48話 レイの記憶(4/4)

しばらくラスの去った方向を見つめていたリルが、彼が完全に消えたのを確認して息をつく。

「ほわー……。戦闘にならなくてよかったー」

「先ほどの鬼は……?」

「地下に潜ったみたい」

「そうですか」


ゴホゴホと、久居が治していた男が意識を取り戻し、咳き込んだ。

「お……お前、達は……一体……」

久居は、死にかけの一人をある程度回復させた後、怪我した二人を並べて交互に治癒をかけていた。

もう一人はまだ目を閉じている。

「まだ、今は話さないほうが良いですよ」

久居が静かに答える。


体格の良い精悍な顔つきをした男は、辺りに転がる三つの消し炭を見る。

「あ……ああ……」

すう。と男が息を吸う気配に、久居は治癒を中断しリルの耳を塞ごうとするが、リルは既に自分の手で耳を覆っていた。


男は叫び、咳き込み、苦しげに血を吐いた。


「もう少し治しますので、動かないでください」

久居は告げて、男の側に膝を付くと治癒を始める。


「ぅ……くっ……」

男の叫びに、もう一人の若そうな男も目を覚ました。

同じように「お前達は」と尋ねられ、久居は二人へ丁寧に名乗った。


リルと久居は二人を死なない程度に治すと、すぐに立ち去った。

まだどちらも自力で飛べそうにはなかったが、マーキングがあるので、救援信号を出せばちゃんと迎えが来るらしい。



今夜野宿をする場所を決め、結界を四方に張り終えた久居は、息を吐くと木にもたれて腰を下ろした。


「……久居、ありがとう。ごめんね……疲れちゃった、よね」

隣にちょこんと座ったリルが、久居を見上げ、気遣う。

久居は少しだけくすぐったく感じながらも、柔らかく微笑み返した。

「少しだけ、疲れましたね」

(久居の『少し』は『かなり』だよね……)

思いつつ、リルは立ち上がると、木の幹に背を預けて、ゆっくり瞬きをする久居に言った。

「じゃあ、夕ご飯はもういいから、久居は休んでてね」

「お言葉に、甘えて……」

言葉が終わるか終わらないかのうちに、久居が目を閉じたのを見て、リルが反省する。

(また、ボクの我儘で、久居に無理させちゃった……)

久居は血を分けたりまではしてないって、少し休めば大丈夫だって言っていたけど……。


ボクは、自分の両手を見る。

昨日のように、うまく、出来るだろうか。

思い出すのは、昨日、溶かしてしまった変態の腕。


目の前には、無防備に眠る久居。

指導してくれる人は今いない。


……もう一度変態さんを呼ぶ?

ううん。あの人が優しくしてくれたのは、きっとたまたまだ。

あの人は、久居が嫌いだから。

なるべく呼ばない方がいいよね……。


もう一度久居を見る。

久居は青い顔をして、浅く息をしていた。


「キュイ」

ミニサイズの空竜がリルのそばまで飛んできて、その頬をぺろりと舐める。

「くーちゃん……」

空竜は、リルに力強く言った

「キュイッ!」

「え……。そんな……」

リルの瞳が動揺に揺れる。

「キュィィ」

「でもボク……自信ないよ……」

俯きかけるリルの髪を、空竜は咥えてぐいと引っ張る。

「キュッ!!」

「イタッ、イタタタ! ううう、くーちゃん痛いよぅ……」

無理矢理顔を上げさせられて、リルが半ベソになる。

「キュイイイ」

「確かに、久居なら自分の怪我も治せるけど……」

「キュッ!!」

「うわあん、分かった、分かったよぅぅ」

リルは、凄む空竜に背を向けて、渋々久居に手を伸ばした。


どうか、うまくいきますように……。

リルは祈る。

コモノサマ、久居を守ってください……。


リルは、久居に関する事なら、彼が一番頼りになると思っていた。

たとえ離れていても、凍結中でも、コモノサマが久居の心を支えるところを、リルは何度も目にしていた。


リルは、コモノサマの温かい笑顔を思い浮かべながら、両手を久居にかざす。

空竜の言うように、溶けても久居が治せるような、手の端の端を狙って。

以前コモノサマに言われた言葉がふと耳に蘇る。

『リル君、炎をもらっていいかい?』

ああ、これは久居が初めて闇を出しちゃった時の、コモノサマの言葉だ。

僕の炎を信じて、怖がらずに受け取ってくれた。

『リル君、炎をありがとう。長い事大変だったろう』

これは、久居を助けた後の、コモノサマの言葉だ。

あの時だって、ちゃんとできた。

その後の、久居の暴走の時だって、ボクはちゃんとできた。


うん。きっと、今日だって、ちゃんとできるよね!


リルは一つ深呼吸をしてから、久居へゆっくり炎を注いだ。

ふわりと広がった炎が、細く撚り集まるようにして久居の指先へ流れる。

久居の顔色が少し戻った気がして、リルは炎を引っ込めた。

そこまで。と言ってくれる人がいないから。

多く入れ過ぎると大変だと、教わったから。


久居の息が少し楽になったようで、リルはホッとする。

とにかく、久居が目を覚ますまでは、ボクが久居を守らなきゃ。

気合を入れてから、リルはそっと空を見上げる。

あの天使達を助けて、空に返してしまったから。

レイのお兄さんにも、ボク達の居場所、ばれちゃったかなぁ……。


「キュイ」

声をかけられて、リルは振り返る。

「くーちゃんありがと」

ニコッと笑って、リルは空竜を抱きしめる。

気が緩んでか、ぐうううううう……。と盛大にお腹が鳴ってしまい、リルは少し恥ずかしそうに俯いた。


「お腹空いちゃったねぇ」


リルは、机がわりになりそうな岩を見つけると、半分ほど地中に埋まっていたそれを引っ張り出す。

机の上が乾いたら、まだずっしりと重い荷物の中から、食べられそうなものを並べ始めた。

ヒバナのくれた食料の中には見たこともない物も多く、どんな味がするのか、生で食べても良いものなのかの判断がつかないものも多い。

「これは、このまま食べられるのかなぁ……?」

リルの呟きに、横から空竜が答えた。

「キュイッ」

「えっ、そうなの? くーちゃん知ってるの?」

「キュイ」

「わー、良かったぁ、じゃあこれは?」

「キュイイ」

「へー、甘いんだ? あんまりそんな匂いしないのにね」

リルは、空竜の助けを得て、食事の支度を進める。

「じゃあこれは?」

と、リルが手に取った何かは、天使の羽のように真っ白だった。

リルの胸に、さっきの天使達の言葉が蘇る。


リルが、どうして戦っていたのかと尋ねたら『あの鬼を見かけたからだ』と天使達は答えた。

『あの鬼は、闇の力を持っているから、殺さないと世界が危ないんだ』と、親切そうに、ボクに説明してくれた。


あの鬼は、他にも天使を殺してるらしかったけど、殺されたのは、あの天使達の知り合いではないみたいだった。


全然知らないような人同士で。

何の恨みもないのに。


それでも、殺しちゃうんだ……。


あの鬼も、天使達も、お互いがお互いを殺そうとしてる。


「どうしてかなぁ……」

リルが見上げた空は、青から薄い紫色に変わろうとしていた。


----------


「父さん……」


深い森の奥、朽ちかけた城の一室で、背後からかけられた声に、男が振り返る。

「どうしました? サラ」

小さく微笑む男に、サラは思い切って尋ねた。

「父さんには…………他に……子どもは、居ないの?」

問われて、男はゆっくり目を伏せた。

「……昔は、一緒に暮らしていました……」

その声が酷く悲しげで、サラは躊躇いつつその先を尋ねた。

「今は……?」

サラの静かな問いに、返ってきたのはもっと小さな声だった。

「……っ、わかり、ません……」

男の様子に、これ以上は聞かない方が良いかも知れない。とサラが思う。

サラは男に寄り添うと、そっとその背を撫でた。

男の細い肩が、小さく震えている。

(ごめんなさい父さん。答えたくない、事だった……?)

サラが、慰めるように男の背を何度も撫でていると、彼は小さく小さく囁いた。

「……遠い国で、きっと……。生きていて、……ほしいと……願っています」

サラは、心がじわりと澱むのを感じる。

男は、ここではない、どこか遠くを見ている。

「あの子達だけは……どうか……幸せに……」

男の震える声が、切に願う。

それを聞いて、サラは後悔した。

(……父さんは、私より、その子達が大事なんだね……)

サラの心に暗いものが広がる。

「……男の子? 女の子?」

サラは、自分の声が酷く冷え切っていた事に気付いたが、彼は気付かなかったようで、静かに呼吸を整えて問いに答えた。

「男の子が二人。もう……二十三歳と、二十歳でしょうか……」

遥か遠い目をする男。

それを横目に、サラは、少し前に海に落とした男の姿を思い浮かべた。

父さんによく似た雰囲気で、同じ色の髪で、よく似た匂いがした。

歳も、その程度の歳だったと思う。

そういえば、服装も、この辺りのものではなさそうだった。

(もしかしたら、あの男が父さんの……?)

海に落としてしまったけれど。

とどめは刺していないから、運が良ければ生きているかも……?


……かなり、沖の方だったけど。


サラは、こっそり額に浮かんだ冷や汗を拭った。

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