殺し屋 2
「誰かいるのか」
部屋に戻ってきたバレットは、扉の前で立ち止まり呼びかけた。誰もいないはずの部屋の中に、人の気配がしたからだ。
西区の住宅街にある小さな宿屋は、彼の殺し屋としての活動拠点だった。
仕事柄、一箇所にとどまることは少なく、しかし、基本的に依頼主との仲介人であるヤマから殺しの仕事をもらうまでは動くこともない。現在は西区にある宿屋に長く滞在している状態だった。
「安心しろ。私だ」
聞き覚えのある声がした。
「ヤマか」
扉を開け、中に入る。
灯りは点いていなかった。暗い部屋の中で、ヤマは正面にあるソファで横になり本を読んでいた。暗がりでよく読めるなと感心し、バレットは部屋の灯りを点ける。
「暗いだろ」
「勝手に灯りを点けていたら、お前、警戒しただろ?面倒なことにはしたくなかったから、暗闇の中で待ってたんだよ」
ヤマが本を閉じ、立ち上がる。
「仕事の話だろ?今日のは終わったぞ」
「ああ、仕事の話だ」
長い前髪の奥から切れ長の目が覗く。中世的な顔立ちで、細い手足のか弱い見た目から勘違いされがちだが、彼女はれっきとした裏社会の人間である。その懐には数多の武器を仕込んでおり、いつどこで誰に襲われてもいいようにと備えている。らしい。
バレットにだけ、そのことを教えてきた。信用されているのか。それとも妙な真似はするなと暗に伝えようとしたのか。
しかし、仲介人としての仕事ぶりは有能であり、早く、そして的確だ。回りくどいやり方で念を入れるにも色々と準備が必要なのだが、彼女はすぐに手配してみせる。あくまで仕事仲間にすぎないのだが、相棒としては頼りになる存在だ。
そんな彼女に、依頼完了の連絡をするつもりだったのだが、わざわざ足を運び待っていてくれたとは、手間が省けた。
「もしかして、次の依頼か」バレットは部屋の奥にある作業机に向かい、コートを脱いで椅子に掛けた。
「そうだ」
「早いな」
「緊急だったんでな」ヤマが腕を組む。
「緊急?実行はいつだ?」
「いや、殺しじゃない」
「は」
おかしなことを言うなと思った。俺の専門は殺しなのに、と。
当然のことだが、ヤマは仲介人としてバレットにのみ依頼を流しているわけではない。組んでいる人間は他にもいる。無論、その詳細がバレットの耳に入ることはない。
つまり、殺しじゃない依頼というのは、たとえば探偵や街中の不良に押しでも付ければいいわけであって、少なくともバレットのもとに転がり込んでくるものではないのだ。
「理由がある」
「どういう意味なんだ?」
「まず、これをお前に伝えるのは今回が特別だが、この依頼主の正体は、わからないんだ」
ヤマは、ばつが悪そうに言った。
「依頼主はヤマの事務所に直接、依頼しにきたわけじゃないのか」
「そうだ。いや普段も姿を隠して接触してくる者はいる。自分が何者かを悟られたくないのだろう。それこそ、社会の中で一定の地位にある者であったり、ただの逆恨みからの殺意を公にしたくない者であったり、まあ、いろいろと理由はあるが。それでも、いつも事前に調査はする。依頼主の様子や目的を探ってから動くんだ。ただ、今回に限って、それができていない。だから、この依頼主の目的がはっきりとしないし、ただの冷やかしかどうかさえも、はかりかねている」
「緊急の依頼だからか?」
「緊急の依頼だからだ」
「それをどうして俺に?」
「バレット。お前にうってつけだと思ったからだ」
「俺に?」
「事務所に手紙が置かれていた」
ヤマの事務所に足を踏み入れたことはないが、想像してみる。
きっと背の高い建造物の上階の方に部屋があり、玄関口はいつ誰を迎え入れてもいいように美しく仕上がっている。そして、たとえば仕込み罠であるとか、セキュリティー面も抜かりはないのだろう。
彼女の性格からして、内装の雰囲気はもっと気をつかっているはずだ。清潔感が部屋の外まで滲み出ているような印象がある。本棚の中身だって整っているに違いない。
「内容はこうだ。『今夜、ある男が殺されないように護衛してほしい』と、そう記されていた」
「殺されないための依頼」
それを、殺し屋に頼むのか。
「男の居場所や外見の詳細は同封されていた」
ヤマが、胸ポケットから、折りたたんだ小さな紙を取り出し、バレットの机の上に置いた。
「そして、これも」
次いで、ヤマは一つの銃弾を取り出した。
バレットはそれを受け取る。そして、目を大きく開いた。
「これは」
「ああ、『コトリ』のものだ。おそらくだが、この依頼主はやつと通じている。報酬として、やつと会う機会をくれるそうだ」
「そうか」
ぐっと銃弾を握りしめる。
なるほど。だから彼女は俺のもとに依頼を寄越してきたのかと、バレットは納得する。
気を遣ってくれたわけだ。ずっと探していた男と会うチャンスがあるかもしれないから。復讐すべき相手との繋がりが見えたから。
バレットは、すぐに出かける身支度を始めた。
クローゼットの中から厚手の上着を取り出し、羽織る。その上からマフラーを巻き、黒い手袋をつけた。予備の分もポケットにしまう。もろもろ、必要なものを体のあちこちに仕込んでいった。
身なりを整え、一般の人間を装う。できるだけ目立たない恰好をするように努めた。
そして最後に、机の中に隠してあった小型の銃を取り、上着の内側にしまった。これは、いざコトリと対面した時のための銃だ。
「ずいぶんと軽装だな」
ヤマが、言ってきた。
「そうは言っても、仕事自体はただの護衛だ。銃二丁とナイフ数本あればなんとかなるだろ」
「だが、何が起きるかわからんぞ?だから――」
「念には念を、か?」
「そうだ」と、ヤマがどこからか銃を出して見せ、バレットに渡してきた。
「いや、さすがに三丁もいらない」
「私のは一級品だ。もし使いたくなければ、使わなければいい」とヤマは言い、耳の上辺りを指で、とんとんと小突いた。
「だが、取り扱いには注意しろよ」
「……ああ。やっぱり、そういうことだよな」
ヤマから受け取った銃を、上着の内ポケットにしまう。マフラーで口元を隠すと、部屋の扉に向かった。
「気をつけろよ」
ヤマが背中にぶつけてきた。いつも以上に鋭い声だったが、緊張が滲んでいる気もした。彼女に限って、それはないだろうが。
「何がだ?」
振り返り、バレットは訊ねる。
「最近、この業界内で流れている噂は知っているだろ」
「殺し屋に業界があるのか」
「物騒な響きだが、あるんだよこれが。そして、不審な動きがあるという噂もな」
「裏切り者のことか」
「そうだ」
ヤマは、はあと息を吐く。
「発端は十年前だ。とある殺し屋が、所属していたグループを裏切り、復讐のためか関係者たちを殺して回るようになった。初めこそ、グループの上層部たちは躍起になって裏切り者を探し回ったが、すべて返り討ちにされ、殺された。やがて、その裏切り者のことを知る人間はすべて消され、グループを裏切った殺し屋が何者なのかもわからなくなってしまったって話だ」
「十年前か」と、バレットは頭の中にどんよりとした黒い霧が充満していくような不快感を覚えた。コトリとはじめて遭遇した時のことを思い出した。そうだ。あれも今から十年前のことだ。
「裏切り者は、そのグループの関係者をすべて消すつもりだ。噂を聞いて雲隠れした者もいるが、逃げ切ることができた者はいないらしい」
「それが何か関係あるのか。俺はただの殺し屋で、そのグループとは無関係のはずだ」
バレットは首を振った。
「裏切り者が、正常な精神状態である保証はないということだ。そのグループの関係者だけでなく、裏社会にいる人間を襲い、見境なく殺しを行っているのなら、お前が遭遇することもあるだろう。警戒しておくに越したことはないということだ」
「そうだな。獲物を横取りされてもかなわない」
「ああ、それもあるがな」
ヤマは冷たい目で、バレットを見た。
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