盲信者 2

 路地裏から飛び出てきたブロンドヘアの少年が、目に留まった。

 先ほどから見ていたが、どうもおかしい。突然、男たちにどこかへ連れて行かれたかと思うと、何気ない顔で戻ってきたり、辺りを執拗に見回し、人目を気にしているような素振りを見せていた。

 マリナは思わず声を掛けようとする。先ほど、教会跡に来た男が金髪のガキと呼んでいた人物なのではないかと、そんな気がしていた。

 しかし、声を掛けてどうするつもりだったのだろうと思う。教会跡に来た男の様子を見るに、あの金髪の少年がただ者ではないのは明らかだ。

 考えて、やはり関わらない方がいいのではないかと、マリナはその場を立ち去ることにした。

「危ない橋を渡るな。それどころか近づくな」とは、ジェイが昔から言って聞かせてくれた言葉だった。

 彼には、過去に深く後悔したことがあるらしく、同じ轍を踏んでほしくないと度々、言った。

 ジェイが何者であるのか、マリナにはわからなかったが、彼もまた普通の人間ではないということは薄々と気づいていた。家も家族も失い、行き場のなくなった少女を引き取る心優しい老人であるように見えるが、それだけではない気がする。

 マリナが人を殺したのは、今夜がはじめてのことではなかった。

 西区のはずれにある教会跡には、時々、人が訪れることがある。観光を目的とした旅人などは滅多に来ないが、そのほとんどは、人生に絶望し、生きるための目標を見失い、すがるもののない者たちだ。

 ゆえに、彼らは必死になって救いを求める。

 だが、そういった者たちの行いを、マリナは認めない。

 愚行と決めつけ、黙らせる。静寂の世界こそが絶対だから、と。

 主に祈りを捧げている間、聖堂内で語る者をマリナは許さない。すすり泣く声であってもだ。喉を潰し、口を塞ぎ、静かになるまで待つ。

 そうして、葬られた者は多くいた。

 マリナ自身、それを悪の行いだとは思っていなかった。大業の前に、犠牲は必ずある。大火災により居場所を失い、静寂の世界という神なる境地に気づくことができたように、その犠牲の先にこそ、奇跡はあるのだと信じていた。

 そんなマリナを叱りつけるでもなく、突き放すわけでもなく、そばにいて協力していたのがジェイだった。

 彼は、マリナの殺しを隠すような動きをしていた。おかげで、街の平和を守る騎士団に嗅ぎ付けられることもなく、長閑に日々を過ごせていた。


 マリナが酒場まで来たのは、金髪の少年の後を追ってきたからだった。

 少し遡る。

 繁華街へ向かうため路地裏を通っていると、女性の悲鳴が聞こえてきた。

 マリナは急いで通りへ出る。そのまま無視して行くこともできたのだが、教会跡にやってきた男のことが頭にあり、何か関係のある事件が起きたのではと気になり、悲鳴のした方を目指した。

 しばらく行くと、通りに人がたくさん集まっているのが見えた。

 人が多いところは好きじゃない。人ごみの中に飛び込むのは拒まれたので、遠巻きに様子をうかがっていると、騎士団がいるのが見えた。

 やはり何か事件が起きたらしい。群がる人々に、離れてくださいと声をかけている。

 そこに、彼の姿があった。

 男前の騎士と話をしている。会話の内容は聞こえない。

 やがて、話を終えた風にその場を離れると、どこかを目指して走り出したので、マリナは彼を追いかけた。そして酒場の近くまで来たところで、彼が見知らぬ男たちに捕まり、路地裏に連れ込まれたのを目撃したので、立ち止まっていたということだ。

 路地裏から戻ってきた彼は、今度は住宅街の方へと走って行った。

 追うかどうか、一瞬、迷った。が、追いかける理由もなかったので、やめた。

 そうだ。ジェイおじさんにおつかいを頼まれていた。

 マリナは、金髪の少年を追ううちに、自分が繁華街から遠ざかってしまっていることに気づいていなかった。

 何か一つのことを見つけたら、夢中で追いかけてしまうのが昔からの癖だった。まるで幼子のように。それだけが目に映っていて、周りや少し先のことが見えなくなってしまうのだ。

「マリナ?」

 知らない声に振り返ると、派手な衣装に身を包んだ青年が立っていた。

 きちっと前髪を揃え、眉も綺麗に整えている。美意識の高い男性だと思った。それと口臭がきつかった。歳は十代だろうか。もしかすると二十は超えているのかもしれない。ただ、背伸びしている子供のような雰囲気が顔面に張り付いており、拭えていなかった。

「私を知っているんですか?」

 記憶にない青年だった。孤児であり、教会で育てられたマリナにとって、顔見知りなのはシスターたちとジェイだけであり、歳の近い友人などいないはずだ。

「もちろんだよ」

 派手な服の青年は、大きな身振りで頷いた。

「人違いではなくて?」

「確かに君だよ」

「お名前は?」

「ああ。それは、その」

 派手な服の青年は、口ごもる。

 名乗ることのできない理由でもあるのだろうか。と、普通の人間なら、初対面であり、かつ相手が一方的に自分の名前を知っていた時、訝しみ、警戒して、すぐにその場を離れたりするのだろうが、マリナは違った。

 他人を疑う心を知らない幼女のような、どこか呑気な気分で、彼が何か話し出すのをいつまでも待っていた。

 魂が抜けた、というほどではないが、やはりマリナの心は、かつての教会での火災の中で焼き尽くされた。それゆえ、深い思考力や他人を疑うことをしない純なものだけでできた人形のようになってしまった。

 目の前にいる見知らぬ青年に対しても、そういった複雑な感情を抱いたり思考はしない。ただ、自分に話しかけてきた人間。それだけの認識だった。それだけの認識しかできない心になってしまっていたのだ。

「ランスっていいます」

 派手な服の青年は名乗った。

「知らない名前ですね」

 いかにも顔見知りのような口調で話しかけてきたが、やはり知り合いではない。

「この名前は、あなたに知っておいてほしい」

「ええ、ランス」

 よく覚えておきますと心の中で呟くも、マリナはすぐに忘れることになる。

 彼女にとって、ジェイ以外の人間はさほど意味を持たない。すでに先ほどまで追いかけていた黄金色の少年のことも忘れつつあった。それだけ、マリナは他人に興味を抱かない少女だった。

「では、私は急いでいるので」と、マリナはその場を後にする。

 彼が追いかけてきそうな様子があったが、気にしない。早く鶏肉を買って、ジェイのもとに帰らなければ。寄り道している場合じゃないのだから。

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