52話 奪還(後編)

「ねーお父さん、この人は?」

リルが、空竜の上で目を回している赤い髪の少年を突ついている。

クリスの家族の仇だなどとは、思いもしないまま。

こんな感じの鬼と、こないだ話をしたような、しなかったような……? と、リルは自身の浅い記憶の引き出しを探っていた。


そろそろ、リルも分かってはいた。

自分の記憶が、他の人に比べて酷く消えやすい事を。

ただ漠然と、忘れ続けているような、無くし続けているような、そんな思いだけがある。

それに対して焦りは感じるものの、どうしたら良いのかまでは、全く見当が付かなかった。


リルは、疲れ切った顔で眠っている赤髪の少年の顔を見つめる。

その頭には自分と同じような小さいツノが生えている。

本数は自分より多くて二本だけど。

そういえば、自分以外の小鬼を見たのは初めてだなぁ、と思う。


「んー? そうだな、俺の弟みてぇなやつだ」

適当なクザンの返事を、リルは事情を分からないままに受け止めた。

「ふーん?」

お父さんって、弟がいたんだ?

ん? 『みたい』って事は、弟みたいだけど、弟ではないって事なのかな。

振り返れば、クザンは久居と二人がかりでレイの治癒にあたっていた。


レイの傷は数こそ多かったが、幸い内臓を抉るようなものは無かった。

久居は一つ一つの傷を塞ぐ合間に、顔を上げては城の方角を見つめていた。


もしかして、さっきの……えーと……。

リルは、思い出せないその名をひとまず置いておくことにする。

……とにかく、久居のお父さんの事、気にしてるのかな……?


「もっとお話ししたかった……?」とリルに問われて、

「……そうかもしれません」と久居は小さく苦笑した。


「あ゛ぁぁぁ……、悪ぃ、俺はここまでだ」

突然クザンがリタイアを宣言する。

「お父さん、もうヘトヘト?」

リルにくりっと首を傾げられて、クザンがバリバリと頭を掻く。

「つかお前らはなんでそんな余力あんだよ。戦ってたのは俺だけか?」

クザンは、ほぼ無傷のリルと久居をジトっと見た。

「申し訳ありません……」

「ボクはちょっとは戦ったよー」

「ちょっとだけか!」


「じゃあボク元気だし、炎分けてあげるよー」

ニコニコと告げたリルの言葉にクザンは目を丸くする。

「何だリル、そんな器用な事できるようになったのか?」

「うん、教えてもらった」

言われたクザンは、それが、変態からだとは思ってもいない。

「んじゃ、ちょっともらうかな」

「はーい。……あ。失敗しちゃったらごめんね?」

「……」

息子の成長にホクホクした顔のクザンが、ぴたりと動きを止める。

「お前……それ、今まで何度成功してんだ?」

「えっとねー。……二回!」

ちょっとだけ考えたリルが、久居に注いだその数を答える。

クザンは固まったままの笑みをちょっとだけ引き攣らせて言う。

「やっぱ、また今度にしとくわ……。それまでにもうちょい回数こなしとけよ」

「えー」

ぷぅ。と小さく頬を膨らませ、拗ねるように口を尖らせる息子を、クザンは愛しく思いつつ撫でる。

「あ、じゃあ、ボク治す方やってみたいっ!」

良い事を思いついた。とばかりにリルが薄茶色の瞳を煌めかせた。

「それはやめろ」

リルのウキウキした声に、クザンの低い声が被り気味に答える。

「えー。ボクもそろそろ、治癒の練習してみたいよー」

リルがもう一度ぷぅと膨れる。

「練習台なら私がしますので、他の人で試すのはやめてください」

久居がやんわりと、しかし確実に止めてくる。

「おいおい、治癒の練習は自分の体でやるもんだぞ」

クザンに言われて、リルはくりっと首を傾げた。

「お父さんも、そうだったの?」


確かに、久居は治癒の練習用に、淡々と自分の体を傷付けていた。

でも、なんとなく、クザンはそんな性格ではないような気が、リルにはした。


「うっ……お、俺は」

視線がしばし彷徨って、クザンの頬に一筋の汗が伝う。

クザンは、照れ笑いのようなものを浮かべつつ、白状した。

「まあ、その……俺は火端でやったんだけどな」


クザンは当時、何としても、治癒を身につけなければならなかった。

それも、可能な限り高度な治癒力を、短期間で。

……子供達が生まれてきてしまう前に。


母親を焼き殺して生まれてしまった自分と、同じ事を、我が子にさせるわけにはいかなかった。


あの頃、クザンは何度もリリーと話をした。

子は諦めようと誘うクザンの懇願に近いそれに、リリーは頷いてはくれなかった。

本当は、産んでほしくなかった。彼女を失うなんて、考えただけで怖過ぎた。


彼女は大丈夫だと笑っていたけれど、何もしないままではいられなかった。


細かい制御は不得意で、治癒なんてその最たるもので、全く向いていない分野だとわかっていた。

けれど、他に自分が彼女のためにできそうな事なんてなかった。


だから、練習した。毎日毎日、繰り返し、ヒバナを刻んで。

今思えばヒバナにとっては地獄のような日々だったのではないかと思う。

治癒は、失敗した時の結果がひどい。……えぐいと言ってもいい。

おそらく、元々偏っていたヒバナの性格をより一層歪ませたのは、あの件ではないかと、クザンは少しだけ責任を感じていたりもする。

……まあ、ヒバナに言うつもりはないが。


「やっぱり……」

「やっぱりってなんだ! どーゆー意味だ!」

リルにあからさまにガッカリという顔をされて、クザンが大人気なく噛みつく。

「違うぞ! あいつがいくらでも刻んでいいっつーからだな!!」


「っ……ぅ……」

レイが痛みを堪えるように、小さく身じろぎして目を開く。

クザンの怒鳴り声が煩かっただろうか。

リルは、いつも無駄に声の大きい父をじとりと見る。

クザンは、視線を受け止めたくなかったのか、さりげなく空を見上げた。

「レイ、治していますので、動かないでください」

久居の声に、レイは一瞬ホッとした顔で久居を見上げたが、すぐに険しい顔に戻った。

「――っ、今どの辺だ!?」

ガバッと起き上がり、痛みに顔を顰めながらも必死に辺りを見回すレイ。

「まずい! 射程に入る! 一度戻ってくれ!!」

レイが叫んだのと、輝く何かが急旋回する空竜の翼を掠めたのは、ほぼ同時だった。

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