探索者 3

 ヘクターに教えてもらった宿屋は簡単に見つかった。

 住宅街に入ってすぐのところにある二階建ての建物だ。横に長い造りで二階には窓が三つ見える。奥行きはそこそこで、一階は受付と食堂、浴場があるらしいので、借りることのできる部屋は二階にあるぶんだけだ。

 その中で、明かりが漏れている部屋は一つしかなかった。あまり客は来ないらしいのだが、今日もそのようだ。

 玄関の扉が開いた。

 中から背の高い青年が姿を現した。黒い上着を羽織り、防寒対策のマフラーを巻いている。ぱっと見、同じくらいの歳だろうか。それでも、少し大人びて見える。なら、ヘクターと同じくらいかな、とアーサーは想像してみる。

 意図的なのか顔を隠しているようで見えづらかったが、全身真っ黒でどこか威圧感のある雰囲気に反して、優しげな丸い目が特徴的だった。

 彼と視線が合った。

「あの、この宿の管理人の方ですか?」

 アーサーが訊ねると、その青年は口元をマフラーで隠すようにして、「いえ、違います」と答えた。

 それから「管理人の方なら、中にいますよ」と、親切に付け加えてくれたので、ありがとうございます、と返して、アーサーは宿屋に入った。


 玄関口は綺麗だった。迎えた客に快適に過ごしてもらうことが商売なのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが、それでも変に物がごちゃごちゃとしておらず、もっと言えば、質素だとさえ感じる物足らなさがあった。これといって装飾が施されていなかった。

 壁が貼り替えられた形跡や塗料の剥がれた跡もなく、この宿が建てられた時のままの姿なのが見てとれた。

 入ってすぐ正面には、食卓用の長テーブルが二つ置かれていた。木製の小さな椅子が六つずつあり、計十二人分だ。ここがダイニング兼リビングという扱いの場所らしい。

 テーブルの間を抜けて進んだ先には、正面に受付と思しきカウンターがあった。

 右手には二階への階段、左手にはさらに奥へと続く通路があるが、おそらくその先は浴場だろう。

 管理人の姿はどこにもなかった。しかし、宿のどこかにはいるのだろうと、声を上げて、呼びかけてみるも反応はなかった。こっそり覗き込むのも気が引けたので、現れるまで待っていようと、アーサーはダイニングの椅子に腰掛けた。

 室内を見回す。長閑な空気が漂っていた。

 眠たくなる。狭い宿屋だが、久しぶりに故郷に帰ってきたような安心感を得られる不思議な空間だった。我が家にいる時のような居心地の良さがある。

 ヘクターから聞いた話だと、十年前のことを知っているかもしれないという彼女は、元々、騎士団の一員だったらしい。さて、どんな女性が現れるのか。

 アーサーの母も、元は王都の騎士だった。

 母のような気の強い女性が出てきたらどうしようかと、アーサーは柄にもなく緊張していた。基本的に他人に対してそういった恐れの感情は抱かないのだが、アーサーの家では母の権力が強く、物静かな父同様、昔から母には逆らうことができなかったため、気の強い女性は苦手だった。

 家族といる時は、夕食の時でも出掛けている時でも母が話すことが基本だった。笑い声、叫び声、怒鳴り声など、母の声が家中に響かない日などなかった。

 父は、完全に母の尻に敷かれていたというわけではないが、母の顔色を伺いながら生活していたように思える。曰く、口論では勝てたことがないらしく、言い争いが起きるのを未然に防ぐことが、日々の暮らしを豊かにするためのコツなのだと、アーサーに教えてくれた。どうしてそこまでして一緒にいるのかわからなかったが、母が楽しそうに笑う様子を眺める父の顔は確かに幸せそうだった。

 また内気な父とは違い、母は社交性もあり、おしゃべりな性格だった。

 アーサーたちの住んでいた村では誰とも仲が良く、そこは小さな村ではあったが、母を中心にしてコミュニティーができていたほどだ。

 母が体を悪くした時も皆が心配してくれた。

 いつもはアーサーが看病をしているのだが、今回、父の形見を探しに王都まではるばる旅立つと言った時には、村中の人たちが協力してくれた。代わりに、母を看てくれているのだ。

 情けは人の為ならずだ。アーサーはその言葉を母からよく聞かされていた。

 この世には理不尽なことも多々ある。もし、他人に親切にするのが辛いと感じたり、どうしても嫌だと思った時には、自分のためだと思い込めばいいんだよ、と母は言っていた。

 騎士として活動していた頃、母は何度もそういった場面に巡り合ってきたのだろう。そして胸の内で葛藤が生まれる度、唱えていたはずだ。情けは人の為ならず、と。そうすることで自分の精神を保ってきたのだ。大らかに振る舞っているように見えて、その実、母が繊細なことはよく知っている。


 左奥の通路の方で音がした。人の気配もあった。きっと管理人だ。

 足音が近づいてくる。

「いらっしゃい」

 現れたのは、赤い髪の女性だった。

 後頭部で一本に結わえている。長い袖を肘までまくっていたので、清掃か、あるいは何か作業中だったのだろう。邪魔をしてしまったかなと、申し訳なく感じた。

「こんばんは」席を立ち、アーサーは挨拶をする。

「こんばんは。何名の予約かしら」

「いえ、申し訳ないんですけど、宿屋を借りるために来たんじゃないんです。ちょっと訊きたいことがあって」言いながら、アーサーは頭の後ろを掻いた。

「訊きたいこと?」

「ヘクターに教えてもらったんですけど」

「ヘクター」

 女性の眉がぴくりと動いた気がした。

「知り合いですか?」

「ええ」

 やっぱりこの人か。

「じゃあ、あなたがアイナさん、なんですね」

「そうだけど」

 アイナは頷いた。

 ヘクターの言っていた、十年前の事件について、何か知っていることがあるかもしれない人物というのは、彼女のことだ。

 小さな可能性に希望を抱いたアーサーは逸る気持ちを抑えつつ、早速、本題に入ることにした。

「十年前のことについて、少し訊きたいことがあって」

「十年前のこと?」

 アイナが何が何だかといった表情を浮かべたので、アーサーは簡単に説明をした。

 父の形見が盗まれたこと。それが十年前であること。形見を探すために王都にやってきたこと。ヘクターに協力してもらってはいるが、手掛かりがなさすぎること。そして、彼から、アイナを紹介してもらったことを、詳細を省いて大まかに伝えた。

「十年前かあ」

 アイナは腕を組み、難しそうな顔をした。

「正確に言うと、その頃、私は騎士団には入っていないんだけどね」

「そうなんですか?」

「父や兄が騎士団にいたから、ちょっと手伝っていたというか。勝手について行ってたっていうか。まあ、考え方も子共だったから」

 照れ臭そうに、アイナは言った。

 正義感が強い血筋なのか、とアーサーは思う。

「お兄さん、騎士団長さんなんですよね」

「ヘクターに聞いたの?」

「はい」

 彼女が騎士団長の実妹だということを教えてくれた。

「なんでも話すわね、彼」

「ですね」

「まあ、私が手伝っていたのは、せいぜい街中のパトロールくらいなのよ。だから十年前のことは私にはわからないわ。そういった事件はちゃんと管理されていたはずだからね」アイナは、すうと息を吸った。「でもね」

「でも?」

 アイナが何か重要なことを言い出す予感があった。

 アーサーは目を細め、彼女の綺麗な瞳を覗くようにして見た。

「一つだけ知っていることがあるわ。と言っても、騎士団の仕事を手伝っていたから、というわけじゃなくて、あの頃にちょっとだけ話題になった事件があったんだけどね」

「その事件というのは」

 アーサーは興味を持った様子で訊ねる。

「西区のはずれにある教会で不審な火災があったらしいのよ」

「火災?」

「教会が発生元不明の炎に見舞われたの。それで、聖堂内も炎に包まれたみたいで、そこにいた修道女たちが逃げ遅れて、みんな犠牲になったそうよ。それが確か、十年くらい前のことじゃなかったかしら。もしかしたらあなたの探している物も何か関係しているかも」

「関係、ありますかね?」

 なんとなく気が引けたが、言わずにはいられなかった。

 焦りや苛立ちがあったわけではないが、目的地へ向けて走り出したつもりが、いつの間にか知らない道にいて、どうも正規のルートから逸れている気がしてならなかった。

 アーサーの目的はあくまで、父の形見である聖剣を探すことだ。それ以外のことや事件などは正直どうでもよかった。

「はっきりとは言えないんだけどね。この世界のことは全部、私たちの知らないところで色々と起きていて、それで、どこかでつながりがあるように思えるの」

「どういうことですか?」

「関係ないと思えることでも、意外と関係あるかもしれないってことよ」

 アイナは、ふふと得意げに笑ってみせる。

「言っていることの意味はわかりますが」アーサーは語尾を濁す。「そういうものなんですかね」

「そういうものよ」

 アイナが目を細める。遠い昔を懐かしむような表情の彼女は、つい昨日のことを思い出して楽しんでいるふうでもあった。

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