とある町の宿屋

 辺りはすっかり夜の闇に包まれ、チーズみたいな色をした月明りが、夜道をうっすらと照らす頃です。

 夕方峠道で道迷いをしていたアレックスとノエルは、とある町の宿屋に無事たどり着いていました。



 「これはこれは、こんな夜分に道中大変だったでしょう。この辺も最近では物騒になりましたから」



 夕飯時も終わった頃の突然の来客でしたが、人の良さそうな宿屋の亭主は二人をこころよく迎えてくれます。



 「いいえ、とてもお優しいおじさまたちが、この町まで道案内をして下さいましたの」

 「それはそれは、ずいぶんと親切な御仁だったようで」

 「ああ、そうだな、最後には金まで置いていってくれたんだからよ、ご機嫌なおっさんたちだったぜ!」

 「……え?」

 「あははは……なんでもありませんのよ! ……あんたは黙ってなさい!」



 アレックスが口走った意味深な言葉に亭主は首を傾げますが、ノエルがすかさずごまかしました。



 その宿は大きくはありませんでしたが、小綺麗でとても居心地が良さそうです。

 二人は親切な亭主に二階の部屋まで案内され、こんな素敵な部屋に泊まれることに満足を……。



 「って、なんで私があんたと同じ部屋で一緒に寝なきゃいけないのよ!」

 「るせーな! 仕方ねーだろ? 二人部屋しか空いてなかったんだからよー!」

 「良くないわよ! 私みたいにうら若き可憐な乙女が、あんたみたいなチンピラと一緒の部屋で寝られるわけないでしょ!!」

 「あーん? 誰がてめーみたいなガキ臭いアバズレエルフを襲うんだよ? 自意識過剰なんじゃねーか?」

 「な……なんですってー!!?」



 せっかく宿屋に泊まることができるのに、二人はまたどうでもいいことで言い争いを始めてしまいます。

 でもここは夜の宿屋、あんまり騒いでいると……。



 「お客様、申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑になりますので……」

 「あら、いやだ、私ったら! ごめんあそばせ、おほほほ……」

 「……っけ! 言わんこっちゃねー」



 あまりの大声に、堪りかねた亭主が部屋まで注意に来てしまいました。

 ノエルは反省し、渋々アレックスと同じ部屋で眠ることにしたのです。



 「あーあ、今日も疲れたぜ! とっとと寝るか……」

 「あんた、ここから先に一歩でも踏み入れたら、火炎魔法でローストチキンにするから!」



 ノエルは自分のベッドとアレックスのベッドを最大限離し、その間に手で線を引いて見せます。

 正直、アレックスはもう疲れていたので、彼女の話を聞き流して空返事をしていました。



 「ちっ! やっと寝やがったか……相変わらず、口うるさいクソエルフだぜ!」



 なんだーかんだー! と元気いっぱいのノエルでしたが、さすがに歩き疲れたようで、天使のような顔をしてぐっすりと眠りにつきました。



 「けっ! これでもう少し大人しかったら、可愛げもあるってもんなんだがよー……、小便でも行って来るか」



 ノエルを起こさぬよう、アレックスは静かに立ち上がって、部屋の外のトイレへ向かおうとします。ところが、



 「な……なんだ? なんでこんなところに見えない壁があんだよ? もしかして……!!」



 アレックスが部屋の中央まで進むと、さっきノエルが手で印をつけたあたりに透明な壁があって、先に進むことができません。

 アレックスは血相を変え、ぐっすりと眠るノエルに対して声を上げます。



 「ちょ! てめー、ふざけんな! こりゃ、障壁呪文の『ワンダー・ウォール』じゃねーか!?」

 「……むにゃむにゃ……ぜっらいに……入らないれ……」

 「起きやがれ、このクソエルフ!! 俺の小便がー!!!」



 夜の宿屋にこだまする、アレックスくんの元気な雄叫び……。

 こうして、この町での最初の夜は更けていくのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る