50話 三者三様(後編)

「獄界には何もしない。クザン兄はしばらく地下に潜っててくれよ」

ラスの言葉に、クザンは一瞬の回想から引き戻される。

拳を交わしても、それでもラスはまだ、クザンに気を遣ってきた。

「……俺には、ここに置いてけねぇのがいるんだよ」

クザンはその気持ちを嬉しく思いながらも、苦く答える。

「……」

ラスは閉口し、開いてしまった拳をもう一度、強く握り込んだ。

クザンはそれが悲しくて、言葉を重ねる。

「四環は、お前には操れねぇだろ?」

「……」

「カロッサ覚えてっか? あいつ、先見になったんだよ」


ラスがびくりと肩を揺らす。

「……お、俺のせいで、家が……燃えてしまって……本当に……すまない……」

「あ? お前がやったのか?」

クザンは、そんな話は聞いていない。

「俺が、あの鬼に環を取られなければ、きっとああはならなかった……」

グッと悔しそうに拳を握り込むラスに、クザンが苦笑する。

「なんだ……驚いたじゃねぇか。火焔のやった事まで、お前が気にするこたぁねぇんだよ」

「……カロッサは元気にしてるか?」

クザンの温かい声に、つい零してしまったラスの言葉。

しかしその返事は短かった。

「……あいつは死んだ」

「え…………?」

(そんな、まさか……)

ラスの脳裏に、共に過ごした日々が蘇る。

ラスより外見ではひとつ年下だった十三歳のカロッサ。


ラスを、自分と同じ拾われ子だと思ったのか、俺を見かけるたびに「ラス君、ラス君」といちいち声をかけてきた。

きっと、俺が淋しい思いをしないよう、カロッサなりに精一杯気遣ってくれていたんだろう。


カロッサはよく泣く子だった。

うっかりもので、ミスが多い。それを本人が一番気にしていた。

周りは、それほど気にしていなかったのに。

よく自分を責めては泣いていた。


人らしい振る舞いができるようになったのは最近の事だと、カロッサは話していた。

今まで一体どこで、どんな暮らしをしていたのか。

聞くことはできなかったが、俺だけが辛い目に遭ってきたわけではないと思えた事は、あの頃の俺を確かに支えていた。


「嘘……だろ……?」


ラスは、狼狽を隠せなかった。

「だって……天使が……、護衛してたんじゃ、ねぇのかよ……」

目を泳がせていたラスが、ハッとした顔でクザンを見上げる。

「まさか……天使が……!?」


クザンはその視線を苦い顔で受け止めると、ゆっくりと諭すように話す。

「カロッサが教えてくれた事なんだ。命をかけて。四環をお前達が使えば、この世界が壊れてしまう、ってな」


「っ、クザン兄、教えてくれ! カロッサを殺したのは天使なのか!?」

縋るようなラスを、クザンが一喝する。

「お前らがこんなことするからだ!!!」

「……っ」

「分かったら、大人しく四環を……」


「だって、あいつらが悪いんだ!! たとえ俺達が何もしなくても、天界の連中は俺達を殺しに来る!! 他に方法なんかねぇんだよ!!!」

苛立ちを叩きつけるように叫ぶラスを、クザンはぶん殴った。

まだ会話をしていたつもりのラスが、殺意も無いそれの直撃を喰らう。

「分かってる。あの頃のお前が悪くなかった事は。……だが、もう今のお前は、たくさんの命を奪っちまっただろ?」


ラスは、部屋の端まで吹き飛んで、壁に激突する寸前、黒炎に包まれた。


----------


久居は焦っていた。

リルが戦闘に入った。


しかし、その相手がわからない。


ここにいるレイの妹も、クザンと戦っているらしい鬼も、どちらも強い。

リルの相手は、さらに強い者である可能性だってある。


(リルの元へ行かなくては……)


そのためには、自身の力だけでは足りなかった。

いつもはリルが炎を上乗せしてくれていたが、それが無くては、自身の力だけでは、全然足りない。

久居は、ここへきて自分の無力さを痛感する。


それでも、諦めるわけにはいかなかった。




一方でサラは、父の戦闘開始にホッとしていた。

サラの心配は、優しい父が何か不意を突かれたり、卑怯な手を使われないかという部分のみだった。

父が戦闘に入ったのなら、あの小さな子相手に心配はいらないだろうと思う。

何せ、父は強い。


戦う事は苦手のようだから、普段は城で留守番をしてもらっているが、父さんの闇はサラには計り知れない程に強大だった。

ラスよりも、もっと幼いさっきの少年に、なんとかなるような相手ではない。


それでも、まだ不安があるとすれば、あの子が幼すぎて、父がとどめを刺せないのではないかという程度だ。


あまり表情の動かないサラの口元に、じわり、と余裕が生まれる。




それだけの仕草で、久居は気付いてしまった。

彼女が、リルと戦う相手の、勝利を確信した事に。

瞬間、久居は覚悟を決める。そして心で強く誓う。

絶対に、菰野の元へ、リルと揃って生きて戻ると。


久居は、刀を握ったまま、きつく栓をしていた両手のそれを、そっと緩める。

闇はそこから、ずるりと溢れ出た。


----------


第四の闇の気配は、全員に衝撃を与えた。


特に、震えるほど強い衝撃を受けたのが、リルと対峙していた男だった。

男は力の気配が届く方角を、驚きと絶望の形相で見つめる。


男の攻撃がピタリと止んで、リルは瓦礫の中から這い出した。

肩で息をしながらも、体のどこも怪我をしていない事を確かめる。

大丈夫。僕の炎は、ちゃんと僕を守っている。

少しずつ呼吸を整えながら、リルは動揺する男を見上げて、立ち上がった。


「この……闇の力は……そんな……っ」

小さな小さな呟きは、まるで泣いているような声色だった。

とても人には届かないその声を、リルだけが聞く。

カタカタと小さく震える男が、頭を抱え込むようにしてかぶりを振る。

「そ、んな……まさか……――」


リルは、その気配に覚えがあった。

「ボクの仲間だよ。人間だけど、とっても強いんだからねっ!」

リルが無駄に自慢気に胸を張って答える。


男は少年の言葉に、両手で顔を覆い呟く。

「人間……。……にん、げん…………」

あの実験で取り出された力は、いくつかの種族に試されたらしかったが、天使は原則、人間に手を出さない。

「それは、……まさか、そん……な……」

あまりに激しい男の動揺に、リルが少し心配になってくる。

「えっと……おじさん、大丈夫……?」

ガタガタと全身の震える音が、早過ぎる鼓動が、血の流れすらが彼の動揺を伝えている。

「あ。その人、おじさんに似てるよ。喋り方とか、髪とか、眼とか」

思い出したことを、ただふわふわと気安く話すリルに、ぐりんと男が振り返る。

リルの顔をじっと見ながら、男は震える唇で尋ねた。

「まさか……ひ、久居という、名では……?」


「え。おじさん久居を知ってるの?」

くりっとリルが首を傾げる。

そして、やっと、さっきから感じていた男への既視感の正体がわかった。


「あ。そっか。おじさん、久居のお父さんなんだね」

リルは、狼狽している男を眺めながら、なるほど納得という風に大きく頷いた。

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