40話 生きる理由(2/6)

その日、カロッサは何故か桶を抱えてやってきた。

「今日こそ見るわ、久居君の過去!」

急な申し出に、久居がほんの少し面食らう。


記憶が部分的に抜け落ちている久居の過去を見る事については、確かに以前カロッサが提案を受けていた。

だが、その後すぐレイが倒れて、翌日にはレイは久居の血について誰にも話さないと言ったため、そのままになっていた。


「急に、……何かあったのですか?」

レイの質問は、至極もっともだと久居も思った。

「んー。大変そうで、ついつい後回しにしちゃってたんだけどね、そろそろ見ておかないと、久居君達引越しちゃうでしょ?」

「ですが、カロッサ様のご負担に……」

久居の言葉をカロッサは仕草で制する。

「これは多分、私がやるべき仕事だから」

カロッサはキッパリ言い切った。

「……」

久居が返事に困っていると、珍しく菰野が口を挟んだ。

「久居、どういう事だ?」

久居が菰野に事情を説明する隙に、リルがカロッサの持つ桶を覗きに来る。

「何が入ってるのー?」

「何にも入ってないわよ」

と笑ってから、カロッサがちょっと苦い顔になる。

「これはね、私が吐いちゃう時用」

「ええ? カロッサ具合悪いの? お腹痛い?」

リルがあわあわとカロッサの顔を覗き込むが、カロッサは元気そうな顔をしている。

レイも慌てて寄ってきたので、カロッサは一つ苦笑して続けた。

「一応朝ごはんは抜いてきたんだけどね。久居君の過去がどんなものか分からないから、念のためよ」

「ふーん?」

と、よく分からなそうな顔をしているリルとは対照的に、レイは苦しげに眉を寄せた。

「ねーねー、ボクの過去も見れるの?」

「見れるわよ」

「見て見てーっ」

「えー? でもリル君、見る必要ないでしょ? 何か思い出せない事とかあるの?」

言われて、リルが首を傾げる。

「ちっちゃい頃のことは、全然覚えてないよー」

「それは普通だからね?」

リルがキョトンとした顔で「そうなの?」と聞き返している。


「思い出せない事……」

小さく唱えて、レイが空を仰ぐ。

(何か、とても大切な事を忘れているような感覚は、いつも漠然とあった。それはずっと……、ただの気のせいなのだと思っていたが……)

そこまで考えて、レイは頭痛に刺され、ギュッと片目を瞑った。


「カロッサさん、お願いがあります」

ふわりと優しい声に、どこか力が込められていて、皆が菰野を振り返る。

「久居に過去の出来事を伝える場合には、失礼ながら、先に私に話していただけませんか?」

菰野は落ち着いた声色で真摯に、けれど懇願するような瞳でカロッサを見ている。


カロッサが思わぬ発言に目を丸くしてから、

「久居君がいいなら、私はそれでいいわよ?」

と久居を見る。


久居は、菰野を心配そうに見つめてはいたものの「菰野様の仰せのままに」と、黙って従う事にしたようだ。


「そんなに二人揃って心配しなくても、私だって見たものを全部伝えるつもりじゃ無いわよ? 世の中、忘れていた方が良い事もあるもの」

そう言って、カロッサは笑ってみせる。


何となく、その横顔に陰りを感じて、きっとカロッサにも忘れていたい事があるのだろうなと、リルを除く数人が思った。


「さーて、そうと決まればササっとやっちゃいましょ。久居君、小屋使わせてもらってもいいかしら?」

「はい」

「ああでも窓も無いし、臭いが篭るかしら……」

「吐く前提ですか」

「だって、久居君が耐えられない内容よ!? 私じゃ絶対無理だわ……」

「……」

げんなりと暗い顔をするカロッサを、複雑な顔で見ていた久居が「少々お待ちください」と断ると、調理場から盆に白湯やらお茶やらを色々乗せて戻ってくる。

口を濯ぐための物や、精神安定作用のあるお茶のようだ。


その間に、カロッサへ術の同席を希望したらしい菰野が

「いいんだけど……あんまり良いものは見せられないわよ」と嫌そうな顔のカロッサに渋々許可を貰い、心からの感謝を伝えていた。


こうして、三人は小屋に篭った。

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