嘘と噂

「セシム」

 百済くだらノくにではおうのことをそうぶとは、やまとノくにひとびとっている。こくおうならコンキシとう。

 百済くだらヨ・チャンコンキシまごキュ王子セシムは、あざなプンといった。そのがらおかもとノてんのうあずけられたのは、てんのうせいだいさんねんのことであった。コンキシは、いずれくにそんぼうがあろうことをあんじて、プンてんのうゆだねたのである。プンくにはなれるときに、コンキシはそのあざなってあたえた。それでプンは、またプンチャンともしょうする。プンチャンというおとを、やまとくちではうつした。

 プンチャンは、きょうだいきんじゅともなってた。かしこプンチャンには、おぼえるのはさほどむずかしくはなかったが、ことわかっても、じんなにいたいのかはわかりにくかった。じんはいつもなにだいなことをかくしているようながする。そのなかにあって、なかノおおえノとは、がくもんかいしてみゃくつうじることがる、ちょうゆうじんとなっていた。

 おかもとノてんのうまつねんに、プンチャンも、くにおさめることじゅうねんにしてしゅっした。コンキシふうえいごうけつたたえられ、こうおうおくりなされた。りょうこくくんしゅあいいでかいしたことは、ひとびとしんなんとなくきつかんじをあたえた。プンチャンそうそうと、ちちウィチャそくしきさんれつするため、一時ひとときさとがえりをした。

しょうもどたらばなにみなとまでむかえにきたしとほりす」

 なかノおおはそうかまおおせた。かま微行しのびることをめ、そうみんにだけげて、うまくつわいてほうこうる。なかノおおみのぞくくらいのりょそうをしてうまった。そうみんそうりょすうにんかせておくった。しまべっそうす。

 しまいて、

をばまさなかノおおえノ行宮かりみやとしてたてまつらむ」

 とげると、べっそうつかえるやツこはしためどもはおどろかしこまる。


 しょうふねくというしらせがはいると、かまなかノおおえノことづてけて、王子せしむむかえにかった。みなとにはかいがいから来るしょうにんおおい。しょうひんとのこうかんにするぬのこめわせてく。

 こんなにゆきでは、

コンキシおおおみイル・しいさる」

 といううわさについてたしかめることが、かまにはもうひとつのもくてきであった。さくねんふゆまノくにこにきしころされ、そのおいってこにきしとなり、なるものさいしょうとなった、というくらいのことをいていた。そのことのくわしいところりたいものだ。 

 まだあつさのすすせつで、すがしくなつかしいしおかぜみる。みなとにはあいわらず、百済くだら新羅しらき蝦夷えみし粛愼みしはせなどのじんっている。しょうにんもあれば使せつもある。くに使つかいにつかわされたひとであっても、ひまがあればものいをしにあるくことがある。

 ひとひょうかんつらがまえに、がんけんそうでたかからだつきにとくちょうがあった。きゃくさがしているところけて、たがいにかたことかいかよわせる。ちいさいものひとつでもおうとさええば、はなしはいくらでもかせてくれる。おなじことをかえして、ったことをまとめれば、そのくにきたせいへんだいは、このようであったらしい。


 ――としふゆじゅうがつイル・についてつみうたがいをものがあり、コンキシはそのつみさばこうと、ひそかにぐんしんあつめてはかった。はそのことをると、えっぺいおこなうとしょうして、おうこうがいさけにくつらね、しょしんまねいた。みつれたとはらずにきゃくた。するとへいごうれいしてりかかり、ころされるものひゃくにんあまりにもなった。

 ときかずにコンキシおとうとであるポーチャンかついできゅうじょうはいり、コンキシなせポーチャンててまたコンキシとした。


 くちぐちはなしからは、おおすじでこんなけいられた。しかしひとによってうことにちがところずいぶんとあった。けんりょくしさにおうしいしたのだとするものもあれば、コンキシとくうしなところがあったのでポーチャンがこれをただしたのだともわれる。コンキシがいきざんでみぞてられたとも、ていちょうほうむられたともされる。ざんにんかんぶつだともこえれば、おんじょうあるちゅうしんだともひょうされる。

 あきらかにじゅんすることが、こんぜんとなってつたえられている。おおくのひとなかにはうそれてまわしたざるものか。

 ――いや、どんなくちであれしょうなりともうそふくむものなのだ。

 なにうみのぞんだたかだいに、百済くだら高麗こまきゃくまるためのむろつみならんでいる。百済くだら宿やどたずねて、王子みこ使つかいのむねげると、王子せしむはすぐにこうと、うまさせておもてる。しまかえる。


なんとして王子みこられなさりけるや」

 と、りょうおうわせていたときに、ふるくからここにつかえているろうじょたずねた。かまにはむかしなじみのあいで、どうしたわけか、ついくちゆるくなるかたなのである。

いつわりごとにしてこたえてもかるべし)

 そのしゅんかんかまはこうかくしんした。うそいてはならぬとは、だれしもおやおしえられてそだつことではある。そのくせひとびとは、くちぐちいつわりをつたえている。うそなどらしては、せんいていてばちあたえるなどともわれる。だがなかではだれもがへいらしているのだ。

「たまたま飛鳥あすかでらつきもとに、王子みこたちのまりさせたまうにうことありけり」

 かまはそのをちらりとってかたる。

なかノおおえノみことまりりたまうに、みくつそのまりのままにはなたれぬるを、ひろいて掌中たなうらき、すすみてひざまずきささげたてまつれば、王子みこまたひざまずきていやびてげたまいき」

 それからがくもん伴侶ともがらとしてそばちかつかえさせられる、とおもきにものがたりをした。

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