臨終の床にて -東京鎮魂-
武蔵山水
臨場の床にて -東京鎮魂-
自分にさへも
さよならした
あなたの背中が行く
もう 愛さないの
闇を駆ける
さすらいびと
-浅川マキ『グッド・バイ』
一
病室の窓から見える東京の高速道路。あれほどにまでに騒音を撒き散らしていたあの屋根も今や郷愁さへ喚起される。街はまるであらゆるものの運動を停止したかの様に僕には思えた。窓は開いている。晩夏の風はやがて到来する厳しい運命を連れて部屋に侵入しいた。
こんな状態の現在で思うのは、あの詰まらない街もそしてその街で蓄積された僕の思い出も悲しく光り輝いている、という事だろうか。
愛して。
僕の孤絶は始まりも終わりもこの言葉に尽きるのだろう。
二
雲はまばらに浮かんでた。青色はどこまでも青色だった。
新宿の雑居ビルでふと目にした非常階段の赤いランプ。もはや何十年も誰にも知られずひっそりとそこに位置していたそのランプ。僕が見なければおそらく存在そのものさへ忘却の彼方にあっただろう。
街は暮れかかる。猶も僕はたった独りで歩んでいる。
愛して、と呟いてみる。その言葉は呆気なく何処ぞから吹いてくる風と共に何処ぞへと消えていった。誰にも悟られる事なく。
都会の喧騒。こんなに人がいるのに僕は、ただひとりぼっち。
投擲された石ころの様に定められた運命に向かうのみ。
三
あの夏に、今はもう遠い遥か彼方の日々にいた一人の少女。僕の好きだったあの子。誰もいない薄紅の陽が差し込む教室で僕はその子と話していた。明日なんか来なければ良いのに。そう本心から思った。今はもう思い出せない些細な事を楽しげに話していた。それだけであの頃の僕は全てが満ち足りていた。
四
月日はただ一方的に流れて、僕の心構えなんてちっとも鑑みる事なく流れた。僕はあの頃と何も変わっちゃいない。だから僕は周りから取り残されて独り。その事実を知りたくないから更に独りになった。
東京の街を歩く人の顔はどんな人もひとりぼっちに見えた。だから僕は歩き続けるのかも知れない。
やがて陽が落ちる茜色の空に向かって、決して届かない願いを必死に掴み取ろうとする様にビルが立ち並んでいた。
五
四ツ谷の外堀土手にたどり着いた頃には夜の帷が降りて風だけが走り抜けていた。遠くにはビルの光が明滅してそれに僕はしばらく見入っていた。この小高い土手に立ち東京の街を見下ろすと何気ない生活の音さへ聞こえず、思い出したくないことを思い出してしまう。否応なしに自分の内面を覗き込んでしまう。
それに目を背けて歩く。何で悲しいのか、誰も僕に聞いてくれない。毎日はきっと輝いている、毎日は尊い、そんな事はわかっている。なのになんで悲しみに暮れようとするのだろうか。
出会いはそれだけで完結していた。出会いは、そこには別れをも内包していた。
六
「ねえ」
情事の後、その子はその他に何も言わず僕をしっかり抱いた。僕は彼女の艶やかな髪の毛を撫でる他何もしなかった。彼女には他に彼氏がいる。僕はその事は完全に知っていてそれでも不倫な関係を大人な感じがして愚かにも喜ばしく思った。
そんな彼女も結局、同じだった。
七
皆んな突然僕の前から消えて居なくなる。そしてまた自分の世界に残るのは自分という不安定な要素だけになった。
愛して。
深い闇へ、その言葉は落ちていった。
八
外はもう暗く、病室は暗澹と空間の終焉を待っているかの様だ。東京という街、それ自体が僕にとってアカシックレコードだった。それは東京という都市ではなく東京という概念そのものが。
僕の世界。ただ僕の目にしか映らない東京の街。
それが僕の東京。
九
物語は終わる。過ぎ去れば幻の如し。
最終章 詩篇『東京レクイエム』
暗闇は光で出来ている
ビルディングの明滅する明かりに
幽か面影を描く
行くはずだった未来に、独り
飲み込まれる運命に、独り
見せ物の自然に吹いた風は
遠い夕日を嘲笑う
たった一度の生命に
風はたった一度しか吹いてくれなかった
人混みに紛れる彼は
見知らぬ人々に追い越され
坂を昇れば夕暮れが
坂を降れば暗闇が
都会の隅の影までも
雨の悲しみを感じている
住む人がいない古い家屋に
死んだ魂の思い出が
今日も独り
変わりゆく街の中に
今日も独り
(了)
臨終の床にて -東京鎮魂- 武蔵山水 @Sansui_Musashi
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