52話 奪還(中編)

「玖斬様!!」

ヒバナの悲痛な叫びは、音を発する前に闇の中に飲み込まれた。


炎が闇に覆いかぶさると、闇は捕われまいと暴れ狂った。

広さのある空間いっぱいに、闇と炎が混ざり合い、充満する。


闇がヒバナを掠める度に、思い出したくもない光景ばかりが胸に浮かぶ。

全てをかけて仕えると誓った彼女の、あまりにも早過ぎる最後……。

それは、今の主人(玖斬)との出会いでもあった。


ヒバナは強くかぶりを振り、過去を振り払う。

(……私の玖斬様はいずこへ……)

見渡しても、視界に映るのは闇と炎の奔流だけだったが、ヒバナがクザンの魂を見失うはずが無い。

主人の気配を辿るように進めば、その先はまだ深い闇へと続いていた。

衝撃波に飛ばされたからか少し離れてしまっていたが、可能な限り近付くと、主人へまた力を送り始める。

スルスルと吸い込まれてゆく力は、主人の意識はまだはっきりしている証拠だった。

後は、もういいと言われるか、この命が尽きるまで、注ぎ続けるだけだった。


「お、生きてたか」

クザンは流れ込んできた力に、ヒバナの無事を知る。

それと同時に、早いところ決着をつけなければ、ヒバナが倒れるだろう事も頭の端に入れておいた。


上も下もわからないような空間。

言葉は、口にしても自分の耳にすら届かない。

もしかしたら、音すらも闇が喰っているのかも知れない。


クザンは、より一層腹の底に力を込める。

そうしていないと、一瞬で闇に意識を飛ばされそうだった。


ラスはもう目の前だ。

だが、まだ手は届かない。


「なんっなんだよ、この卵の殻みたいのは!!」

さっきから、殴っても焼いても、びくともしない。

そうこうしている間にも、クザンの体はその輪郭から闇に浸食されてゆく。


クザンはこんなところで負けるわけにはいかなかった。

少なくとも、リリーより先に死ぬ事は、あってはならない。

リルとフリーの事だって、まだ置いて逝くには早過ぎる。


ラスを諦めて、環だけ回収して離脱するか?


一瞬頭をよぎった考え。

それに怒り狂ったのは、クザン自身だった。

「お前だけ置いていけるかよっっっ!!!」


ゴッ……と鈍く重い音が脳に響き、闇色の殻にヒビが入る。

どうやら、クザンの怒りに任せた頭突きが、最後の一押しになったらしい。


入った亀裂は細かく、どこまでも広がり、殻は粉々に砕け散る。

中から、さらに濃い闇が溢れ出す。

クザンは眉を顰めつつ、その中へ手を突っ込むと、ラスを引き摺り出した。

額から滴る鮮血がボタボタと落ちて、クザンは自身の額が割れた事にようやく気付く。


ラスは闇に飲み込まれ、黒く染まっていた。

クザンは、ラスを包むように炎を纏わせる。

闇は、抵抗するようにバチバチと火花を散らして渦巻いたが、次第に溶けて消えた。


フッと、部屋中の空気が軽くなる。

闇の気配が抜けてゆくと、部屋には淡い水色の炎だけが広がっていた。


「火端、もういいぞ」

言われて、ヒバナがその場に崩れる。

「はっ……、流石は、私の玖斬様……お見事で、ございます」

ゼエハアと汗だくで肩で息をしつつも、ヒバナがクザンを称賛する。

普段はシワひとつ無い真っ白な服も、今はあちこちを闇に喰われ黒ずんでいた。


「当然だ」

部屋に漂う炎を吸収しながら、クザンが笑う。

その笑顔を、ヒバナがホッとした表情で見上げた。


クザンは大股でヒバナの所まで歩くと、片手で頭をガシガシ撫で回す。

クザンの瞳と同じ檜皮色の帽子がずり下がるのを、ヒバナは片手で押さえた。

「お前もよく頑張ったな、偉いぞ」

「玖、玖斬様……!!」

ヒバナが大きく息を吸い込む。

しかしクザンは、ヒバナがいつもの長ったらしい話を始めるより早く、ヒバナの目の前に腕を突き出した。


その片手には、ラスが頭を掴まれたままぶら下がっている。


「だが、こいつのことを知らせなかったのは、許せん!!」

クザンは紛れもない殺気を込めて、ヒバナを睨み付けた。


----------


(あ、お父さん達、勝ったみたい……)

リルは、手を耳に添えて城中の音に集中する。

指笛の音がした。お父さんが空竜を呼んだらしい。

もうじき、ここに来るだろう。


もう少ししたら、さっきのお姉さんもここに着く。

一緒のレイはちょっと弱ってる音だけど、死にそうってほどではない。

仲直り、出来たのかな……?


久居に伝えると、きっとレイの方に行っちゃうだろうな。と思いつつ、リルは目の前の二人を交互に見上げた。


久居とクオンは、シンと静まり返ったまま見つめ合っている。

クオンは酷く悲しそうな目で、それでも優しく微笑んでいた。

久居はその微笑みを、どうしたら良いのか分からないままだった。


「久居はとっても強いから、大丈夫だよ?」

沈黙を破って、リルがクオンに話しかけた。


クオンの悲しみが一層濃くなる。

「天使達は……どんな手段を取るかわかりません。

 たとえ、久居が直接天使に負ける事がなくても……」


そこまでで、クオンの言葉は途切れた。


久居がようやく口を開く。

「……かまいません。それは、私の人生です」

静かに、しかしはっきりと言い切られ、クオンが動揺する。

「そんな……、私は、久居にそんな思いはさせたくありま……」

「私は、自分のせいでこの世界が滅ぶなど、もっと嫌です」

被せて言われ、クオンは可哀想なほど狼狽えた。

「そんなつもりはありません。天界だけを……」

「それもお断りです。天界は私の友人の故郷ですから」

クオンが息を呑む音は、久居にも十分聞き取れた。


「…………では……それでは……、私は一体、どうすれば……」

クオンが自身の眼前に広げた両手は、ひどく震えている。


「生きてください。この世界で。できる限り幸せに。

 私は、たとえこの血のせいで命を失うとしても、微塵も貴方を恨みはしません」

久居の言葉は静かだった。

「久居……」

クオンは、今にも泣き出しそうな顔で久居を見る。

そんな視線を受け止めて、久居はようやく、どこか仕方なさそうに表情を緩める。

「貴方が……。いえ。父さんがいなくては、私はそもそもこの世に居ないのですから」

久居が、脳裏に主人の姿を映して、美しく微笑んだ。


「……久居……」

悲しそうな瞳の色は変わらなかったが、それでもクオンは目を細めた。

切なく儚げな、僅かにでも触れると壊れてしまいそうな微笑み。


それを見て、リルはなんとなく、クオンの瞳はもうずっと前から悲しい色だったんだろうな……と思った。


近付いて来た足音に、リルが通路の方を見る。

その仕草に、久居がハッとそちらを振り返るので、クオンもそちらに目をやった。

「父さん……お兄ちゃんを助けて……」

べしょべしょに泣きながら、血だらけのレイを引き摺って出てきたのは、サラだった。

「サラ!」

クオンが慌てて駆け寄る。

あちこちに血がついたサラの怪我を確認するクオンが、サラに怪我がない事を知って息をつく。

その後ろで、久居がジリっと半歩後退った。


(……今、レイの妹に『父さん』と呼ばれませんでしたか!?)

脳内で可能性の計算を始める久居の元へ、羽ばたき音が降る。

それとともに、中庭にブワッと風が起こった。

見上げた空竜から、クザンが身を乗り出して叫ぶ。

「帰るぞ!!」

言われて、リルがサラの腕からひょいとレイを取り上げた。

「あ、お兄ちゃん……」

「大丈夫。レイはこのくらいじゃ死なないからね」

リルに至近距離でにっこり微笑まれて、サラは、伸ばしかけた腕を困った顔でじわりと引っ込める。

「……」

「うん、ボク達がちゃんと治してあげるよ」

「……」

「どういたしまして!」

リルが、花のように眩しく微笑んだ。


「!?」

なぜかサラと会話を成立させているリルに、クオンが驚く。


その間に、リルはクザンに手を掴まれて、ぐいと空竜に引き上げられた。

続いて久居も飛び乗る。


「ま、待ってください!!」

クオンが慌てて久居に手を伸ばす。


ぽいと久居の手に、環が一つ投げ寄越される。

投げたクザンは「使え」とだけ言った。

「はい」

久居が手早く環を装着し、風を起こす。

空竜に追い縋ろうとするクオンが、風に煽られて歩みを止める。


久居はレイをちらと見てから、サラに「貴女も来ますか?」と声をかけてみる。

和解したなら、レイの怪我が気になるのなら、勝手に引き離すのも何だか申し訳ない。

「……私は行かない。父さんが一人になっちゃうから……」

サラが静かに首を振るのを見て、久居は

「分かりました。ありがとうございます」と心を込めて一礼する。


次の瞬間、空竜は大きく羽ばたき、空高く飛び立った。

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