第3話 純潔

「最近、同族が人間に召喚される事が増えた気がする」

「そうですね。どうでも良いですがこちらの書類にサインをお願いします」

「きみは本当に僕のことを馬鹿にするのが好きだよね」

「滅相も御座いません。こちらの書類、ミスが御座います。早急なる対応を」

「あーあ、僕も人間に召喚されたいなぁ」


 そんなことを言ったなら、眉を一瞬顰められた。僕は書類の山にサインをしながら、噂好きのメイド達から聞いた話を思い出す。

 人間の世界にとある噂が流れている。

 なんでも生娘が急に居なくなるとのこと。悪魔に拐われているなんて失礼極まりない噂も流れているらしい。

 僕達は生娘は好きだけど、人間を浚ってどうこうなんてしようとは思わないのに。

 そんな中、僕達悪魔の中でも密やかながらとある噂が流れていた。

 人間の間で『清らかな魂を持った生娘を無理やり悪魔と契約させる儀式』が流行っているのだと。

 人間の癖して悪魔でもしないようなえげつないことをするなぁと思って、はじめて聞いた時は鼻で嗤った。

 悪魔という生き物は美しく清らかな魂が好きだ。清らかであればあるほど、神に近ければ近い程、絶望に染まり堕ちた時の魂の味は格別だからね。

 だからこそ穢れを知らない純潔の女は特に好きだ。その美しい魂が地に堕ちるまで、大切に大切に育てるのも好きだ。

 美しい魂を持った生娘が凌辱され、快楽に堕ち、その命の最期、絶望に染まった魂を食べるのが特に好きだというような変態も居る。まあ、僕の背後に控えている執事長なんだけどね。


「何か思いましたか、シーギルハイト様」

「いやいや。きみも結構な性癖の持ち主だったなぁと思い出してね」

「はあ、悪魔というのはそういうものでしょう」


 その魂の味は得も言われぬ程、甘美ですよ。

 悪魔の中でも特殊な性癖を持っている執事長は平気な顔でそんなことを言う。

 僕はその味は知らないけれども、得も言われぬ味と言うのは少なからず興味がある。今まで食べた魂の中でどのランクに値するのだろうか?


(気になるなぁ)


 にんまりと目を細めた。

 いいなぁ。……食べてみたいなぁ。


 ――悪魔は天使とは当然だが異なる生き物だ。


 あんな綺麗なモノしか受け付けられず、この長きに渡る戦争だって「神の導きを待つのみ」と静観しているような奴らと一緒にされるのは、同じ傍観者として大変に胸糞が悪い。

 要は天使のことが大ッ嫌いというだけの話なんだけど。

 まあ、天使が好きな悪魔なんて奇特で稀有な存在はそうそう居ないだろうけれども。

 天使の吐き気を催すような清廉さは神の為にあり、神の心を慰めるもの。

 悪魔の整った顔立ちや身体は、すべて人間を魅了する為の道具で、それ以外では使い道のないもの。


 天使は秩序を大切にする。

 悪魔は楽しい事が好き。


 人間が絶望していく様も、憎しみ合う人間を見るのも心が踊る。


 ――だから。


「その契約、受けてあげるよ」


 僕は傍観者から、楽しいショーの参加者になることにした。

 屋敷に置いて来た執事長が眉間に濃い皺を刻むのを頭では理解していたけれども。

 僕は気紛れに笑いながら『其処』――人間界に降り立ったのだ。

 参加者という観戦席は特上で、響く呪いの言葉は耳触りの良い演奏。憎悪と苦しみがない交ぜになった醜い心は最高の美酒。


(嗚呼っ……! これだから人間はいとしいねぇ)


 僕が人間に呼び出された先は石造りの塔の地下室。

 そこに居たのは、神に仕えている筈の司教と司祭の皮を被った男が数人。

 その全員が血生臭い臭いに包まれていて、とても良い香りがする。

 きっとこの国の人間は思いもしないだろう。

 まさか『神にその身と魂を捧げた清き人間』が、この醜い戦争に関わっているだなんて。

 それも――


「……ぃ、や! ……や、めて……くださ……っ!」


 神の使徒の皮を被った男数人に手足を抑えられた銀髪の少女。宝石みたいな紫の瞳はこれから何が起きるのか分からず恐怖に染まり涙をその美しい宝石のような瞳に溜めていた。

 傍目にも美しい、きっと引く手数多なのだろうその少女。

 人間の年齢にしたら十六歳くらいだろうか?

 憐れにも悪魔のような、と言ったら僕は凄く嫌だけど。例えるなら悪魔みたいな人間に捕まってしまったその少女は、今まさに神の好む純潔を、神に忠誠を誓った者達によって奪われようとしていた。

 唯一自由な瞳を僕に向けて助けを求める少女に、僕はなるべく人間らしく見えるように優しく微笑んだ。

 少女は涙を浮かべたその瞳に少しだけ安堵したような色を浮かべる。


「ねぇ、早く僕にその子を頂戴よ」


 けれど僕は優しくはないから、助けてなんてあげない。

 僕の言葉を聞いた少女は目を大きく見開き、涙に濡れたその頬に更に綺麗な雫を流して、諦めたように瞼を伏せた。


 熟れた林檎のような甘く芳しい『絶望』の匂いが石で出来た地下室に漂う。

 再度開かれた少女の宝石のような紫の瞳の中に、仄暗く、けれども美しい『憎悪』の色が宿ったのを見て、背筋にぞくぞくとした快楽が走るのを感じた。

 男数人に押さえつけられた少女は抵抗する気を失ったらしい。だらりと身体を弛緩させている。その白い頬には涙が零れ続けているけれども、なんの意地か声を発することはなかった。


 ――嗚呼、純潔が散らされた。


 若い果実の匂いに、獣が好む命の匂いが混じる。


「可哀想だね。犯されて、嬲られて。ああ、本当に可哀想だ」


 思ってもいない言葉を吐いて、肉が肉を叩く音を聞きながら、ただジッとその行為が終わるのを愉快な気持ちで見ていた。

 僕が少女をにやにやと見ていると、不意に少女が瞬きをするように紫の瞳をゆるりと開いて僕に向けた。

 その瞳の色は絶望に染まっている癖に、まるで神のように何もかもを見通すような色を帯びていた。

 けれど僕は、この『遊戯』に参加出来たことが楽しくて楽しくて堪らなくて、然して気にしなかったんだ。

 少なくとも契約したこの少女の魂が僕の手元に来るまでは楽しめる。

 その時の僕はまだ、そう思っていた。

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