第2話 遊戯
「あっは。良くやるなー」
人間の世界を映す泉をごろんと寝そべりながら見つめる。
自分の顔がにやにやと愉悦に歪んでいることくらいは分かっていた。
この泉に通うのは百年程度の周期で行われる日課であり、長い悪魔としての生の中の娯楽のひとつでもある。
人間の世界の時間では、ここ数年になるかな。
国同士でかなり大きな戦争が巻き起こっていた。
毎日のように小さな領土を取り合って同族である筈の人間と人間は殺し合い、血と汗と腐臭が草一本生えていない荒地に漂っている。
戦場で兵士になれない女子供、老人は国からの粗末で微々たる配給を取り合うように争い、それでも足りずに食うものが無くて餓えて死ぬ。
人だけではない。獣すらも見つかれば餓えた人間に狩られ、殺される。
獣も居ない。人間だけの世界にでもしたいのかな? なんて思っちゃうくらい。
国同士で巻き起こっているのは何も戦争だけではない。
国同士が混乱しているのを好機と捉えた闇に生きる売人は女子供を拐い、女は犯され慰み者に、見目の良い子供は売られて貧困に喘ぐ人民を見ようともしない肥え太った名ばかりの貴族の豚に買われていく。
ワインを飲みながら少年や少女を愛でる貴族の、なんと醜いことか。
「ああ、嫌だ。僕はあんな豚以下の人間にだけは召喚されたくないね」
「まあ、そうでしょうね。貴方様は美食家ですから」
「……いつの間にいたの?」
「貴方様が仕事をサボってこの泉に来ていることは前々から存じておりますので」
屋敷の執事長である羊角の悪磨は皮肉気味に淡々と言う。
あーあ、バレてたことは知っていたけれども、僕の行う楽しい悪戯には基本的に寛容な執事長が出て来たってことは、どうやら仕事をサボり過ぎたかな?
とはいえ。と僕は泉の中には映っていない、今では魔界の方が豊かなんじゃないかというくらい生き生きと生えている草原に寝そべったまま、執事長を見上げた。執事長の眉間に皺が刻まれたけれども、別に今更のことだ。
「僕の娯楽を邪魔する気?」
「まさか。滅相も御座いません。仕事をなさってくださるのであれば、私は何も言いませんよ」
「ふぅん? じゃあ、仕事でもしようかなぁ」
人間同士の戦争が激化していく中、減った兵士を増員する名目で農民すら国から達しが来ては戦地で殺し合いをさせる為に連れて行かれる。
寝転がりながら見ている泉に今ちょうど、その場面が映し出された。
どれだけ家族が抵抗しても。
「連れて行かないでくれ!」とその足に縋り泣き付く痩せ細った家族を見ても。
煩わしいとばかりに引き摺られて連れて行かれようとしている男の目の前で、男の家族の、その腕を、足を、邪魔だと言わんばかりに切り落として殺す。
その様を見ているしか出来なかった男の獣の咆哮のような慟哭を上げる様なんて見えないとばかりに、王国から遣わされた屈強な兵士達は今まさに家族を殺されたばかりで暴れる男を無慈悲に引き摺っていた。
その目には、同族を傷つけたという後悔の心すらない。
心を失くしてしまったソレらはもう、人間なんて名乗れるのかな?
「神が与えた『感情』という『欠陥』は、本当に欠陥品だね。その欠陥を守る為にすぐに壊れちゃう」
「己で創った『イヴ』に未だ固執し続ける狂い神が、イヴを見付ける為に人間に最初に与えるモノですからね。根本的に我ら悪魔とは相容れることはないでしょう」
「そうだねぇ? 『焼かれる』こともなければ、悪魔には分からない感情だ」
ケラケラと笑えば、「シーギルハイト様」と窘めるように名前を呼ばれた。
「何? 僕が人間如きに『焼かれる』とでも思っているの?」
「そのようなこと、万が一にも無きように。私の仕事が増えるじゃないですか」
「ふふ。きみの仕事を増やすのは魅力的だけど、そんなこと永遠にないよ。――そんな神でも起こせないような奇跡がもし万が一起きたなら、父上の跡を正式に継ぐ為に動いてもいいくらい」
泉から視線を離して、執事長の顔を見る。にんまりとした笑顔はサービスだ。
他の悪魔だったなら蒼褪めているだろうそんなサービスも、執事長はただ静かに控えてにこりともしない。その姿のなんと面白くないことか。
「嗚呼、そう言えば」
「なんですか。シーギルハイト様。仕事をする気になりましたか」
「あはは、もう少しこの余興を見てからね?」
「付き合う私の身にもなってください」
「付き合って、なんて、言ってないんだけどね」
「傍に着いていなければ貴方様はすぐにサボるでしょう」
寝転がった僕の背後に立ったまま、本気で僕が仕事をする為に屋敷に帰るまで動こうとしない気だなと、僕は肩を竦めた。
「そう言えば、」
たまに見目の良い少女が連れて行かれるのを見るけれども、アレは戦場の慰み者でも貴族の玩具でもなさそうなんだよなぁ。
姿形は違えどそのすべてが神の好む清廉な気を纏っている者達ばかりだ。
一体ナニに使われているのか?
嗚呼、嗚呼、可哀想に。
連れて行かれる人間達の瞳には殺意と憎悪。嫌悪、怒り、……諦め。
あらゆる負の感情をその身の内に燻らせているにも関わらず、水面で腹を見せている魚のようにその目は暗く、どこまでも闇を映すかのように濁っていた。
「良く飽きないよね」
「人間とは愚かなものですからね。貴方様も良くぞこの様な陳腐なショーを見飽きないものです」
「あれ? 遠回しに僕のこと『愚かしい』とか思ってる?」
「まさか。主にそのような感情を抱く執事がどこに居ますか」
「僕の目の前に居ると思うんだけどね」
まあ、良いや。僕も段々退屈になってきちゃったし。
大きな欠伸をしながら泉を見やる。それを視線で窘められたけれども気にしない。
ちょうど今、人が人によって引き裂かれたところだ。
毎日毎日、人間同士が殺し合って、本当に人間って不思議で不可解で難解で単純な生き物だなぁ。
魔界の広大な地と違って、たかだか数千の人間しか居ない国同士の領地を広げる為に戦争をして、その領地に住む人間をわざわざ失っているのだから。
馬鹿な種族だ。何れ廃れて自滅するだろう。
さすがは神が創った『欠陥品』だね。
ふふ、と笑う。別に楽しいからというわけではない。
神が創った『人間』という下等生物に対して哀れんでいるんだ。
とはいえ、人間が適度に憎しみ合ってくれているから僕達も『悪魔』の仕事が捗るってものなんだけど。
人間を誘惑して堕落させるまでもない状態であるのが僕的にはつまらないし、もっと駆け引きを楽しみたいところなんだけどね。
「だから、僕みたいにちょっかいを出す悪魔が絶えないんだろうなぁ」
「シーギルハイト様?」
執事長が不思議そうな声を出した。僕は唇に弧を描く。
絶えず泉が映す人間共は獣のような顔をしていた。それ程に必死なのだろう。『死にたくない』と、そんな人間にとっては当たり前な『欠陥品』らしい感情を抱いている。それは相手も同じようで。
お互いが限りある寿命を延ばしたくて、堪らなくて。
要は誰もが『死にたくない』のだ。
「例えば死んだって、死の穢れを纏った人間を綺麗なモノしか好まない神が自分の元に還すわけがないのにね?」
それに対して僕の心が何かを思うことはないけれども。
そもそもの話。悪魔には『感情』というモノは存在していない。じゃあ何故愉悦という『感情』は存在するのだろう。
まあ、その辺は神が気紛れに与えたモノで、胸糞悪くなってくるから僕はあまり考えないようにしているけれど。
神は悪魔に対して人間に同情染みた『感情』を抱けとでも言うのだろうか。
(あは。あんな愚かな下等生物に何を思うことがあるのかな?)
見慣れたとはいえ何百年、何千年と続く人間という種族が生まれた時から繰り広げられているこの馬鹿らしいショーは何度見ても見飽きない。
「馬鹿な欠陥品」
神が創りたもうた原初の人間。『イヴ』は何も知らない無垢さ故に愚かにも、純粋に、悪魔に唆され楽園の果実を食べてしまった。
感情を抱いた彼らは神から見たら『欠陥品』扱い。もう用はないとばかりに楽園を追放された。
そんな『欠陥品』の子供達だからこそ、愚かなのかな?
ショーは見飽きない。だけど時折違う刺激が欲しくて、ついつい気紛れに僕もショーに加わることにしている。
ふ、と口角を上げると掌の上に火の玉を作り出す。
人間が突然起きる事柄に対応出来なくて、悲鳴を上げながら踊り狂うその様は可愛くて愛おしくて堪らない。
もっともっと苦しみに歪んだ顔をしながら、絶望と失意と殺意を抱いて僕の掌の中で踊り狂って。
そうして神が与えた限り有る命の残量を無残に零して、惨めったらしく死んでいく様を見せて欲しい。
嗚呼、なんて楽しいことか。
もしこれが人間が言う『感情』だと言うのなら、きっと僕は歪んでいるのだろうね。
「ねぇ、もっと僕を楽しませてよ!」
悦の入った声音で叫ぶと掌の上で大きくなった火の玉を荒野の中心で虫の残骸を漁る蟻のように群がっている人間の中に投げ込んだ。
苦しみにもがく人間。執事長は顔色を一切変えないままに言う。
「趣味が悪いですね、シーギルハイト様」
「だってこんなに愉快なことはないよ?」
執事長の溜め息を聞き流しながら、泉を見ると、近くに居た悪魔も同様に『悪戯』をはじめた。
ああ、楽しい。楽しくて、楽しくて、笑いが止まらないや。
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