二つも見つけたショックと、おそらくヘクターも足を延ばしていないであろう辺境の地にある教会跡で、聖剣の手掛かりが見つかるかもしれないという、わずかではあるが、希望の光が差したかのような若干の高揚感に、油断が生じてしまったのは事実だった。
からん、と、清爽な気さえあるこの自然に囲われた空気の中に無理やり差し込んでくる、それこそナイフの刃先のように鋭い音が、響いた。背後の森の奥まで届いたかもしれない。
ただ、小屋の入り口の方は広場のような空間だったので、聖堂までは届いていないはずだ。追手を警戒されるのは厄介だ。後ろめたいことのある人間ほど、そういった他者の存在には敏感になるものだ。
仮に対面してしまった時も、あくまで迷い込んだ浮浪者、森で遭難してしまった旅人を装うことにしよう。もちろん警戒はされるだろうが、同じほど油断もするはずだ。堂々と凶器を見せびらかしたり、騎士の格好をして近づくよりかはよほどいい。
そんなことをのんびりと考えながら、アーサーがナイフを拾おうとした時、小屋の中に人の気配がした。
咄嗟に、追い剥ぎ男の死体の入った箱の縁に手を触れるようにして、かがむ。
あの犯人が戻ってきたのか?ということは、小屋の中にある白髪男の殺人の証拠隠滅のための道具か、何か準備をするために聖堂へと走ったのだろう。存在を悟られなければいいが、とアーサーは裏口の扉を睨む。
小屋の中にいる者の足音が、勢いとともに近づいてくる。気づかれているのか。
裏口の扉が開き、修道着姿の少女が現れた。上から男もののだぼっとしたコートを羽織っている。小柄で華奢な体格と、感情のない人形のようにじっと目を見開いている表情には、まるでおとぎ話に出てくる妖精のようなか弱さと、怪談話で聞く魔物のような奇怪さを感じた。悪魔の狂気と天使の無垢が入り混じった、人の姿をしているものの、人ならざる何かではないかと思わせる渾沌とした雰囲気が、彼女の佇まいにはあった。
裏口から繋がる森を、静かに見つめていた。何を考えているのだ。しかし、このタイミングで姿を現すということは、彼女が犯人で間違いはないだろう。ならば、どうにかして接触するか、うまくこの場を乗り切って聖堂へと向かうか。
しばらくして、それまで抜けていた魂が体に戻ってきたかのように少女は突然、動き出し、足元にあるナイフを拾い上げようとした。
――やはり、気づかれているのか。
死体の入った箱を見つけたことも、その近くに隠れていることにも、彼女は勘付いているのだ。あのナイフを奪われてしまったら勝ち目はない。
アーサーは手を伸ばし、少女の腕を掴んだ。
体に浮遊感があったのは、少女からナイフを取り返そうと腕を伸ばしたその直後だった。
気づくと、地面に尻をつき、上半身だけを起こした体勢で呆けていた。
ずしりと腹部に鈍痛が走る。ぐう、と低い声が漏れる。嘔吐感すらあった。
小屋の裏口から現れた少女に蹴り飛ばされたのだと、そのあとでわかった。右手はコートの裾を掴んだまま、抜け殻となったそれを、大事そうに握っていた。
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