殺人鬼 3

「で、なんできたの」タケミは言った。

「少し騒ぎになりかけたんでな。匿ってくれ」

 許容してもらえることが当たり前だとばかりの口調で言うと、タケミは長く息を吐き出した。

「飛び疲れたから羽を休めたいってわけ?うちは喫茶店じゃないんだけど」

「そういうのじゃねえよ。ちょっと厄介ごとがあったんだ」

 トカゲが言うと、タケミは気怠げに首を横に曲げながら、あっそ、と返してきた。

 書店内の窓から大通りを見やる。どうやらさほど騒ぎにはなっていないらしい。先ほど難癖をつけて迫ってきた派手な服の男を、それも通りのど真ん中で殴り飛ばしたせいで、辺りにいた人間たちから冷ややかな視線を向けられたのだが、すぐにその場を離れて、この書店へとやってきたのだった。

 視線を戻し、店内へと向き直る。入り口からすぐのところに本棚が三つ、等間隔で並んでいる。二つは向かい合うようにして両の壁際に、もう一つは、それらのちょうど中間の位置に置かれ、間には狭い通路がそれぞれできている。

 通路の奥には女店主の姿がある。椅子に座り、手前にある机に両足を乗せ、組んでいる。丸メガネの奥のぎろりとした目つきや素気無い態度が悪目立ちしていた。

 店内や店主の様子から、一見、売れない書店のようではあるが、その正体は裏社会の事情や複雑な人間関係、王都内のあらゆる情報が集まる場所――いわゆる情報屋だ。

 トカゲは、自分の復讐の相手である人物についての情報を得るために、何度かタケミのもとを訪れたことがあった。

 そのうち書店の店主兼情報屋である彼女に顔を覚えられ、友人関係とはまた違うが、互いに雑な言葉を交わし合う程度の仲になった。悪友とでもいうのだろうか。

 久方ぶりに見た彼女の表情は、迷惑だと言葉にせずとも告げてきているふうだった。

「俺は世間ではトカゲと呼ばれているらしいぞ。トカゲは頭と腹を這わせるような体勢で、くねくね動く生き物だ。羽なんか生えちゃいないだろ」

 コート姿の怪しい男からの受け売りを口にすると、タケミは、ああ、と小さく漏らした。

「やっぱりあれ、あなただったのね」

「やっぱりってなんだよ」

「街で話題の殺人鬼のことよ。女性ばかりを狙う殺人鬼。誰が言い始めたのかは知らないけど、トカゲと呼ばれてる」

「気づいていたのか」

「割と最初の方からね。まあ、わたしのとこにきて、毎度、同じような特徴の女性の情報を買っていくやつなんて、そうそういないもの。しかも、あんたに情報を売ったあと、その女性は必ず死体で発見される」

「とんだ怪現象だな」

「ええ、まったく」

 タケミは適当にあしらうように返事をした。

「それより、ここに立ち寄ったついでだ。新しい情報が欲しい。さっき一人やったんだが、俺の狙っているやつじゃなかったんでな」

「もう?半年くらい前に売ったばかりじゃない」

 タケミは机から脚を下ろし、身を乗り出すような恰好をする。

「スパンは関係ない。それに、ここ数年で気づいたことだが、この街の騎士団どもは無能だ。続けて殺人を犯したとしても、そう簡単には捕まらねえよ」

「まあ、そうだろうけどね」

 タケミは言いながら、背後にある大きな棚から一冊のファイルを取り出した。

 椅子に掛け、それを細い指でぱらぱらと、めくりはじめる。

「特徴はいつもと同じでいい。長い髪をした細身の女。背中には、俺がつけた刺し傷があるはずだ」

「といっても、十年前の傷でしょ?もう治っていると思うけど」

「それなら、背中に治療跡のある女だ。とにかく、なんでもいい。十年前に母を殺したそいつを、俺はなんとしてでも見つけ出して、同じ目に遭わせてやるんだ」

「……そっか。それも十年前か」ぼそり、とタケミが呟く。

「あ?」

「いえ、さっきね、おかしな子がきたの」

 タケミはファイルをめくる手を止め、じっと睨むように見てきた。

「客の話か?」

 興味がないので、退屈な話かと思う。

「うん。聖剣を探しているって言ってた」

「聖剣だと?」

「ええ、おとぎ話に出てくる、あの聖剣よ。願いを叶える力があるといわれているわ。でも、彼が言うには、おとぎ話に出てくるような聖剣とは違うみたい。まあ、何か隠しごとがあるような子だったけどね」

「……どんなやつだった?」

 口ぶりからして男のようだ。路地裏で出会った、例のコート姿の男の姿が脳裏に浮かんだ。

「蒼い瞳と、ブロンドヘアが特徴よ。あなたと同じくらいの歳かしら。ぱっと見、大人しい少年という印象を受けるけど、そこの路地裏で見張りをさせていた人たちをたった一人で退けたと言っていたわ」

「そうか」

 トカゲは頷く。あのコート姿の男とは違う人物らしい。

「で、その聖剣のことなんだけど」

「聖剣がどうかしたのか」

 まだ続くのか、この話は。長居するつもりもなかったので、面倒になってきた。

「盗まれたらしいの。今から十年前にね。結局、そんな情報は持っていなかったから何も話してあげられなかったんだけど、少し気になったから、十年前のことを調べてみたの」

「ほお」

「そうしたら、ある満月の夜に、四つの事件が一度に起きていることがわかったの」

 トカゲが目を細める。俺の母が殺されたのも、同じように月の綺麗な夜だった。

 しかし。

「待て。俺はそんな情報を買うつもりはない」

「ただの雑談よ。お金はいらないわ」

「そんなのでいいのか、情報屋が」

 呆れ気味に言うと、「あなたに話したところで、損するようなことなんてないんだし」と言ってきた。それもそうか、と思った。

「で、十年前のことだけど、まず、王都内で数件の殺人が起きているの」

「……俺の母が殺された事件以外にもか」

「そうよ。聞くところによると、とある殺し屋が、所属していたグループを裏切って、その関係者たちを襲って回ったらしいの」

「裏切りによる殺人か」

 トカゲは顎に手を添えた。

「ええ。裏切り者の正体はわからないまま。正体を知っているグループの上層部の人間も、それから数日と経たないうちに消されたわ。それが一つ目の事件」

 タケミは指を一つ、ぴんと立てた。

「二つ目の事件は、教会で起きた大火災」

「……ああ、それなら知っている」

 トカゲの頭の中に、悪魔が現れる。姿は見えないが存在感のある、もやのような佇まいだ。そいつが頭の中で広がったり狭まったり、膨らんだり縮こまったりしている。

 そして、悪魔は囁く。

 いいのか。あの日の記憶は、お前を不幸にするぞ。

 トカゲは、その声を振り払った。

「王都でもかなり噂になったわね。どこから炎が上がったのか。誰が関わっていたのか。未だに解明されないまま、その跡地は放置されているわ」

「……あの日、俺もその場にいたんだ」

 呟き、トカゲは自分の掌を見た。あの日のことは、できれば思い出したくなかった。

 激しい頭痛に襲われる。頭に片手を添えると、途端に辺りがしんと静かになった。

 顔を上げる。王都のはずれにある教会の前にいた。目の前には奥に大きな祭壇を構える聖堂があり、夜の闇から浮かび上がるように、真っ赤な炎に滲んでいた。

 声がした。女たちの泣き叫ぶ声が、聖堂内から聞こえてきた。

 建物が音を立てて崩れる。中の様子が見えた。

 ――そこに、一人の少女がいた。

 妖精のような、か弱い存在感を放つ少女だった。両手を握り、静かに目を閉じ、祈っているふうだった。神とやらに、助けを乞うているのだろうか、と思った。

 気づくと、意識は書店に戻ってきていた。

「母を殺した女がその教会方面に逃げて行ったんだ。俺は後を追った。女が教会にある聖堂の中に逃げ込んだので、俺はしめたと思った。もう逃げ場はないぞ、と。だがそこで、聖堂が突然、燃え上がったんだ」

「……あなた、現場にいたの?」

「ああ」

 タケミは開いたファイルのページを見つめる。

「じゃあ、聖堂に火をつけた犯人を見たんじゃないの?そこに、誰かいなかった?あれだけの火災よ。何か大掛かりな仕掛けがあったに違いないわ」

「覚えてねえよ。それに、十年前は俺もまだガキだぜ?目の前で突然、炎が上がったらビビっちまうよ」

「その場から離れたんだ」

「そうだ」

「でも、後でまた様子を見に行ったんじゃない?そうでなくても、教会の火災について調べたでしょ」

「そりゃあ、もちろんだ」

 あの女が生きているかどうか、確認する必要があった。

「じゃあ、知ってるはずでしょう。あの火災で被害に遭った人たちのことを」

「まあな。だが、あの日、聖堂にいたはずの少女が生きていたんだ」

 言うと、タケミは首を傾げた。

「どういうこと?」

「そのままの意味だよ。炎に包まれた聖堂内で、一人、祈る少女がいるのを見た。あれだけの火災だ。助からねえだろうに健気だなとは思った。そして、俺の追っていた女も聖堂の炎に焼かれて死んだのだろう、と。そう信じていた。だが、それから少しした後、その少女が街を歩いているのを見かけたんだ。何事もなかったかのように、平然とした様子でな」

 あの時の衝撃と、希望の光が差したような気持ちは今でも忘れない。

「やつは修道着姿だった。あの時、見たのと同じ少女だ。まさか本当に神がいるとも思っちゃいないが、たとえば、あの聖堂には抜け道があったのかもしれない。それとも、炎で建物が焼け落ち、人は通ることができるくらいの大穴が開いたとか。とにかくその少女が生きていたせいで、母を殺した女が生きているかもしれない可能性を俺は疑い始めたんだ」

「殺人鬼トカゲの誕生」

「そうだ」

 不完全燃焼だ。母を殺した女は、自分の手で始末したかった。

 本当に生きているとも限らない。あの少女だけが偶然、聖堂から逃げ出せた可能性だってある。だが、母を奪われた哀しみは憎悪となり、あの女への殺意と化した。

 気づくと、あるかもわからない影を追う復讐者となってしまっていた。

「――で?どうせ、俺の母が殺されたのが三つ目だろ。あと一つはなんだよ」

 トカゲが訊ねると、タケミは頷き、口を開いた。

「ある商会の会長が、街のチンピラたちを集めて隊を組み、どこかに派遣したらしいの」

「何の目的でだよ」

「さあね。でも、大金をちらつかせて危険な仕事をさせてたって。結局、誰一人として生還しなかったらしいよ」

「そりゃ物騒だな」

 確かに物騒ではあるが、事件と言うほどのことでもないだろう、とトカゲは思った。




 ――――




 書店を後にし、通りに出る。

 すでに野次馬たちの気配は消え、派手な服の男も姿が見えなかった。

 さて、これからどうするか。

 夜空を見上げ、ぼんやりと星を眺めた。

 結局、タケミから情報を買うことはできなかった。持っている情報の人間が、トカゲの目的である人物と同一の人間であるか、まだ正確には言えないらしい。

 それに、他にも調べたいことがあるとのことだ。

 視線の先にある星が、点々と、どれも同じように見えて、だが注目してみるとまったく異なる光を放っていた。

 試しに、とトカゲは腕を空に伸ばし、一つの星を指す。

 その星の輝きを覚え、腕を下ろす。そっと目を閉じる。

 数秒の時を数え、目を開け、もう一度、空を見上げる。さて、俺が指した星はどれだったかな。

 わからない。わかるわけもない。星はこの広大な空で幾つも輝いているのだ。その中でたった一つの輝きを見つけ出すのは至難の業か神の所業ではないか。誰にでもわかることじゃないか。

 ――俺のやろうとしていることは、それに当てはまるのではないのだろうか。

 そう、思わずにはいられなかった。

 この星空の中から、十年前に見た輝きを、再びとらえようとしているのだ。そんなことが、本当にできるのか。そしてそれは、いつになるのだろうか。

 その時、目の前を、さっと通り過ぎる人物が目に留まった。

 ブロンドヘアの少年だった。タケミから聞いた、聖剣を探しているという少年だろうか。通りを駆け足で、繁華街の方へと向かっていた。

 何を思ったか。特に理由などはなかったが、トカゲは少年のあとを追いかけた。

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