足萎えの君

 かまは、高市たけちいえちちもとより、ほうこうかよう。いえには、かま使つかうまい。ときどきくらまたがったぞくの、はやあしぎみにじゅうしゃれた、うまをゆるゆるとすすませるのに、かるかれる。あさうすけにあるきながら、あたまはもうがくもんなかにある。

がくもんなんどして、なににかなるぞや」

 ちちは、なんかそうった。そのちちにして、つちってあるく。てんのう崗本宮おかもとノみやは、おなじく高市たけちばれるいったいなかってちかく、ちちつかえにるのはもっとおそい。

 がくもんおもときにはいつも、ちちこえむねそこひくひびくようながする。がくもんなどして、なにになるのか。としるほど、そのいがめんぜんせまってる。

 唐土もろこしにあれば、たいがくとかこくがくばれるものがあって、そのきょういくけてがくもんはげみ、すぐれたせいせきおさめれば、しゅっしんかかわらずかんえいたつみちひらけるといている。倭国やまとノくににあっては、がくもんつたえるところがようやくつくられたのみで、べんれいりょくをしたあとのことは、まだなんやくそくもありはしない。

がくもんなんどして、なににかなるぞや」

 ちちには、そうなんわれている。がくもんをしてもなんにもならないのは、このかまのせいではない。そうだ、このくにきゅうへいわるいのだ。


 かるノは、かまけている。

 としごとに、なつからあきにかけてのてんこうときえらばれ、おかもとノてんのうきさきおうたちをれて、おうみノくにゆうらん行幸みゆきする。そうするとかるノには、なかノおおおおしほうこうかよわせるやくいとまる。そのあいだは、そうみんこうにはない。どうしたことか、ひだりあしさわりがあり、あるけないほどでないとはいえ、そとたくもないのである。

なかノみやまうのぼりてがくもんこうじさせよ」

 と、ひとつかわして弥気子みけこに、かまさせるようにめいじる。弥気子みけこ使しゃかみしょうじ、頓首のみして王子みこみことのりける。弥気子みけこかまるのに、いままででもっとおおきくみはり、ただそういようにと、それだけをった。

 かるノも、がくもんこのたちである。がくもんかたることのあいちょうであった。かたらううちに、よるくしてつかれをわすれることもある。ときにはきさきたらしひめさとからのぼらせてせったいする。

しきくせおこさせたまうものかな」

 とたらしひめかげなげく。きゃくぶんそうおうたいぐうをしてはんのうるのが、このおっとのいつものどうらくなのだ。やるせなく舎人とねりどもにもけて、そくなくかまきゅうをする。


ことめぐみたまうこと、わがのぞみけるところに過ぎつ。いずれこの倭国やまとノくにきみとましましめざらむや」

 かまには、かるノこうぐうは、がいどころではない。まれてこのかた、どれほどもそんちょうされたことがかった。上気のぼせるほどに、ぼうがる。かるノてんのうきさきたからノ同母弟いろどである。いずれ国君こっくんくらいぐこともありうる。られていれば、なかとみといううじぶんえたあたえられることもあるかもしれない。

 そうおもいてつい、きゅうする舎人とねりまえで、そのようにった。ったあとで、ざかしいとおもわれるだろうと、やんだ。


「いずれこの倭国やまとノくにきみとましましめざらむや」

 こくおうにさせずにおくものか、かまがそうったとつたいて、かるノわらった。なんとなかとみノむらじなどという分際きわで、だいそれたことをくものか。がくもんがよくるわりに、こんな童子こどものようなこともうとは。まあわいいやつだ、せいぜいまわりに使つかってやろうか。そうおもって、それからなおしきりにがくもんようともをさせている。

しきくせを」

 と、きさきたちはめいわくがる。


「いずれこの倭国やまとノくにきみとましましめざらむや」

 そんなことを、ぶんけさせてみたい。なかノおおえノがそうおもうようになったときには、かぞえてじゅういっさいになっていた。

 このとしは、ちちせいだいはちねんであったが、こうれいおうゆうらんおこなわれず、霖雨ながあめこうずいおうきゅうさいかさなった。なかノおおかんがえるに、すべてのわるいことのげんいんは、ちちうねけてませ、それをははがひどくめたはるけんである。そのために、ちちかりみやまくらってかえらず、ははとのなかはなれるし、くにおさめることもおろそかになったのであった。てんがそれをとがめてさいこすのであろう。

 おおいなる揺篭ゆりかごいだかれたようしょうは、いまかんぜんこわされてしまった。なぜこんなことになったのか。これはどうしてもははちちしのいで、せいくちばしれるようなつよしょうっているのがわるいのだ。なかノおおはそうかんがえる。

 いずれぶんこっくんくらいいだときには、つよおうじゃとなってこんなわるいことがこらないようにしたい。つよおうじゃになりたい。かつてこの倭国やまとノくににあったことがないような、つよおうじゃになる。それには、こうていかんりょうせいととのったからくにのことをもっとらねばならない。


「いずれこの倭国やまとノくにきみとましましめざらむや」

 かまはそうったことをじつつ、かるノがくもんあいつづけた。うじくびきだっするというのぞみは、おうぞくとつながりをつことにだけあるとおもうのだ。しかしかるノあしはどうやらなおらぬものであるらしい。いつかかるノをこのくにおうとしていただきたいともうってしまった。

くんなればいしことをわざるべし」

 としょもつにあるもんつぶやく。いちくちからしたことは、ものべたようにしてしまうことはない。さあ、あしえのおうじゃというものがあるだろうか。そのてるちからげんわすれて、はるかにそうぞうめぐらせる。

 かるノは、あしやまいがようようわるくなる。おいたちはがくもんとしごろになって、ますますひんぴんそうみんおしえをいにきたがる。そんなにるのはおっくうだ。そこでおいたちのおくむかえをもかまゆだねることとした。

 こんは、てんのうふた王子みこつうがくともをするという、たいそうやくかってしまった。おとうとおおしまノほうは、がくもんたんぱくたちで、たいようつかめばことれりとする。あになかノおおえノは、もっとがくもんねっちゅうしていて、こまごまとしたことまでついきゅうしたがる。

 ほうこうへのじょううまきつつなかノおおえノあおぐ。まだおさなさがのこうつくしいかおまぶしい。


 そうみんおなときうみわたった、がくもんそうおんうんは、おかもとノてんのうせいだいじゅういちねんに、がくもんそうみなぶちノあやひとしょうあんがくせいたかむくノあやひとげんは、そのよくねんこくして、ほうこうがくどうはようやくおしそくかいしょうした。

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