余燼の中のくすぶり

 やまとノくに百済くだらしちふくしんたたかっているかぎり、ぞうえんおくつづけねばならなくなった。ふねってしまえばうみなかではりられないように、いくさしをすればちゅうではなかなかめられない。ふくしんやまとノくにせいがいねばりをせている。おおしまノかんがえるに、これはりょくいのちほうむことであった。

 みずかやまとノきみしょうするなかノおおえノは、なにわノみやって百済くだらへのへいしょくりょうそうしながら、ははてんのうごうとはしない。このいくさてんのうによるのだと、いつもそうめいれいまえきをしている。もししっぱいしてもそのせきにんにんにあると、あらかじせんげんをするのにひとしい。せきにんのがれのようなのだ。

 かまたりはそれとはべつに、りょうほうてんへんさんふたたちかられている。

 とうほうてんは、けいばつさだめてひとびとあくからはなれるようにみちびほうであるりつと、とうせいめいかくにするものであるりょうふたつのけいとうからる。

 だからかまたりりつりょうをともにととのえるひつようがあるとぜんおもっていた。そのかんがえはここにわった。そもそもやまとひとびとてんせいじゅうじゅんはんざいすくないとわれる。そこでくにいてはりょういちばんであり、これさえあればくんしゅこうていしょうするのにりる。唐土もろこしいては、法典ほうてん歴史れきしりつてることにはじまり、のちりょうはったつしたが、そのぎゃくでもいとたのである。

 もっともほうてんじゅうぶんじっされなければい。そのことはなにわノみやでのけいけんからもつうかんしている。ほうじっにはかんはたらきがけつであり、はたらせつとしての都城みやこひつようだということもわかっている。かまたりあらたなみやこしょえらぶことと、そのけんせつじゅんにもりかかった。

 こうして百済くだらでのせんそうと、しょうらいかいかくのために、こっとうのうりょくついやされているあいだ、そのほかせいまったせいおこなわれるしかなかった。とくべつことといえば、百済くだら新羅しらき高麗こまからながれてなんみんあつかいはもんだいであった。ふくしんえんじょへのへんれいとしておくってとうりょすくなくない。こうしてやまとノくにちゅうしんとするおおしましょこくりゅうにゅうするじんこうは、すうねんあいだまんかぞえるかとおもわれた。


 シンでは、プンチャンがいつペクチェもどったのか、せいかくにはあくしていなかった。それはタンリョえんせいのためにされていたからである。りょうさくがんねんあきはちがつソ・テンパン浿ペエこうリョぐんやぶり、わたってアプさんうばい、ついにそのおうピョンヤンじょうかこんだ。しかしピョンヤンじょうまもりはかたく、そくせんそっけつゆるしはしない。

 タンえんぐんアンノクこうで、リョだいじんイル・カナムセンせいへいすうまんごうするぐんさえぎられ、すすむことをなかった。あきがつふゆにははやかんおそい、アンノクこうひょうけつさせた。ケイビツ・ハリクぐんほっぽうしゅっしんものおおく、こおりってかわわたり、けんこうすすんだ。ナムセンぐんそうくずれとなってげた。リクすうじゅうって、せんざんしゅさんまんにんしょうしたが、ひょうろうそくによって退しりぞかねばならなかった。

 りょうさくねんはるしょうがつシンコンキシこうていちょくめいけ、クム・ユシンきゅうしょうぐんめいじて、くるませんりょうあまりにこくもつすうまんせきほかぬのぎんなどのぶっせ、ピョンヤンじょうかわせた。おなころタンしょうぐんパン・ハウタイすいのほとりでぐんたたかったが、さんざんやぶられてぜんめつした。

 シンらはリョぐんやぶりつつほくじょうし、がつ一日ついたちピョンヤンじょうよりへだたることさんまんろくせんところいて、テンパンじんれんらくけたが、かぜさむゆきてつき、ひとうまおおんだ。やっとむいにはしょくりょうなどをテンパンわたした。テンパンピョンヤンじょうつこともはなれることもむずかしいじょうたいかれていたが、シンひょうろうてこれをたよりとし、ようやく退しりぞくことがた。このほうせんは、よわいしちじゅうかぞえるテンパンしょうぐんじんせいでも、さいだいしっぱいわれてもかたがなかった。


 クィシル・ボクシンとしては、このようにタンシンリョせんしているあいだに、じょうけっていてきげきあたえるべきであった。しかしそのためには、はんこうぐんひとつにまとめることが、まずひとごとであった。ボクシントーチムごうまんかないので、ふゆうちあとってころし、そのぜいかいしゅうした。

 プンチャンコンキシとしてのもんだいである。コンキシプンチャンペクチェコンキシとするしきおこなったといっても、それはペクチェひとびとにとってはなんさない。ひとびとあいだには、チャンアンられた太子コンセシムユンそうぞくけんがあるかぎり、プンチャンではコンキシになれないとかんがえるものすくなくない。プンチャンコンキシとしててるために、このくにでんとうのっとったしきげて、ひとびとなっとくさせねばならないが、そのためにひつようどうなども、こくたよひつようがある。

 りょうさくねんなつがつになって、ようやくこくえんじょによって、プンチャンせいしきそくさせたときボクシンらはなさけなさになみだながさねばならなかった。しかもえんぐんたいしょうづみノむらじは、しょうふくしんほうえんじょかんげきしていた、というほうこくほんごくおくったのであった。

 せんきょくこうちゃくして、プンチャンかれたトゥリュルじょうさんであるため、しょくりょう調ちょうたつもんだいとなってきた。そこでふゆじゅうがつボクシンよくねんけいかくかんがえて、へいってでんかこまれたじょうほんきょうつした。

 しかしよくねんはるがつシンペクチェへのこうげきてんじ、しょうぐんフムチュンチォンチョンらをつかわして、ボクシンがわヨルじょうり、しちひゃくにんあまりのくびったとしょうした。またモルじょうピョンじょうくだし、トクアンじょうめてせんしちひゃくにんくびったとつたえた。これによりシンへいせまったので、ボクシンらはじょうからふたたトゥリュルじょううつらねばならなくなった。

 さんがつになると、こくよりまんしちせんにんごうするぞうえんいたり、シンたたいたので、ボクシンひといきつくことがた。


 トゥリュルじょうプンチャンは、どくであった。くにかえれば、もっとしたしみとむつびのなかきられるものと、ながこくたいざいするあいだにはおもえがいてきたのである。しかしげんじつはやはりきびしく、なつかしいさんながめるゆうだにあたえられず、かいにもむずかしさをかんじるおのれみいせつなさのなかにある。

 プンチャンボクシンにくんだ。はじめこそたよりになるちゅうしんおもったボクシンは、たしかにしょいっけてかつやくしてくれた。そのわりにプンチャンは、しろおくまれて、なにもすることがい。ボクシンらつわんるほどに、プンチャンボクシンこわくなってきた。はんたいちからぶんおぼえるからだ。

 こんなときに、あのなかノおおならどうしていたか。いる鹿ごろしにしたさいこうふんおもされる。そうだ、ボクシンころしてしまえば、そのちからぶんのものになるのではいか。

 てきほこさきぢかせまるのをかんじるほどに、こころなかにはくらそうぞうがった。

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