白雉の遣唐使(下)

 はくかいげんしたころから、なにわノみかどおのれかれたきょうぐうかんじるむなしさが、えがたくおもわれるようになった。おいがしたいことをするために、かざりがひつようならそのやくえんじるのはい。しかしそのせいもうまくはかいてんしない。からだくなることがない。あしわるいのは、そのものの調ちょうではなく、ぞうろっなか宿やどったびょうそうからあっぱくされているのだと、てんからかされている。ながきもられないらしいのだ。

「このはみなむなし。ただほとけのみこれまことなり」

 と、かつてしょうとくたいやましろノおおらにおしえたとわれることが、しみじみとおもされた。みかどせいまったかんきゃくしてもぶっきょうけいとうするようになった。

 こんなみかどうれいをよそに、かまたりなかノおおは、せいこうするにちがいないけんとう使の、しょうそくくことをこころちにしていた。使せつかえるのはいちねんさきになるが、おくりにけた使つかいが、ちくしノくに西にしきしまではいっしょき、せきふねおきはなれたことを、もなくほうこくをしにもどるはずなのだ。

 はくねんあきしちがつふねおく使つかいとしてけたじノむらじやつが、なにみなといたといたときも、ふたはまだしらせがあるものとしんじていた。

「さはおもいしがごとくなりつ」

 とおおしまノばかりは、このことをいてつぶやいた。

 かまたりなかノおおそうぞうはんして、やつたかたノおびとら、うみわたったはずのものにんれて、なにわノみやのぼってきた。らはどうしたかほそやつれたようである。

さつまノくにおきにて、ふねれるものたちこぞりてちてにき」

 ひたいつちうずめるほどにして、ふなしっぱいしゃざいし、そのかんじょうべる。

 ふねおきにさしかかると、ややかぜなみつよくなったようにかんじられた。それはまだあのふねにはすこしもあぶなげのていであるようにおもわれた。しかしあれっというあいだほうされ、ものうしおれていた。ふねくだけてしずみ、ひとなみまれて姿すがたした。ただにんのみがいたむねけてかび、たかしまというひとところながいた。にんなかかどべノかねというものようで、しまえたたけっていかだみ、ひノくにおきしとけしままでもどってたすけをもとめた。

「して、いちふねになるらむ」

 わざわざふたつにけてったのだから、もういちせきったろうな、というたいもやはりうらられた。らはいちふね姿すがたをそのときにしかとはなかったが、もろともにしずんだものとえる、だれもどっていないところからしてもひとだにたすからなかったろう、とこたえた。

 ――じょううみしずみけむや。

 とは、かまたりにはくちすほどのちからかった。とうぜんそうであろう。ひとのこらずうみされたならば、あのじゅういっさいだけがたすかるはずもない。じればまぶたうらに、さいじょう姿すがたかぶ。しかしそれきり、いちかしてしまうと、もうあのかおおもすこともできなくなり、おもそうともしなくなった。

 もとよりまれたときからつまいえまかせきりで、しょくともにしたことさえである。こんけんとう使のためにすまでのあいだも、かおおぼえていたことがあったかどうかもからない。まあこんじょうでまだなにひとわるいことをしないとしかいしたのだから、らいはもっとところまれるにちがいあるまい。それならばむしよろこばしいことだとおもった。

 それよりも、つぎなにべきかというもんだいに、かまたりなかノおおかれた。

 これまでいる鹿ったときから、ひとつのみちまよわずにすすんでたようにおもう。だがいまばかりは、ふたかおわせても、をどううごかしたものか、おもところい。

みちびきをいたし」

 というところにようやくふたともおもたって、そうみんせんげつんだことをはじめていたかんじる。なにおうけんほっそくするときくにノはかにんじられたそうみんは、こうれいゆえもっなかいん退たいしたあつかいいとなり、なにわノみやとおくないづみでらんでいた。

 そうみんやまいおもいことをいたときに、みかどいたかなしみにとらわれて、したしくそうぼう行幸みゆきし、

「もしほうにして今日きょうぬことあらば、われしたがいてくるなむ」

 とくちずからみことのりしたほどであった。

 しかしなかノおおは、そうみんがとうとうりんじゅうしたときにも、まあてん寿じゅまっとうしたのだとだけかんがえて、かたちばかりのせいだいちょうもんをしたのみだったのである。

 それがいまになってやまれる。ろうおしえに、もまたこらえてばすことができるものだとう。もしあとすこそうみんびていてもらえば、おしえをうことがかなったのだ。

玄理げんり如何いかにあるぞ」

 となかノおおう。もうひとくにノはかたかむくノふびとげんも、やはりこうれいゆえとして、かわたかむくノさといんせいしたはずであった。かまたりひとってしょうそくたずねると、このなつようができて飛鳥あすかほうったままかえっていないらしい。またひと飛鳥あすかかわせる。

 ふつ使つかいがもどると、玄理げんりではなくおおしれていた。

玄理げんりくにざる」

 おおしはそうげる。玄理げんり何処どこったのか。

うみわたれり」

 とおおしは、ふたにとってはがいなことをしらせる。

 ながらがなにったのとおななつがついたぶきノみやで、げんとうつかわされる使せつそうりょうけ、たい使にはかわべノおみふく使にはくすにちらのひとびとが、つぬみなとからきたうみで、すでにしらきノくにいて、そこにとどまっているとうかんい、らいねんはるにはちょうあんはいるというはなしがもうている。

「こはははうえめぐたまところなり」

 おおしはそうかたって、げんはどうせなんしそうなながらが、もしこうのきしなんにんかでもひょうちゃくしていたら、すくってかえそうというおもいで、ろうこつはげましてこのにんけたのだ、とくわえた。

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