50話 三者三様(前編)

「環を置いていけ!!」と叫び、扉から飛び込んできたフードの少年は、クザンの姿を見て、息をのんだ。


「……っ!?」

(クザン兄……!?)


しかし、その驚愕はクザンには伝わらない。

少年の目深に被ったフードで、クザンの視点からでは口元以外の表情は全て隠れている。

『ラス』と呼ばれていたフードの少年は、全身から汗が噴き出すのを感じた。


「勝手に入って悪ぃな。だが、こいつはここにあっていいもんじゃねぇ」

クザンが断言し、炎を纏う。


「くっ……!」

ラスは頬を伝う汗を振り払うように、頭を振り炎を纏った。

(相手が誰だろうと関係ない!!)

「それは、渡せない!!」

(俺達の未来は、その環にかかってる!!)


ラスは気持ちを込めて火力を上げ、炎を集めた右腕から鋭い一撃を放つ。

クザンはそれを躱すと、抱えていた環を放り捨てた。


「なっ!?」

四方に散らばる環に、ラスが一瞬目を奪われる。

その隙に、クザンの炎がラスの腹を抉る――……はずだった。


炎は、ラスの腹でバチバチと派手な音を立てて闇と相殺した。

クザンが後方に飛び退く。

(……サクッと倒して帰るっつーのはちょい厳しいか……。リル、久居、気合入れてけよ)

クザンは片腕を上げ、天井を貫く炎を打ち上げた。


----------


ドン!

という音と共に、建物の一部が崩壊する。


「合図だ」とリルが呟く。

「行きましょう」と久居が一歩を踏み出した。


「クザン様は、環のある場所で戦闘になったようですね」

見取り図を見ながら久居が言う。

「久居も、もう地図覚えた?」

「大体は」と久居は短く答える。

リルの耳が、上方から来る人物を捕捉する。


「じゃあ、ボク持っててもいい?」

「…………どうぞ」

別行動を取る気があるらしいリルに、久居はほんの一瞬躊躇ってから、それを手渡した。


敵は最大三人、こちらも三人。

リルの言いたい事は分かる。

しかし、久居はリルと離れるつもりが無かったし、リルもそうだと思っていた。


「来るよっ!」

鋭いリルの声。

まだ、久居は迷っていたが、敵は待ってくれなかった。


ゴウッと音を立て、二人の間を風が走り抜ける。

身構える二人の前に、黒い翼の少女が舞い降りた。


「貴女は……」

レイの妹。

それが分かっていると、なかなか手を出し辛いものがある。


(……こないだの、人……)

久居には窺い知れなかったが、サラも、久居の姿に小さく息を呑んだ。


下手に傷つける訳にはいかない。とお互いが思う。


じっと見つめ合ったまま動かない二人に、リルが声をかける。

「じゃあボク、先に行くね」

「えっ、リル!? 待ってくださ――」

慌てる久居に構わず駆け出していくリルに、サラが風を放つ。

「行かせない!」

(リルっ!)

久居が慌てて腕を伸ばす。

風は、久居の出した障壁に防がれた。


先日海上で喰らった風は強烈だったが、詠唱や陣を省いた簡易的なものなら、久居の障壁でも十分対処できるようだ。


風にリルが気付かないはずはなかったが、彼は振り返らずに行ってしまった。


「「……っ」」


二人は、お互いの動きを牽制しつつも、内心焦りながら、その少年の背を見送るしかなかった。


----------


出撃命令を携えたサンドランの来訪に、キルトールは内心焦っていた。

先日、ラスに殺された天使達は、天界ではそこそこ腕の立つ者達だった。

それの補充だと言われれば、分からなくもない気はするが、それにしても、現在キルトールの預かりとなっているレイザーラをわざわざ呼び出すというのは……。

キルトールの胸に嫌な予感が過ぎる。

このまま、レイザーラは、無かった事にされてしまうのではないか。と。

レイザーラは、戦闘の才こそあれ、天界にとって『無くてはならない』というほどのポジションにはない。

カロッサの天啓によって許されていた義弟の自由行動は、彼女の死によって無効になるような物では無いはずだが、その存在自体を知る者は少ない。

この命を出した者を、早急に確認しなくては……。


玄関に立つレイは、疲労の色を濃く残していた。

ふらつく義弟に、キルトールは気遣わしげに言う。

「レイザーラ、出撃できるのか……? 無理はしなくていいんだぞ。体調が優れないようなら……」

レイは、キルトールの言葉が、自分を引き止めようとしているのを感じつつも、「平気だよ」とだけ答えた。

今はまだ。整理のできない心と頭のままで、義兄と話をしたくはなかった。


こわばるレイの頭へ、キルトールがそろりと手を伸ばす。

レイは、思わずその手を払ってしまった。

「今、何を……」

自分が義兄に向けた言葉には、少なからず敵意が込められていた。

……その事実に、レイ自身の胸が痛む。

見上げたキルトールは、驚きに見開いた青い瞳に、酷く傷付いた色を映していた。

……俺は今、どんな顔で義兄を見ているのだろうか。

それは、レイ自身にも掴めなかった。

「い、いや……、戦地に赴くお前に光の加護を……」

言い逃れようとする義兄から、レイは目を逸らした。

「っ……これ以上、幻滅させないでくれ……」

震えるレイの声に、キルトールの肩が大きく揺れる。

「レ……レイザーラ……まさか、お前……」


レイは警戒を残しつつも、義兄に背を向けたまま、言葉を残す。

「四環は取り戻す。義兄さんには、義兄さんなりの考えがあっての事と、俺は……信じて……いたい……」

そのまま、レイは振り返る事なく、立ち尽くす義兄を置いて家を出た。


門を出たところで、サンドランが小声で声をかけてくる。

「本当に大丈夫か? お前顔色悪いぞ?」

「ああ……、まあ。な……」

力なく答えるレイに、サンドランはカロッサの最後を思う。

(レイはカロッサさんに惚れてたからな……凹んで当然だよな……)

それにしても、レイの憔悴ぶりは酷いと思う。

身支度は整えられていたが、それでも泣き腫らしたような目は隠しきれていなかった。

しばらく言葉を選んでから、サンドランはその口を開く。

「……お前のせいじゃないからな?」

「ああ……」

泣き言を言うつもりが全く無さそうなレイの様子に、サンドランは内心ため息をつく。

そりゃ、今から出ようかって時にぶちぶち言われんのも困るが。俺にくらい、もうちょっと、弱音を吐いたって罰は当たらないだろうに。

サンドランは小さく首を振ると、レイに合わせた話題に切り替える。

「……お偉いさん達は、闇の奴同士の相討ちを狙ってたぜ」

「そうか」

俯いていたレイが、ふとサンドランを見た。

「お前も行くのか?」

「俺も行くのは行くが、外待機だとさ」

「外、待機……」

「おかしいよな? 闇の奴らの拠点なら、全員で攻め込むべきじゃないか?」

「…………いや、怪我人を増やしたくないんだろう」

訝しがるサンドランにそう答えつつも、レイは上役が妹の姿を他の天使達に知られたくないのだろう事を察する。

(だとすれば、わざわざ俺が呼ばれたのは……)

レイの予想は、レイの思う中で最悪の事態に近かった。

どうか、外れてくれと心の隅で願う自分がいる。


「外待機は何人いるんだ?」

「俺を入れて五人だ。結構強いやつ集めてるみたいだぞ」

「そうか……」

そんな中で、もし……。

もし俺だけが潜入を指示された場合には……。


レイは隣を歩く、いつも明るい親友を見る。

明るい緑の髪に、悪戯っぽいツリ目に、小さなオレンジの瞳。

ツリ目なのに、なぜか眉は優しそうに下がっている。

学生の頃から軽々しく絡んでくる奴だったが、こいつのおかげであの頃は、毎日があっという間だった気がする。


「ん? どうかしたか?」

視線に気付いてか、サンドランが尋ねる。

「いや……」

とかぶりを振ったレイが、ピタと足を止める。

「いや、もしも……。もしも、の話だが」

「うん?」

サンドランも、つられて足を止めた。

「もし、俺の討伐命令が出たら……。その時は、お前が真っ先に撃ってくれないか」

「……はぁ!? なん――」

「いやいや! もしも! もしもの話だ!!」

レイが慌ててぶんぶんと手を振る。

サンドランは、緑のふさふさとした髪を揺らすと、大きくため息を吐いて言った。

「お前……、これから戦地に向かうって時に、あんま妙な事言うなよ……」

サンドランは顔を引きつらせている。

レイは、そんな親友をもう一度眺めて、苦笑した。

「いや、すまない。気にしないでくれ」


覚悟はもう、出来ている。

妹に、なんて言われようと。

俺に出来る事は、そう多くはなかった。

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