第7話 愛情
「シーギルハイト様」
執事長の低い声は呆れて何も言えないとばかりの声だ。
「何? 僕の邪魔でもする気?」
「いいえ。その様なことは致しません。私は心底呆れているのです。貴方様ほどの大悪魔が人間、いえ、魔女如きに心臓を焼かれるなど」
まったく。魔王様にどの顔を向ければ良いのやら……。
「父上のことはどうでも良いし、『魔女如き』に心臓を焼かれた僕を軽蔑したなら僕の元を去れば良い。僕はそれでも構わないよ」
「何を仰っているのやら」
執事長が平坦な口調に更なる呆れを交えさせながら言った。
「私は貴方様付きの執事。この魂が消滅するまで貴方様のお傍に控えて仕事をしやがりくださいと催促し続けるつもりですよ」
「はは。きみに内緒で仕事放棄したこと、まだ怒ってるの? 相変わらず悪魔にない硬さだなぁ」
まあ、でも。そんなきみに助けられてるよ。
「ネリウス」
「なんでしょう」
「挙式の準備をしておいて。僕とジゼの。結婚式は盛大に祝いたいからさ」
「畏まりました。お早いご帰還をお待ちしております。シーギルハイト様」
「はいはい」
「はい、は一回です」
小言を言うと執事長は姿を消した。魔界にある屋敷に帰ったのだろう。本当に僕とジゼとの挙式の準備をする為に。
僕は彼女の頭を優しく撫でると、その煤けた銀髪を指で掬いキスをひとつ落とした。
「ごめんね、ジゼの意思を無視して。でも、これで誓約は成された」
僕のこの行動は、きみの意思を奪ったあいつらと同じだ。
「でも、僕は君を手離す気がなくなっちゃったんだ」
きみが目覚めた時。そこはきっと違う世界なのだろう。
魔界というジゼにとったら未知の世界に連れて行くんだから当然か。
「ね、ジゼ?」
屋敷に帰ったらさ。いくらでも謝るよ。凄く大切にするよ。
「だからどうか、僕の傍に居て」
身勝手だって? 知らなかった? 悪魔は身勝手な存在なんだ。
嗚呼、でもまずは邪魔なモノを片付けないと。
僕が必ずジゼを守るから。……きみを魔女にした張本人の筈なのに守るだなんて変な話かも知れないけれども。
ジゼのどんな我が儘だって聞いて、叶えてあげる。
だからどうか僕を、きみを見捨てた僕を。
――嫌いにならないで。
まるで神にでも祈るように願いを込めて、黒薔薇が咲いたその左手を握り締める。
深く深く眠っているのか、ジゼが目を覚ますことはない。
その煤けた銀髪を撫でて、血が少しだけこびりついた白い頬に手を滑らせ、その血を拭ってやる。そうしてこんな生活でも柔らかそうな桃色の唇にそっと手袋越しの指で触れた。
「足りない……」
ぼそりと呟いてから手袋を脱いでジゼの桃色の唇に直接触れた。
あたたかい。柔らかい。いとおしい。
そんな感情ばかりが溢れて、止まらない。
「これが愛するってことかぁ」
悠久の時を生きて、はじめて僕は他者を愛したのだから、青目の悪魔が言った通り、生きるということは確かに何が起きるか分からないものだね。
「――さて、名残惜しいけど、そろそろ行くね? 僕とジゼの契約書を神の使徒を名乗ったあの愚かな禿げ頭から奪ってこなくちゃ」
契約主はジゼでも、契約書を持っているのは司教。
神に仕える身でありながら、愚直なことに手を染めた、ただの非力な人間。
そう言えばジゼを何度も欲の孕んだ目で見ては手酷く犯していたなぁ。
ああ、そうだ。ジゼの純潔を奪ったのは、あいつだったか。
司教も司祭も、神に仕える身でこの戦争に乗じて随分と好き勝手にやっている。
ジゼや他の少女に折檻をし、ジゼの綺麗な肌に趣味の悪い色の痣を沢山付けて悦がっていた変態野郎。すぐに直ったけど、だからどうした。
「ああダメだ」
生き地獄を味わわせてあげようと思ったけれど、殺したって気が晴れない。どうせ死んだら地獄行き。
だったらその前に少しだけ軽い地獄を垣間見てから死んで逝けばいいさ。
お前らみたいなのがどれだけ媚びようと、綺麗なモノしか好かないあの狂い神は受け入れない。神に忠実な天使も、決してお前達を受け入れてなんかくれやしないだろう。
その点、悪魔は優しいよ? 例えどんなクズでも一生奴隷として使ってやるんだから。
「ジゼ。待っててね? 早くきみを自由にしてあげるから」
悪魔は魔女の頬に口付けて司教の元に向かう。
心優しい魔女は、一時の平穏を味わうように深く眠っていた。
悪魔が何をしようとしているのか何も知らずに。
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