モリス会長

 アレックスより一足先に、ノエルはその島の浜辺へと辿り着いていました。

 歩けばものの数分で一周できてしまうような小さな島です。

 目を凝らすと、奥にちらっと見える館を覆い隠すように木々が生い茂っていました。



 「遠くからでも感じてたけど……ここまで来ると、吐き気がしそう」



 少し歩くと、亡霊のような木々の間に、堅く閉ざされた館の門が見えてきます。

 ノエルはこの小さな島にはそぐわない大きな館に、言葉では言い表せない禍々しいものを感じとっていたのです。



 鋼鉄の門扉の隙間からは、庭中を番犬がうろうろしているのが見えました。

 手荒なことはしたくなかったので、ノエルはどう中に入ったらいいものか考え込みます。



 「……お待ちしておりました。ノエル・スライザウェイ博士でいらっしゃいますね?」



 すると、不意に門扉の横の小さな勝手口から、中年の執事らしき男が出てきました。

 執事らしき男は丁重に一礼し、ノエルを門の中へと招き入れようとします。



 「あなた……なんで私の名前を知っていますの?」

 「旦那様より、ノエル様というお若いエルフの女性が訪ねて来られるので、丁重にお迎えするようにと仰せつかっております。もう一人、剣士のお連れがいるとも聞いておりましたが?」

 「私一人よ……でもおかしいわ、モリス会長とは何もお約束なんてしていませんのに……」

 「伯爵家のグレン様からのご依頼と聞いております。旦那様とグレン様は大変懇意でございますから」

 「ずいぶんと根回しが早いこと……まあいいわ、この館のことについてお伺いしたいの。モリス会長に会わせてくれますの?」

 「もちろんでございます。さあ、中へ……」



 ノエルはでき過ぎた話を怪しみましたが、まだ領主もモリス会長も、何も悪事をしている証拠はありません。

 警戒しながらも、ノエルは執事の後に続きました。

 その館は庭も屋内もよく手入れがいきとどいていましたが、どこか薄暗くて不気味な印象です。



 「さあ、ノエル様、こちらの部屋で旦那様がお待ちになっております」

 


 通された広い客間には、初老の少し太った紳士が椅子に腰かけていました。



 「はじめまして、この館の持ち主のモリスと申します。かの高名なスライザウェイ博士でございますね?」

 「はい、ノエル・スライザウェイと申します。突然の訪問に関わらず、恐れ入りますわ」



 立ち上がって丁重に挨拶をするモリス会長に、ノエルは少なくとも悪い印象は受けませんでした。

 ノエルがイメージする大商人とは違い、穏やかで優し気な品の良い男のようです。



 「いやはや、グレン様に伺った通りの美しいお嬢さんですね!」

 「いやですわ……伯爵様もモリス様も口がお上手なのですから」



 そんなこと言いながらも、ノエルはすっかり照れていました。

 エルフは基本美男美女の為、エルフの集落ではノエルの容姿は普通です。しかも、大学では研究室にこもりっきりなので、中々そういったことを言ってもらえる機会がないのです。



 「ところでモリス会長、ずいぶんと子供がお好きなようですね?」



 椅子に腰かけたノエルは、部屋の壁に飾られている絵画に目をやり言います。

 広い客間ではありますが、壁には十枚以上の絵画が飾られていたのです。しかも描かれていたものは、あらゆる種族の十歳前後と思われる小さな子供ばかりでした。



 「これはお恥ずかしい。私と亡くなった妻の間には子ができませんでしたので、せめて絵だけでも……と思いましてね、気が付けば子供の絵ばかりになってしまっていました」

 「それは大変失礼しました。あまり聞かれたくないことでしたでしょう……」

 「いえいえ、いいんですよ。子供が好きなことには変わりはないのですから」

 「何でも、難民たちに無償で食料援助をされていらっしゃるとか?」

 「そうです、あの可哀想な子供たちの為に、何かできないものかと思いましてね……私にとっては、道楽みたいなものですよ」



 この館から感じる禍々しさとは裏腹に、やはりモリス会長は善良で好感のもてる人柄に思えました。

 さっきの執事がお茶を運んで来た為、モリス会長はカップを手に取ってノエルにも勧めます。

 ノエルはカップを手に取り、お茶を一口飲んで言いました。



 「ところでモリス会長、今日ここに伺いましたのは、他でもないその子供たちの件ですの」

 「ええ、グレン様から聞いております。子供さらいの件で、この島が何か関係してるのではないかと疑われているようで?」

 「……はい、笑われてしまうかもしれませんが、難民の子供が湖の上を歩いてこの島に消えて行ったのだと聞きまして……」



 遠慮がちに話すノエルを、モリス会長は優し気に見つめ言いました。



 「なるほど……それを聞いて、ノエルさんはどうお考えで?」

 「はい、以前文献で何かを媒介にして人を呼び寄せる魔法があると読んだことがありますの。ただ、水の上を歩かせるような高度な術式となると……」

 「実に興味深いお話しですね。しかし、ノエルさんは一体何の為にそれを調べているのです?」

 「研究者としての個人的な興味もあります。ですが、難民の女の子に約束したのです。いなくなったお姉さんをさがしてあげると」



 それを聞いたモリス会長は、目を潤ませて感極まった様子でノエルに言います。



 「いやーノエルさん、あなたはお美しい上に実に素晴らしいお人だ! 私の愛する子供たちのような眩しいくらいの純真さ……素晴らしい限りです!」

 「は……はい、嬉しいお言葉ですわ」

 「だけど残念だ……。あなたにはもう大事なものが欠けてしまっている……」

 「……え?」



 モリス会長の不可思議な言葉とともに、彼の優し気な笑顔が歪み始めます。いいえ、歪んでいたのはノエルの視界の方でした。



 「モ……モリス会長……おっしゃってる意味が……」

 「ノエルさん、確かにあなたはお若くて美しい。だが私たちの求めるものではない。あなたの心は子供のように純真でも、体は既に大人になり過ぎているのだ」

 「な……なに? 体が……ふらつ……いて……」



 ノエルは薄れ行く意識の中、必死に椅子にしがみ付こうとしましたが、あえなく床に崩れ落ちてしまいます。

 モリス会長も、ノエルのすぐ横にいた執事も微動だにしません。

 ただ、さっきまでとは別人のようにモリス会長がせせら笑っていました。



 「ははは……あなたは首を突っ込みすぎたのですよ。絶対に触れてはならない世の中の深淵というものにね……」



 ――い……いや……アズマ……助け……」

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