二度目の殺人

 たいがんねんあきがつまでに、かまたりみかどいて、じょうしんほうぶんほうそうほうなどをはっさせて、こくせいしょうあくつとめた。もうひとつのもんだいは、ふるひとノおおえノしょぐうである。

 ふるひとノおおは、なかノおおあにだがははおやちがい、いる鹿とは従兄弟いとこあいだがらであった。いる鹿ころされたのをおそれをなし、つぎぶんころされるのだとおもったようで、しゅっするとしょうしてよしやまげた。しかしなかノおおは、ふるひとこそいのちねらっているのでは、とうたがっている。

「さようおもおすことのごとし」

 そのとおり、とかまたりなかノおおみみささやく。もしふるひとしんにそのかんがえがかったとしても、こんせいへんふくしがたいというじょうっているものが、ふるひとかついでほんこさぬともかぎらない。とりわけがノおみにしていしかわノしゅっねたむようなものなど、いくらでもありそうではないか。ふるひとははおやおんななのだから、むすきやすいことはちがいがい。

 なかノおおかまたりだけをんでふたきりでみつをするには、いろおもわせるあかうえまん刺繍ぬいとりにしたおりものけられている。

ふるひとらすべし」

 なかノおおさつじんめた。かまたりさくめぐらせる。つぎいる鹿ごろしのような、んだたいひつようとしない。もうけんりょくはこのにあるのだから、もっと露骨あからさま使つかってもいのだ。びノかさノおみしだるなるものよしやまふるひとところしのばせる。しだるふるひとしたってともをしてったひとたちのあいだにそれらしくはいむ。

 ここのほどがってあさはやく、しだるもどってくると、かまたりいっつうふうしょにぎらせる。しだるはそれをって、みぎノおおおみのもとにうったるのである。

やツかれよしふるひとノくにかたむけむとはか徒党ともがらくわわれり。かれみずか暴露あらわもうす」

 しだるはそうって、ふうしょいしかわノした。それはがノぐちノおみかわほりというひとからふるひとノおおてたもので、ないようはただけんばなしでもしただけのようだが、そのなかで、

ふるひとノおおえノ

 といたところれば、これがなかノおおえノこうたいとしてのおびやかそうとするくわだてをつたえるあんごうだとわかる、としゅちょうする。いしかわノはこれをなかノおおつたえた。

「ああ、こころならずもほんとあらばむことをえざるかな」

 となかノおおなげかなしむようにった。そしてえきノむらじらにへい四十よんじゅうにんけてかせ、ふるひとノおおらえよ、ただしあらがときることもやむなし、とめいじた。ことかんたんであった。はそののうちにかえり、ふるひとノおおふくめいした。


 ふゆじゅうがつここのなかノおおかまたりみかど輿こしげて、みやこなにうつさせた。なにわノみやはまだかくとおりにかんせいはしないとはいえ、とにかくせいおこなわなくてはならない。そこでまずいちったたてだけを使つかうことにしたのである。

 とししてたいとしはるしょうがつがんじつつくりかけのなにわノみやで、かまたりいて

かいしんみことのり

 とけたしょうしょが、みかどまえなかノおおによってろうしょうされる。これはだいいちしょりょうりょうみんげてこっいっとうこうみんとすること、だいけいないしょこくぎょうせいと、そのれんらくのためのえきでんせいだいさんせきちょうぜいでんぶんぱいだいよんちょうていもちいるうまかっちゅうゆみなどの調ちょうたつさだめたものである。

 かまたりはこれをもって、しょうらいりつりょうほうてんのうち、りょうたいこうしめすことがたものとして、おおいにまんぞくした。

 このはっぴょうわると、なにわノみやのさらなるぞうえいにかかるため、しろというところしつらえたかりみやに、みかど輿こしせてうつさせた。


 おおしまノは、あにによるいる鹿ふるひとさつがいせんきょうこう、それにこんしょうしょて、いよいよほんかくてき鹿げたことになってきた、とおもう。

かいしんみことのり

 というぎょうぎょうしいだいめいいているわりに、このしょうしょはほとんどくうぶんであるようだ。たしかにとうりつりょうさんこうとして、こっせいととのえるのはいまひつようなことであろう。しかしとうわたったことのあるものき、またぶんけんんだところでは、とうけいちょうあんとうらくようなどのだいには、かずおおくのがくもんけたかんりょうつとめているとう。くつからいっても、ふくざつほうせいうんようには、やくにんしきてきかつしゅうちゅうてきうんようと、そのためのごとになるやくしょせつひつようとするはずである。

 そのためにはどうかんがえても、ひろへいたないなにではがあるようにおもわれる。それにもしちょうあんのようなじょうがそこにたとしても、まだそこではたらかんりょうたるべきじんざいりるにはねんげつがかかるであろう。そんなにきゅうかいかくなどせいこうしそうにもない。

 それにはははなお飛鳥あすかノいたぶきノみやり、このしょうがつにはふるぶつようし、そのおうごんつぶして、

てんのうぎょ

 とよんったあらたなきんいんつくらせた。このことはまだなににはられていないはずだが、もうすぐもんだいこさずにはおかないであろう。

 またおおくのひと飛鳥あすかからなにおうけんうつったとはかんがえず、なにではいたぶきノみやてんのうからめいけてせいしっこうがされているにすぎないとおもっているようだ。おそらくしょこくからのぜいなどもたいはん飛鳥あすかおおくらおさめられることになりそうだ。

 百済くだら王子せしむしょうも、ゆうじょうからせいへんたんしたものの、こときにはこんわくしているようである。

 たいねんは、とうせいこうていじょうがんじゅうねん百済くだらノくにしょうちち義慈ぎじせいだいろくねんたっている。

 さくねんとうこうていまノくに新羅しらきノくにがいしているとしてせきにんい、みずかへいひきいてえんせいかんこうした。新羅しらきおうとうおうして高麗こまつことになり、百済くだらおう新羅しらきりょうおかして高麗こまたすけた。このたたかいはまださききがえないじょうきょうにあり、くにそんぼうけたこうぼうつづいているとつたえられている。

たすけをいたしとおもえど」

 どうすればいのか、としょうおおしうったえた。しょうはそのくにえんぺいすことをたいされて、ようしょうみぎりからこのやまとノくにあずけられているのである。しかしおうけんふたつにれているげんじょうでは、かいがいへのへいなどとうていくわだてられぬことになっているのであった。

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