49話 親子(前編)

「お前が俺に会いに来るなんて、珍しいな」


獄界の中心で遥かにそびえる巨城。

その心臓部にほど近い棟に、王への謁見の間はあった。


やたらと立派な装飾の施された、巨大な玉座。

男はそこに座して……というより、気怠げに胡座をかいていた。


「なあ。玖斬」

男は謁見に訪れた者の名を呼び、それはそれは楽しそうに口端を上げた。


呼ばれて、クザンはバリバリと頭を掻く。

ついさっき、ヒバナに丁寧に撫で付けられた髪は、途端にボサボサに戻った。

「俺は会いたかねぇんだけどな。直接聞くのが早ぇし、しょーがなく、な」

視線を合わせない息子を、男はさも愉快そうに眺める。

「そう無下にすんなよ、俺は会いたかったぜ?」

「またそういう事を……」

渋々と、どこか照れ臭そうに、ぎこちなく視線を合わせてくるクザンを見て、男は心底楽しそうに笑った。

「お前も、もう分かるだろ? 親心ってやつが」

言われて、クザンは一つ舌打ちをすると、本題に入った。

『この世界が近々崩壊する可能性がある』

その報告が、天界から入っているのかどうか。という話だ。


「……そんなのは、聞いてねぇな……」

男の纏う空気が、ずしりと圧を増す。


獄界へは『環を狙っている奴がいたが、取り戻した』という報告だけがきていた。

「あいつら、都合の悪りぃ事はてめぇらだけで片付けようとすんだよなぁ……。こっちに迷惑がかからねぇなら、それでもいいんだが。上手くいってねぇっつーのは、まずいな……」

頬杖をついて、男はぼやく。


「ま、せいぜい悩んでくれ。じゃあな」

クザンが、用は済んだとばかりに背を向けるのを、男が止めた。

「待て」

「あ?」

クザンは肩越しに顔だけで振り返る。

「お前の仕事はしばらく預かっといてやる。お前が行って来い」

さらりと言われて、クザンはじとっとした眼差しを、階段の上、玉座からこちらを見下ろす男に投げる。

男は変わらぬ余裕の表情で、クザンを見下ろすだけだった。

「……わかった」

それだけ答えると、クザンはもう一度背を向け、出口へと歩き出す。

(ま、こうなる予感はしてたけどな……)


クザンの背を惜しむように見送っていた男が、視線をクザンの足元で平伏していた白い服の男に合わせる。

「火端」

呼ばれて、白い服の男が短く返事をした。

「玖斬を頼む」

ヒバナは深く頭を下げ、もう一度短く答える。


クザンはだだっ広い謁見の間をズカズカ歩いて、もうあと数歩で部屋から出ようというところだ。

その後ろ姿に、男が言葉を投げた。

「玖斬。ヨロリの事、助かった」


男とヨロリは旧知の仲だった。

どれほどの親交があったのか、クザンは詳しく知らなかったが、じーさんの思い出話に、時々親父の名が出る事があった。

大事に思っていることは、顔を見れば分かった。

カロッサが死ねば、じーさんは凍結から戻る。

あの地下室で一人朽ち始めた身体を、弔ったのはクザンだった。


クザンは、振り返らずに手だけを上げて答える。

親父の情けない顔は、まだ見たくなかった。


----------


レイは、意識を失っていた。

もう何度目になるか分からない。


何度試しても、妹の名は取り戻せなかった。


ふわふわとした意識は、どうやら夢を見ているようだ。

街並みを一望できる小高い丘の上。

レイは、この場所が好きだった。

嬉しいことがあった時も、悲しいことがあった時も、ここが一番、天に召された両親に近いような気がしていた。


ふと足元を見れば、金色の髪をした幼い少年が蹲って泣いていた。

ああ、これは俺だ。とレイは思い出す。

背の高い細長い草が一面を埋め尽くしていて、蹲み込んだ少年は完全に草の中に埋もれていた。


丘の向こうから、レイを探しに義兄がやってくる。

「レイザーラ! どこだ、返事をしろ!」

義兄はまだ五十歳ほどだろうか。人だと二十五程の若々しい姿だった。


人だと十歳そこらの見た目をした俺が、ぴょこんと顔を上げた。

「キルトールさん……探しに来てくれたの……?」

「ああ……、そんなところにいたのか」

ホッとした様子で、義兄が駆け寄る。

幼いレイは慌てて服の袖で涙を拭った。

「あまり心配させないでくれ。街中探し回ったんだぞ」

そう告げるキルトールだが、その姿にあちこちを探し回ったような疲労はうかがえなかった。

その事に、記憶の中の幼いレイは気付かなかったが、それを見ていた今のレイには分かった。

彼は、もうこの時既に、自分の位置をマークしていたのだと。

「……ごめんなさい」

キルトールは屈んでレイに視線を合わせる。

「学校で、何かあったのか……?」

キルトールは、教師から事情を聞いてはいたのだろうが、レイに問いかけた。

「……」

レイは黙ったまま俯いていた。

両親を亡くしたレイは、義兄の父に拾われた。

そのため、レイは先週そちらの家に引っ越し、転校した。

両親の事を酷く言われる事は無くなったが、それでもレイが拾われ子だというのは、すぐ周知の事実となった。

「はあ……。まあ、どこにでも心ないことを言う奴はいるものだ。お前は何も悪くない。堂々としていればいいんだ」

幼いレイは、励まされた事が嬉しくて、涙を溜めたままの顔で「はい」と笑った。

「あと、敬語は使わなくていい。歳は離れているが、私達は兄弟だ」

「は……う、うん。キルトール……義兄(にい)さん」

レイが恥ずかしそうに言うと、キルトールも、また少し照れくさそうに微笑んだ。

「義兄さんか。……なかなかいいな」

嬉しそうなキルトールに、レイもなんだかとても嬉しくなった。

キルトールにくしゃくしゃと頭を撫でられると、残っていた涙が一粒転がり落ちた。


キルトールはその一粒が草の葉を伝い、地に染み入るのを黙って見つめていたが、少し何か考え込んでから、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

「よし、じゃあ特別に。義弟(おとうと)のお前だけに、私のとっておきを見せてやろう」

「とっておき……?」

「ああ、私の切り札だぞ?」

幼いレイは、よく分からないながらも、キルトールの好意に喜びを表した。

「うん! ありがとう、義兄さん!」

義兄は辺りに人がいない事を確認すると、意識を集中させる。

次の瞬間、レイの目の前、空中に大人の手のひらほどの、赤い実が現れた。


落ちると思ったレイが、慌てて小さな両手を広げる。

しかし、その赤い実は浮いたままだった。

「わぁぁ……」

その不思議な光景を、キラキラとした目で見上げるレイ。

「ふふっ」

キルトールがレイの様子に満足そうな声で答える。

「これは、物質を転移させる術だ。この広い天界でも、使える者はほとんどいない」

「すごい! 義兄さんすごいね!!」

「そうだろう?」

キルトールは、自慢げに、今度は赤い実を自在に動かして見せた。

「自由に動かせるの?」

「もちろん」

「すごいなぁ……」

うっとりと、キルトールを見上げる称賛の眼差しに、キルトールも目を細める。

「レイザーラは、素直で可愛いな」

キルトールは、義弟の金色に輝くふんわりした髪を指ですくうと、さらりと流す。

「か、可愛いって言われても……」

レイが困ったように眉をしかめるので、キルトールは苦笑する。

「ご不満のようだね?」

「かっこいい方が、嬉しい……」

キルトールからみれば、レイはまだまだ可愛らしい姿だったが、ここは義弟を尊重する事にする。

「それは失礼。以後気をつけよう」

「うんっ」

微笑む義弟を、やはり可愛いと思うキルトールが、不意に真剣な顔をした。

「この術の事は、人に話してはいけないよ? 私の切り札だからね」

「わかった!」

レイの無邪気な笑顔に、キルトールもまた微笑んだ。

『後で記憶を封じておこう』と思いながら。



ふわりと風が吹いて、足元の二人の姿が霞んで消える。

丘も街並みも、全てが消えて、レイはゆっくりと目を開いた。


冷たい床の感触。

レイは何度目かの気絶から、意識を取り戻した。


コンコン、と扉からノックの音がして、ガチャリとその戸が開けられた。


「レイザーラ……」

キルトールは、床に伏すレイの憔悴しきった様子に、憐憫の目を向けた。

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