心離れ

 おおしまノあにしたがにならず、飛鳥あすかとどまっていた。

 たいねんはるさんがつ東方諸国あづまノくにぐにつかわされていたづみノおみくいはちにんなにかえされたが、そのうちのろくにんおおしところちんじょうにやってきた。ろくにんによれば、れいしたがってにんおもむごとろうしていたのに、もどされてなにかとおもえば、げんでのぶっぴん調ちょうたつするかたほうであったとのかどで、まえみことのりとはちがうことをわれてしょばつされたとのことであった。

 おおしろくにんちんじょういたぶきノみやいでやった。たからノろくにんとおくにでのにんつからせてせいがあったとしてねぎらしょうした。ろくにんはこのしょぐうかんしゃし、たからノてんのうたたえるとちかった。たからノなにさくしてひとなつかせるやりかたは、すべてこのようであった。

 なにで、かまたりなかノおおえノは、ほうれいそういそがしかった。そうそうほうしゅうぞくきょうせいほうえいのうほうこうみんほうついれいひゃっかんかいほうしょこくとうほうそくなどをつぎつぎはっしたが、そのしっこうじつおろそかであった。

 ただたかむくノふびとげん新羅しらきノくにつかわしてこうしょうし、王子せしむ金春秋クム・チュンチュウなにたいざいすることとなったのは、じっさいせいじょうせいこうではあった。かまたりはこれを、新羅しらきノこにきしなにわノみかどそうしゅみとめ、その王子せしむしちとしてみついだのだとせんでんした。しゅんじゅうたいさんねんて、わずかすうげつこくしたので、かまたりしゅちょうくうったのであったが、このことはしょうしょうげきあたえた。しょうなかノおおこころうたがうようになった。

 いしかわノも、ほうれいじつあいだなやまねばならなかった。ぞくりょうりょうみんち、りょうみんはたらかせてそのがりでっている。ちょうていつかえるのはそのけんあんされたいからであった。しかしかいしんみことのりによって、そのりょうゆうするところみかどかえすことをめいじられた。わりにこっちょうぜいをしたうえで、そのだかそうとうぶんろくとしてきゅうされることになっているのだが、なにわノみやにはそれだけのぎょうせいをするのうりょくいから、けっきょくいままでどおりにぞくがそのかんをして、るものをそれぞれにるほかはい。

「かようにしてよろしかるやいなや」

 といしかわノおおしとおして、たからノけっさいあおいだ。

「さようよしなにすべし」

 とたからノりょうかいて、はじめてじょうぶんじったいつのであった。

 そうこうするうちに、

「かつて蝦夷えみしノおおおみいる鹿かノおみおおおみたらむことをあやぶめり」

 といううわさが、いしかわノみみはいった。蝦夷えみしいる鹿ではおおおみくらいたもてないとかんがえ、あとぎについてべつほうほうさぐっていたとうのである。とすれば、あんなことをしなくても、このいしかわノおおおみになれたのかもしれないのだ。

いんおうほう

 ということをほとけみちおしえている。いことをすればむくいがあり、わるいことをすればわるむくいがあるとう。うじじょうちょうなせたのはなんといってもわるいことであり、それになんゆうたないとなればなおさらわるかったことになる。

 いしかわノは、ほとけおしえをくのがおそろしくなってきた。もしこんじょうおこないのむくいをけなくても、らいではげることがないのだ。きとしけるものは、しゅうちゃくててはんおうじょうしないかぎり、むっつのみちくるしみながらまれかわりにかわりをつづける。そのむっつはてんかいにんげんかいしゅかいちくしょうかいかいごくかいといい、ひとうえからふたにましなほうんでいるが、それでもれりとせずよくをかいてわるいことをすれば、どんどんしたとされるのである。

 そこでいしかわノはせめてものすくいをほとけおうとほっして、やまとやまいえちかくにてらえいぜんすることをした。これはかつてかしきひめノみことせいだいねんはっされたぶっきょうこうりゅうみことのりもとづき、ちちまさこんどうのみをててそのままになっていたもので、これにほんぞんあんしてそうりょまわせ、こうどうしゃとうくわえてかんせいすれば、ほうごうじょうつうしょうやまでらとするけいかくである。

 そのためにちょうなんこごやまとどめてさくさせ、しんとくそくのためになにやまあいだいそがしくした。

 たいねんはるがつかまたりなかノおおじゅうきゅうかいかんさだめた。これはせんねんにすでにこうはじめたじゅうさんかいせいをさらにえしたもので、だいいちしょうしてだいしきだいしょうしきだいしゅうしょうしゅうだいしょうだいじょうだい……などとつづく。

 このころになると、ふたもさすがにかいかくじつがらないことにあせりをかんじていた。しょこくからのねんじゅうぶんおさめることができず、そのはんたからノちている。なにわノみやざいせいきゅうしつつあった。

 さんがつじゅうしちにちひだりノおおおみつとめたうちんだ。うちは、かまたりなかノおおあらためてせいけんじんようかんがえさせた。ふたいしかわノちゅうけた。このみぎノおおおみはこのごろなにでのせいはいらず、なにをしているのかやまかけていることがおおい。

くらノおみたるやはじめよりいたぶきノみやこころきけむや」

 なかノおおうたがいをくちにする。そもそもがノくらノおみというのは、飛鳥あすかおおくらかんするためにもうけられたうじなのだ。いしかわノこそたからノのために、あづまノくにからのこうのうさえて、なにはいらぬようにしてきたのではないか。

 ふたのうには、いる鹿ころしたときにおいが、たびおもわされていた。

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