40話 生きる理由(1/6)


「はめられた……」


背負子にあふれんばかりの農作物を詰め込まれ、後ろを重い足取りでついてくる女装レイの呟きに「人聞きが悪いですよ」と久居が返している。

「何で、こんなに、沢山……」

ぜぇぜぇと肩で息をしながら呟くレイをチラと見て、久居は「実りの秋ですから」と季節のせいにした。


菰野は、何度目になるかわからない、そんな二人のやり取りを苦笑しながら聞いている。


三人は、今日朝早くから菰野の剣術の師匠のところへ挨拶に行き、引越しの段取りをつけてきた。


師匠は、菰野の元気な姿にそれはもう喜んで、いつでも引越して来れるように、空家の掃除もしておくからとの歓迎ぶりだった。

師匠にとって、生まれてすぐから近くにいた菰野は、可愛い孫のようなものなのだろう。

菰野が思ったより成長していない事に少し首を傾げてはいたけれど、元々童顔で小柄だったおかげか、不審に思うほどではなかったようだ。

ただ、帰りには、沢山食べて大きくなれとばかりに、村の畑で取れた野菜などを、それこそ山盛り持たされた。


どうやら久居は、そこまで読んでいたらしい。


「往復で、三十キロくらい歩くんじゃないか?」

「せいぜい二十五キロほどですよ。そもそも、レイが一緒でなければ、今日は師範の道場に泊めていただく予定でしたので」

久居に言われて、レイはしょんぼりする。

「う…………すまない……」

「構いませんよ、代わりに荷物を持っていただいていますからね」

その言葉にレイが背筋を伸ばし、もう後一息頑張ろう、とばかりに気合を入れ直すのが見えて、思わず久居は苦笑した。

(まったく、扱いやすい方ですね……)

その心の声は、好意的な意味ではあったが、久居の本音だった。

リルも扱いにくくはないが、久居には制御できない部分も多々ある。

その点、レイは実に素直で真面目で扱いやすい。能力もそこそこある。そこまで考えてから、ふと、これでは彼の義兄と同じではないのかと気付く。

キルトールはレイを術で縛っているが、久居はそういったことはしていない。だが、言ってみれば違いはそれだけなのかも知れない。

自分達はレイに好意的である。とも思ったが、レイから見る限り、キルトールもレイのことはそれなりに可愛がっているのだろう。


気付いてしまった事実に衝撃を受ける久居。

その脳裏に、以前クザンが自分達に言った『レイを可愛がってやれ』という言葉が蘇る。


おそらくクザンの目には、あの頃からカロッサや久居がレイをいいように利用しているように見えていたのだろう。

そしてそれは確かに、その通りだったのだ。

言われた時には、自分がレイを可愛がる必要が果たしてあるのかと疑問に思った久居だが、ここへきてようやく、その言葉の意味を理解する。

(……分かりましたクザン様。これからはせめて、レイを大切に致します……)

久居がそっと決意を固めている間に、一行は山の麓にたどり着いた。


「ようやくここまで戻ってきたな」

菰野が眩しそうに目を細めて山を見上げる。

「ええ、もうあと四半刻もかかりませんね」

久居が菰野の体を労わるように、足取りをよく観察しながら声をかける。

足を痛めたりしていないかを気にしているらしい事に気付いて、菰野が元気だと言わんばかりに笑ってみせる。


「しはんとき……?」

レイの呟きに、久居が「三十分もかからないという意味です」と答える。

「まだ、そんなに、あるのか……」

力ないレイの嘆きが足元に落とされ、久居がくるりと振り返った。

「半分持ちます」

「!?」

レイが、思わぬ台詞に足を止める。

「いや、いやいや、どうした急に!」

「レイが重そうでしたので」

「今更!?」

「……いけませんか?」

久居がどことなくしゅんとしたように見えて、レイが慌てて荷物を分ける。

「い、いや! ありがたい、頼む!」


「僕も持とうか?」

少し先で振り返った菰野の言葉は、久居によって却下される。

「まだお体も本調子ではありませんので、菰野様はご無理をなさらないでください」

菰野は小さく肩をすくめると、苦笑を浮かべつつ、多すぎるとか少なすぎるとか揉めながら芋を背負子から出したり戻したりする二人を見守っていた。


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リル達のいる場所から、海を越え、遠く離れた森の奥。

丸一日かかっても、人里にたどり着く事すらできそうにない、そんな森の奥に、朽ちかけた城のようなものが残っている。

朽ちかけた城の、石造りのひんやりとした室内。

長い黒髪を後ろで一つに括った男は、今日も鉄枠に飾られた嵌め殺し窓の窓辺に腰掛けて、静かに少女の話を聞いていた。

「そうですか……」

黒翼を背負う少女の報告は、小鬼が見つけた天使を追った先で、天使達が人間を指導しているのを確認したという内容だった。

「おそらく、その方が次の四環の守護者とされるのでしょうね……」

小さく頷く男の表情は、鼻の下まで届きそうなほどに伸ばされた前髪で隠れていて窺えない。

少女はほんの少しだけ迷ってから、次の言葉を告げた。

「あの銀色の髪した男も、居たって」

「……」

男は何も言わなかったが、ほんの少し動揺したのか、彼を包む空気が震えた事に、少女は気付いた。


八年前、少女を殺そうとしたあの銀髪の天使から、少女を守ってくれたのは、目の前に座る、少女が父と慕う男だった。

彼は、圧倒的な力を持ちながらも、あの銀髪の天使を殺そうとはしなかった。

父さんは、優しい人だから、天使といえども殺したくはなかったのだろう。と。

サラは、はじめそう思っていた。

けれど、どうも、あれから八年を共に過ごし、彼の提案に乗って、表に出たがらない彼へ色々と報告をするうち分かってきた事がある。

……父さんは、あの銀髪の天使にだけ特別な反応をする。

なんとなくもやもやした気持ちを、どうしたら良いのかわからないままに、サラは言葉を続ける。


「今は、あの鬼が、その人間を見張ってる」

「そうですか。……彼はいつも働き詰めですね……」

男は、よく見たこともない鬼の体調を心配しているようだ。

サラは、父さんらしいな、とじんわり心が温まるのを感じる。

「……私も、行っていい?」

問われて、男が初めて俯きがちだった顔を上げて、サラを見た。

サラを心配そうに見つめる男の黒い瞳。その奥がほんの少しだけ赤色がかっている。

男はどこか悲しそうに小さく微笑むと、優しい声で答えた。

「……無理しないでくださいね」

「うん」

答えてから、今度はサラが心配そうに尋ねた。

「父さんは、寂しく無い?」

「私は大丈夫ですよ。ずっと、一人でしたから」

励ますように微笑む彼は、実年齢より一回り以上若く見える。

けれど、彼はもう五十歳を超えている。本当に彼は、今までずっと一人だったんだろうか。とサラはほんの少しだけ疑わしく思う。

そして『私は本当に、父さんに会うまで一人きりだったけれど』と心の中でそっと呟いた。


父さんの側を離れるのは嫌だっだけれど。

天使の姿を見るのも、本当は怖かったけれど。

あの鬼だけに任せていては、いつまで経っても上手くいかない。


「今度こそ、私が父さんに環を届けてあげるからね」

サラの言葉に、男は申し訳なさそうに微笑んだ。

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