第10話 魔女

 ――嗚呼、またこの夢。

 あのいとしい悪魔と出逢う前の、これは夢。


「見ろよ、魔女だ……」

「目を合わせたら呪われる……」

「恐ろしい……まるで人間とは思えないわ……」


 銀の髪も、紫の瞳も。人間には『異質』で。

 私はそんな『異質な人間』だった。

 親はそんな私を忌み嫌い、私が幼い頃に領主様の家に連れて行かれて、そのまま親は私を置いて姿を消した。有り体に言えば、私を捨てたのだ。

 領主様は村では忌み嫌われていた私に対して何故か優しくしてくれていたけれども、その目的が分かった時、私は絶望と言うものを知った気がした。


「ジゼ、お前にお客様だよ」


 そう言って連れて来たのは、神に仕える方々だと言う。

 彼らは私を見てニヤリと笑うと強引に腕を引かれた。


「っ、」


 痛みに声を微かに上げると、一瞬張り詰めたような空気を感じた。

 どうしたのかしら? と思えば、彼らはきょろりと辺りを見回して、何も起きていないな、とコソコソと話していた。

 私は耳が良いから、聞こえてしまったけれども。


「ジゼ・ガゼットだな?」

「はい」

「貴女に『魔女』の嫌疑がかけられています。我々と共に『大人しく』着いて来てくださいますね?」

「……はい」


 これで断ればどうなるかくらい分かっていた。

 魔女として私は問答無用で殺されるだろう。

 けれどこの時、私は死ぬべきだったのかも知れない。

 そうでなければ、あんな辱めを受けることも、誰かを呪うこともなかったのに。

 ――嗚呼、でも。


「ジゼ」


 優しく私の名前を呼んでくれたのは、私の人間としての人生でも、魔女としての生でも、あの悪魔だけ。

 シーギルハイトだけが、私を守ってくれた。愛してくれた。

 それだけで私は生きていて良かったと思った。

 幾数もの矢に身体を貫かれても、幾度も轡を噛まされて犯されても。

 シーギルハイトの存在が、きっと私の支えになっていた。


 『僕はきみのことを助けないよ』


 そう何度も言われた。きっと彼は気付いていなかっただろうけれど、はじめて触れられた時、シーギルハイトが私に触れた手はとても優しかった。

 人間とは違う死人のように酷く冷たい手だったけれども、優しかった。私に告げる言葉は冷たかったけれども、暴力を奮うことは一度としてなかった。私を『個人』として見てくれていた。

 私の勝手な、都合の良い解釈で良いけれど。

 きっと私とシーギルハイトは出逢う運命だったのだと、そう思う。

 そうでなければ、地獄から助けてくれた悪魔を、勝手に結婚式を挙げた悪魔を。

 そうして、いつの間にか好きになっていた悪魔に対して身体を開くだなんてことはなかったと思う。子供を産むだなんて考えもしなかったと思う。

 こんな穢れた身体で良いのなら、とシーギルハイトに一度だけ言ったなら、「怒るよ」と少しだけ眉間に皺を寄せて言われてしまったけれども。


「僕はジゼだから抱きたいし、ジゼが嫌なら触れたりはしないよ。ああ、でも、キスくらいは許して欲しいけどね?」


 なんて、言われてしまったら私にはどうすることも出来なくて。

 嫌悪感なんてなかった。シーギルハイトに触れられるすべてが愛おしかった。

 そうして出来たふたりの愛し子。私とシーギルハイトの宝物と四人で暮らした幸せな生活。

 それはある日突然、壊されてしまったけれども。


(ねえ、シーギルハイト? 何故、こんなことになってしまったのかしら)


 本当は知っている。私が魔族から『狂い神』と呼ばれているヒトから命を狙われていると。

 シーギルハイトが渋りながら教えてくれた。私は創世の女性『イヴ』の魂を持って生まれたのだと。

 神はイヴを求めているから、だから私を早く手元に置きたくて殺してしまいたいのだと。


「僕には愛しいヒトを殺せるその気持ちが一切分からないけれども、だからアレは『狂い神』なんて呼ばれているのかも知れないね」


 己が創ったにも関わらず、愛してしまった初めての人間。

 他の男を愛し、楽園の禁忌を破ったからと追放し、その女を求めるあまりに幾度となく殺し続け、けれども己が課した『人間は転生するもの』という枷のせいで、愛しい魂は幾度もその手からすり抜けて行く。


「まさに『狂う』には充分だろうさ」


 でも同情なんてしてやらない。だって僕はジゼを手放す気なんて一切ないんだもの。

 シーギルハイトは優しくそう言って、私の銀の髪を柔らかな手つきで撫でた。紅い血のような色の瞳に私の縦に割れた瞳孔が映り込む。


「ジゼが嫌いでも、誰がなんと言おうとも、僕はジゼの雪原のような銀髪も、宝石のような紫の瞳も、大好きだよ、ううん。愛してる」


 僕に『愛』を教えてくれたのはジゼなんだ。だから責任を取って、一生僕の傍に居てくれたらそれほど嬉しいことはないよ。

 そんなことを言われてしまったら、もう何も言えなくて。

 幸せだと、そう思っていた。


 ――けれど私はいつしか、我が子達の子孫が殺される悲劇を見ていることが出来ずに、ただ、眠るようになった。

 繰り返し、繰り返し。夢を見る。

 幸せだった時、憎んだ時、いっそ死んでしまいたいと願った時、それでも彼と生きたいと願った時。

 何度も繰り返し過ぎて、今が夢か現か分からなくなってしまう。

 そんな時に聞こえるの。

 ゆりかごを揺するように優しく、赤子をあやすような甘やかな声。

 その声を聞くと、私の意識はゆるやかに浮上する。


「ジゼ、起きて?」

「……ん」


 浮上した意識の世界が、どれほど残酷でも。

 シーギルハイトが絶対傍に居てくれるから。

 私は安心して、目を開けられる。

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