殺人鬼 2

 あいつはどこにいったんだ?と、トカゲは息を荒くしながら、路地裏の道をまっすぐ走っていた。

 女の死体のところには騎士団がいる。しばらく隠れて様子を見ていたが、そのうち野次馬も集まってきて、ちょっとした騒ぎになった。

 コート姿の男を追いかけたいのだが騎士団に見つかる方がまずいので、息をひそめて待っていた。

 しかし、現場の捜査がはじまり、一般人は立ち入り禁止となって、トカゲが身を隠していた路地裏の奥にある脇道にまで騎士たちが近づいてきた。

 面倒なことになった。

 コート姿の男は通りの方へと行ってしまったので、後を追うために通りへ出たいのだが、すぐそこの道からだと、やはり騎士たちが邪魔だ。

 路地裏の道は遠回りにはなるだろうが、どこかから通りへ出ることのできる場所へ繋がってはいないだろうか。そう思ったトカゲは、ここで騎士たちに見つかるよりはと、路地裏からさらに奥の道を辿り、進むことにしたのだ。

 どれだけ進んだだろうか。通りに出る道は見つからない。

 ふと、話し声が聞こえてきた。

 壁に体を寄せ、こっそりと覗き込む。

 人影があった。しかし、一人しかいない。話し相手は立ち去ったらしい。

 小汚い身なりの男だった。ホームレスだろうか。その背中からは生命力のようなものをまるで感じない。

 死人のようなやつだな、とトカゲは思った。

 殺した女から奪った上着を、着る。これで返り血は多少ごまかせそうだ。腰を低くし、足音を立てないようにしながら、近づく。

 男は、トカゲの接近に気づいていなかった。

 トカゲは背後から忍び寄り、左手で男の肩をつかみ、もう片方の手を男の体の前に回す。握っていたナイフの刃先を首元に向けるような恰好になった。

「動くなよ」と言うと、男は体をびくりとさせた。

「は、はい」

 違うな。俺が追っているのはこいつじゃない。こんな素人のような挙動ではなかった。と、ではいったい何の玄人なんだと自嘲気味に思いつつ、トカゲは男の耳元で静かに口を開く。

「誰と話をしていた?」

「し、知らない人です。この路地裏に迷い込んできたみたいで」

 男は声を震わせながら言った。

「何を受け取った?」

「受け取った?いえ、何も受け取っていません」

「その手にあるのは何だ?」

 見せてみろ、と言うと、男はおそるおそる両手を顔の高さまで上げた。

 亜麻色のハンチング帽を掴んでいた。

「ただの帽子です。拾ったものですけど」

「そうか。まあいい。お前に一つ聞きたいことがある」

「な、なんですか」

「大きめのコートを着た男を見なかったか?」

 まさかな、と思いつつも訊ねてみる。

「ずいぶんと質のいい、高価なやつだ。色はわからないが、たぶん黒だ。背が高い男だ」

「ああ、まさに」

「まさに?」

 何かを思い出したかのような男の反応に、トカゲは眉を寄せる。

「この帽子を捨てたのが、まさにそんな感じの人でした。黒いコートを纏っていて、何かから逃げるように、ここに入り込んできました」

「通りからか?」

「はい。通りからきました」

「どこに向かった?」

「わ、わかりません。ただ、一度そこの小道を進もうとしたみたいですけど、足を止めて、通りの方を少し見て、それから。えっと、それから」

 ナイフの先に敏感になりながらも、男は必死の様子で喋る。どうか命だけはと、肩の震えが訴えてきているようだ。

「それから、なんだ?」

「あ、そういえば、ちょうど悲鳴が聞こえました。女性です。かなり近いんですけど、叫び声が聞こえて、それに反応したみたいでした。すぐに通りに戻ったんです」

「ほう、そうか」

 それは、あの女を殺した時だな、とトカゲは想像する。

 つまり、やつは一度、通りへ出たが、本来、これから向かうべきはずだった場所はこの路地裏の小道の先にあるということだ。

 確か、仕事を終えて家に帰る途中だと言っていた。

 なるほど。やつと出会った時、近道だから通してくれと言ってきたのも嘘ではないらしい。あのまま進めば、この路地裏に繋がっていたわけだから、やつはここに戻ってこようとしたわけだ。

 そして、すぐそこに見える小道の先に向かおうとして——

 待てよ。

 ふと、トカゲは考える。頭の中に、コート姿の男を浮かべてみた。

 黒いコートは夜の闇に溶け、暗がりの中ではどこまでも広がっているように大きく見える。そんな威圧感のある外装を身につけた男の頭の上に、亜麻色のハンチング帽が乗っている様がどうもイメージできなかった。

 しかも、そのハンチング帽を捨てたとのことだ。

 なぜだ。それも路地裏に。

 そして路地裏の小道を抜けて帰宅しようとしているところからして、人目を避けているとも考えられる。

 やつは仕事を終えたばかりと言っていた。つまり、人目を気にするような、身を隠しながら行うような仕事なのだろうか。

 謎が多すぎる。

 やつを追いかけるのはやめた方がいいのではと、直感が告げている。

 その通りかもしれない。と、トカゲは思うようになっていた。いくら殺人現場を見られたからといって気にすることはない。今までだって多くの女を手にかけてきたが、一度だって追い詰められたことはないじゃないか。

 この街の正義である騎士団は、はっきり言って無能だ。これまでも何度も殺人を犯してきたが、まだ捕まっていないのが何よりの証拠である。危惧することはない。心配事のほとんどは実現しないのが世の常だ。目的遂行のために、ひたむきになっていればそれでいいのだ。

 トカゲは男の背中を蹴り飛ばした。

 男が倒れ、腹を庇うようにうずくまる。それを横目に、トカゲは通りへと走った。

 通りへ出ると、そこに多くの人間が群がっていたので何事かと思う。さては女を殺したことがばれて先回りされたのか、と。

 だがよく見ると、視線がトカゲの方を向いていなかった。皆、隣にある酒場に視線を注いでいたのだ。確かに、何か騒ぎが起きているようだった。混乱の塊が、そこにできあがっていた。

 うるさいので、すぐに離れる。

 酒場があるということは、ここは西区の住宅街側かと把握する。


 繁華街方面に進んでいると、見覚えのある人物を見かけた。

 背の低い女だ。似合わない男物の外装を纏っている。その妖精のような小さな横顔には覇気はないが神秘的な力が宿っているようだった。

 俺が殺しをするようになったきっかけは、あの女にある。トカゲは過去を思い返しそうになった。

 だが、それを心の奥底にある闇が抑え込む。

 駄目だ。この思い出は、お前に不幸をもたらすぞという悪魔のような声が聞こえてきた。

 幻聴だ。それは自分自身の声でもある。

 精神が不安定な状態にあることは薄々、勘付いていた。自分は物事の行動指針や価値基準が普通の人間とはずれている。

 しかし、では「普通」とは何だろうかとも思う。

 自分が自分であることこそが「普通」であり、そんな数多の「普通」が集まってできているのが、この世界だ。だから自分も端くれとはいえ、普通の人間の一部であるはずなのだ。

 トカゲは早足で、見覚えのある女に近づいた。

 声を出すよりも先に手が伸びた。後ろから肩を掴もうとする。

「おいおい、待てよあんた」

 知らない男に、横から声をかけられた。

「誰だよ」

 睨み返すと、男は怯えた顔になるも、すぐに闘志のみなぎる戦士のような目つきになった。

 派手な色の服を着た男だった。凝った装飾が子供じみていて、恥ずかしくないのかと思う。が、自分に自信があるのだろう。容姿はさほどだが、雰囲気は親しみやすい好青年といった風だ。

 トカゲに言わせれば、弱そうで今にも野垂れ死にそうな、ただ服が派手なだけの男だが。

「あんた、あの子を襲うつもりだったろ」

 派手な服の男は、そう言った。

「話しかけようとしただけだ」

「どうしてそんなことを」

「聞きたいことがあるからだ」

「彼女の知り合いなのか?」

 男は声をひそめて言う。

「知り合いじゃねえよ。俺が一方的に知っているだけだ」

「それじゃ、ストーカーじゃないか」と、男が声を張り上げる。

 こんな通りの真ん中で、やめろよ。

「そういうお前は、あの女の知り合いなのか?」

「もちろんだ。ただ、マリナは僕のことを覚えていなかったみたいだけどね」

「ほう。あの女の名前、マリナというのか」

 名前までは知らなかったので、しめた、という思いだった。

「とにかく、ストーカーはよくないぞ。こっちへこい」

 トカゲは男の相手が面倒になり、すぐに去ろうとする。すると、待つんだ、と男が手首に掴みかかってきた。

 お前がその気なら、俺も力づくだぞ。

 トカゲはくるりと振り返り、男の腹に拳を入れた。

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